八面六臂

2005年5月25日
昨夜のうちに途中まで移動し早朝4時に仲間の車に同乗させてもらい一路筑紫に国へ向かう。
途中、高千穂ジョイフルで食事を取り8時には現地着。凄き距離の脱兎の如き移動は風林火山の旗印の移動どこではない。
風呂工事をTOTOの無理をお願いして完成させクロス屋さんにも無理をお願いした。ナント!宮崎。延岡の方であった。
仕事人イマム○建築工房は広島の人。実にやり手の情熱の人。
クーラー撤去、電気工事は昨夜来宿泊で頑張ってる仲間三人で仕上げていただいた。トイレのみ残る。ようやくの完成に向かっている状況。まぁ〜営業せきやん転じて工事屋せきやん、みんなに支えられ、何とかであろう。
しかし、死ぬ思い。これじゃぁ胃はボロボロどうしようもない状況。
27日のお約束をして辞して久留米のオール電化の現場に向かう。
幹線自体が細いので九州電力と同時工事でナイト無理と判断。
ようやく帰路に着く。
筑紫の国は麦の国であった。
あたり一面の麦の実る茶色は見事な印象派、あるいはバルビゾン派などミレーの世界。麦秋の感である。
家の要は屋根。その屋根材の豊富ななこの地こそ卑弥呼の存在した土地であろう。茅葺屋根ならぬ、麦わらふき屋根である。
驚くなかれ!卑弥呼は宮崎である。歴史を覆す大発表が近々ある。まだ秘密を強いられている。第一刷りは私に届く約束がある。よってヒミツであるが厳しき緘口令ゆえ守らねばならぬ。
八女はお茶の国の認識であったが、やまの竹林を見る限り植林が進んでなく竹林の自然林で管理がしてなく逆に農業生産のみで経済活動がなされてきた国。筑紫市自体も僧である。あまりにも地政学自然環境に恵まれていると山にまで手がまわらぬようである。総じて裕福な国たる筑紫平野を取り巻く国々であった。
久留米市大善寺町夜明、実に不思議なる地名、幕末の開明思想家・真木泉の水天宮さまを当然ご承知であった、もともとこの地の神官であった。京都で長州の久坂源瑞とともに蛤御門の変で薩摩の裏切りぬあい、自刀したはづなのにご子孫はおられるようである。お母さんはおしりあいのようであった。お会いしてお話がしてみたいものである。今日の日本の礎をきづいたおじいちゃんのことを。
英々ときづかれる営みは過去の上にこそ成り立っている。
日々歴史は刻まれる。生きる証。もう少し生きてみよう。
今朝6時からあちこち飛び回る。
むこうから「せきやんさんじゃぁ〜ネェ」と声をかけられる。40〜50年前の記憶である。その青山さんのご好意が山田に飛び、職人さんとの連絡となり、仕事の段取りが出来たこの不思議世の中。神なせる業みたいな縁でうまくいきそうな小林の現場。
早起きは百文の徳である。こんなに頑張れば神がついてくるようである。飛び回るぞ!負けてたまるか!

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