襤褸は着てても
2005年5月29日色男金と力は無かりけり。と言うが私は羨望でこの言葉を呟く。
いろおとこであり、世渡り術に長けてる分凄いじゃん!の感じである。私の知ってる人はげにそれで暮らしを立てている。
実にソフトな語りでこまめに携帯で連絡をとって入る。
まさに業師!女のご機嫌伺いのツボを周知し実践しておられる。
私には到底出来えない芸当で不器用で生き抜くしかない。
生きるに当たっては少々の小金が入る。
そのことは人格さえ問われかねないものさえ含んでくるから面倒である。いかに質素に暮らそうと周りの変化もある。
これでもかとダメを押すほどの人々の欲望をかきたてる消費社会の到来をニガニガしく毎日を過ごしてるのは私だけであろうか。
24時間買い物が出来る社会を誰が予測したであろう。
外国に無い自動販売機であり、コンビニである。
先進国の中で自国で食料自給率が40パーセントなる国は無い。
それなのにあふれんばかりの流通機構は何か変である。
この不思議な状況が続くはずは無い。全てアダバナとの危惧での毎日。特に縁の無いのがファッションである。
だがVANブランドのころは私も胸に横文字が入るだけで横並びファッションに追従した青春時代の傷を持つ。
VAN創業者の石津謙介お得意のアイビールックまでは馴染めたものだ。新聞に追悼記事がある。
石津さんの著書「変えない生き方」(毎日新聞社)からである。
終戦当時、中国の天津にいた石津謙介さんは進駐した米軍と、降伏した日本軍兵士との仲介役として親ぼくスポーツ大会などをとりもったという。そこで知り合った若い米軍中尉からプリンストン大学をはじめ米東部の名門大学リーグであるアイビーリーグの話を聞いた。さらに
「この服はじいさんがイギリスで着ていたのをくれたんだ。この接ぎ当てを見ろ」という伝統を大事にする姿にだった
VANは一時世間をを席巻したファションブランドであった。
肘あてさえある無理して破け当ての新着にも驚いた。
早稲田を出たる人は常に着用していた。バンカラのファション化であったのか。
19世紀英国のダンディズムは、もともと地味な服をおしゃれに着こなす美学だったという。いわば欲望にまかせて派手さを競う俗物たちに対抗し、自分を禁欲的な美意識にしばりつける精神の貴族趣味を意味したのだ。
私でさえも服装に、こだわりはある。必ずネクタイをつけている。仲間の職人さんから評判はよくないが拘っている。
ただし、今日の私は初めてネクタイ無く現場に向かった。
小林の残財を廃棄するために3名で向かったのである。
全くの作業ゆえネクタイなしで始めてのラフなスタイルで気持いい。
電気温水器やボイラー、ガス調理器などの4トントラック一杯の廃材を宮崎まで運んだ。
急遽のお願いを喜んで参加いただいた方に感謝である。
何が何でも約束通り仕上げる私の信念でもある。
そしてご協力を賜り仕上がった。
ダンディリズムとは約束を果たすことにささやかなる喜びを得ることと信ずる。
ただし金銭が絡むとそう簡単にはいかない。
思わぬことがおこるからである。その持ち逃げした方から
「会ってお話がしたい」といわれる。
遅きに失した感であり、なにおかいわんやである。
どうにも私を利用してる人が集まってる人々も入るようである。
よくも持ち逃げが出来るものだ。確かに給料遅配が起きてるのも事実だが、売り上げがない以上できないものは出来ない。
ましてや投資しての集金総額であり、すべてを売り上げ総額なる気楽な考えでは経営の悩み無き単純な思考である。
とかくこの世は金次第では情けないが、霞を食っては生きてはいけない。どうつじつまを合わせるかである。月末が近づくと本当に怖い。自分の信念との不ソゴウが生じるからである。
それにつけても金のほしさよ!の山号寺号的なぞは付きまとうのであろうか。ボロは着てても心は錦。
やってやらア〜金稼ぎ!いやア〜借りた金を返さねばならぬ。
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いろおとこであり、世渡り術に長けてる分凄いじゃん!の感じである。私の知ってる人はげにそれで暮らしを立てている。
実にソフトな語りでこまめに携帯で連絡をとって入る。
まさに業師!女のご機嫌伺いのツボを周知し実践しておられる。
私には到底出来えない芸当で不器用で生き抜くしかない。
生きるに当たっては少々の小金が入る。
そのことは人格さえ問われかねないものさえ含んでくるから面倒である。いかに質素に暮らそうと周りの変化もある。
これでもかとダメを押すほどの人々の欲望をかきたてる消費社会の到来をニガニガしく毎日を過ごしてるのは私だけであろうか。
24時間買い物が出来る社会を誰が予測したであろう。
外国に無い自動販売機であり、コンビニである。
先進国の中で自国で食料自給率が40パーセントなる国は無い。
それなのにあふれんばかりの流通機構は何か変である。
この不思議な状況が続くはずは無い。全てアダバナとの危惧での毎日。特に縁の無いのがファッションである。
だがVANブランドのころは私も胸に横文字が入るだけで横並びファッションに追従した青春時代の傷を持つ。
VAN創業者の石津謙介お得意のアイビールックまでは馴染めたものだ。新聞に追悼記事がある。
石津さんの著書「変えない生き方」(毎日新聞社)からである。
終戦当時、中国の天津にいた石津謙介さんは進駐した米軍と、降伏した日本軍兵士との仲介役として親ぼくスポーツ大会などをとりもったという。そこで知り合った若い米軍中尉からプリンストン大学をはじめ米東部の名門大学リーグであるアイビーリーグの話を聞いた。さらに
「この服はじいさんがイギリスで着ていたのをくれたんだ。この接ぎ当てを見ろ」という伝統を大事にする姿にだった
VANは一時世間をを席巻したファションブランドであった。
肘あてさえある無理して破け当ての新着にも驚いた。
早稲田を出たる人は常に着用していた。バンカラのファション化であったのか。
19世紀英国のダンディズムは、もともと地味な服をおしゃれに着こなす美学だったという。いわば欲望にまかせて派手さを競う俗物たちに対抗し、自分を禁欲的な美意識にしばりつける精神の貴族趣味を意味したのだ。
私でさえも服装に、こだわりはある。必ずネクタイをつけている。仲間の職人さんから評判はよくないが拘っている。
ただし、今日の私は初めてネクタイ無く現場に向かった。
小林の残財を廃棄するために3名で向かったのである。
全くの作業ゆえネクタイなしで始めてのラフなスタイルで気持いい。
電気温水器やボイラー、ガス調理器などの4トントラック一杯の廃材を宮崎まで運んだ。
急遽のお願いを喜んで参加いただいた方に感謝である。
何が何でも約束通り仕上げる私の信念でもある。
そしてご協力を賜り仕上がった。
ダンディリズムとは約束を果たすことにささやかなる喜びを得ることと信ずる。
ただし金銭が絡むとそう簡単にはいかない。
思わぬことがおこるからである。その持ち逃げした方から
「会ってお話がしたい」といわれる。
遅きに失した感であり、なにおかいわんやである。
どうにも私を利用してる人が集まってる人々も入るようである。
よくも持ち逃げが出来るものだ。確かに給料遅配が起きてるのも事実だが、売り上げがない以上できないものは出来ない。
ましてや投資しての集金総額であり、すべてを売り上げ総額なる気楽な考えでは経営の悩み無き単純な思考である。
とかくこの世は金次第では情けないが、霞を食っては生きてはいけない。どうつじつまを合わせるかである。月末が近づくと本当に怖い。自分の信念との不ソゴウが生じるからである。
それにつけても金のほしさよ!の山号寺号的なぞは付きまとうのであろうか。ボロは着てても心は錦。
やってやらア〜金稼ぎ!いやア〜借りた金を返さねばならぬ。
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