脱!儒教思想
2005年7月8日資金がどうにもおぼつかない。自転車操業どころか、酸欠の鯉、鮒状況でアップ・アップでギブアップ。
きょうは語呂合わせで7/8「質屋の日」何だそうな。
それが質に入れるものもない状況では悪評高い庶民金融さえ相手にしてくれまい。
新聞によると初めて公営質屋が設置されたのは日南市細田村で一九一二(大正元)年のこと。
欧州の庶民銀行や公営質屋の経営を知っていた当時の村長、隈本和平が開設したそうである。
他の地区はどうして資金を手にしていたのか。共同体の知恵で辛抱の末の支えである。
頼母子講は庶民金融として古くから暮らしを支えてきた。借金の方法を知らない人たちには最も身近な手段で、生活一時金となった。
当たった人の家での振る舞いのご馳走は年に何べんかの地鳥を潰し不足気味のタンパク源解消のご馳走であった。
我が家が当たるとノートや鉛筆を買ってもらった。
どうにも両親の夫婦喧嘩を思い出すとこのとき籤にせず、順番を他の人にまわし、一番最後になるので母の思惑とずれるのが原因の用であった。
父にすればうちより困ってる家があるので最後でよい!とのことで籤で当たっても他の家に順番を回していたようである。
田舎には貨幣流通が及んでなく20円のPTA会費の納入がままならなかった。
これほどまで貨幣経済が蔓延してくるとすべてが蟻の蜜状態で集ってくる。逆にピッタリと引く。
いまその状況にあり、DNAなる不思議さにさい悩まされている。
自分の取り分はなくすべて配った。1ヶ月だけではない!
驚きは売り上げ状況を知ってる人まで、どこに資金があると言うのか迫られる。
お金のありがたさを忘れ、その結果訪れる困窮に耐えようとせず、未払い分の貯蓄がありゃしないかの勘違い。
どこにも売り上げの隠し金はない。私は3ヶ月からっきしもらえてなく当然未払いが生じている。このギャップ!
私なんぞの財布には・・・お恥ずかしく書けない状態。
テンション下がりそうなのでこれ以上はお恥ずかしい。
仕事探しに県北まで行き、10KWの太陽光発電の図面と改装700坪をいただいた。
方向は北!の高島暦の占いがドンピシャ!
農業県宮崎はどうなろうと心配していた農業用水の渇水状態があった区域。
高千穂でようやく田植えが修了したという。
この二日の雨でまさに干天の慈雨となったようである。
待てば回路の日和あり。私共は出航はいつかできるのだ
門川、延岡をまわり、この集落地帯にはきまって青地にしろの神社の夏祭りののぼりが立っていた。
あ〜あっ夏!だなぁ〜農耕民族の血が騒ぎ、同一民族性を感じる。
わが国には四季があり、植生を豊かにしている
美しき四季のある風景、季節の節目と一年を通して多くの伝統行事が生まれ、守られてきた。
松、菖蒲、朝顔、ススキ、にオミナエシなど草花を供えて、正月、端午の節句、月見をを祝った。
ブルー・ベリーを自前施設で安価に導入して、作付けしてみようと研究されてるご仁がおられ、その過程をのぞいた。
点滴かん水、電磁弁、タイマーでの潅水が実証されなにも500万もの施設費は要らないようである。
よくぞ熱心に取り組まれておられるものである。
苗はもちろん挿し穂で繁茂育成中であった。
よって含蓄のある言葉は耳に痛い!
しからずんば交代してください!悲鳴にも似た資金難
儒教思想と道徳論だけでは意志は伝わらない。
天智天皇だったかその時代の白江村の闘い以来隣国とは戦いの明け暮れであった。
儒教思想で貨幣流通が少なく流通経済が国家制度に薄かったゆえ
伊藤博文にして韓国併合で李朝が滅んだ。
ラスト・エンペラーの映画は中国であるが韓国のラスト・エンペラーも描かれてよい。歴史認識のため脚本書けないものか。
韓国李王朝の最後の王様の妻は李方子。
明治天皇の孫で方子は昭和天皇の妃候補の一人であったが、選ばれたのは従妹の良子(ながこ)。
理由は石女。ところが子をなした。それがいけない。生まれてはいけない廃嫡を目指した李王朝の子孫となるからである。
植民地政策の支配者日本ゆえに悲劇的結末である。
今日の男系のみの皇族継承をめぐりすったもんだは起こらなかったはずである。歴史の皮肉である。
政略婚の野蛮軍人の企て「日中の架け橋」の美辞麗句はお見通し。
呪いとの言葉の意味が理解できる。ソリャァ〜神様はいるわな〜。
梨本宮方子(まさこ)の父は梨本宮守正、明治維新の前は京都三千院の門跡。母は絶世の美女伊都子、旧佐賀藩主、鍋島家の姫。
方子は15歳の時、自分の婚約発表を新聞で知って驚いた程で本人はあずかり知らぬとこで決まった政略結婚。
朝鮮李王朝の皇太子である垠(ウン、日本読みではギン)。
大正9年、方子19歳、垠23歳の時に婚儀。
住まいは赤坂の北白川邸たる赤坂プリンスホテル。現在の堤王国のホテルである。
程なく子宝に恵まれ子供は男の子で晉(しん)。
大正11年、李垠・方子夫妻は里帰り。
その際、実に不思議に死んでしまう。支配してきた李王朝のおばのごとくの死である。
兄にも子がなかった為、李王朝500年の血は途絶えてしまう。
(正確には弟の李玖が生存しており、韓国空港の社長をしていたが倒産し、日本人婦人とも離婚して同じ空の下のどこかに生活しておられるはずである。王家復活となればここに継承者はおられるが、子はないようである。)
支配者日本はほくそえんだことであろう。
戦後ときの大統領李承晩が反日で海域さえ李承晩ラインなどと摩擦を起こしたほどで李王は帰国できなくなり、朴大統領になり、昭和36年脳溢血・植物人間状態で帰国。昭和38年没。李方子も平成元年、87年の人生を終え、ソウルの昌徳宮の楽善齋の地に眠った。
もうひとつの政略結婚の中国のラスト・エンペラー愛新覚羅溥傑の妻・嵯峨浩もその2年前祖国に没していた。
迫りくるアジアの危機、植民地化を避けんがための処置ではあったが政治に翻弄された人生である。
もちろん自らの野望たる八紘一宇での世界侵略思想に元ずく政策の実践の一環ではあった。
反面李朝の政治方針のあまりもの道徳主義的な経済が理解できてないことからくる悲劇でもあったわけである。
このかみ合いは実に難しい。
私が今切実にその場面に曝け出され現実的に突き詰められている。琉球王朝はそこのとこを島津藩からの併合されるまでは乗り切った国であった。
これらを考えながら緊急たる資金調達をしないと国から迫られてる交通事故50万円の罰金の私の問題のすべてはENDとなる。
公たる経営の資金についても理解者はただの一人もいない。
太宰の最終作品は「グッドバイ!」であったか。
死が近づいてるのか。何をこれしきで私が怯むはずはない!
うム〜〜腹のそこからの呻き声。ケセラセラでは終わらない。
もう少しでありつける太陽光発電の大きな仕事。どうやら7月14日にNEDOの発表で仕事が動き出すようだ。
これが受注できる見込みを複数たてている。
目の前の資金難!と大いなる夢!起伏が大きすぎる。
先哲たちの知恵に両親さえ浮かんできてる。彼岸は近い。
神の宿る国。〜〜神国ニッポン!私には深刻ニッポン!
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きょうは語呂合わせで7/8「質屋の日」何だそうな。
それが質に入れるものもない状況では悪評高い庶民金融さえ相手にしてくれまい。
新聞によると初めて公営質屋が設置されたのは日南市細田村で一九一二(大正元)年のこと。
欧州の庶民銀行や公営質屋の経営を知っていた当時の村長、隈本和平が開設したそうである。
他の地区はどうして資金を手にしていたのか。共同体の知恵で辛抱の末の支えである。
頼母子講は庶民金融として古くから暮らしを支えてきた。借金の方法を知らない人たちには最も身近な手段で、生活一時金となった。
当たった人の家での振る舞いのご馳走は年に何べんかの地鳥を潰し不足気味のタンパク源解消のご馳走であった。
我が家が当たるとノートや鉛筆を買ってもらった。
どうにも両親の夫婦喧嘩を思い出すとこのとき籤にせず、順番を他の人にまわし、一番最後になるので母の思惑とずれるのが原因の用であった。
父にすればうちより困ってる家があるので最後でよい!とのことで籤で当たっても他の家に順番を回していたようである。
田舎には貨幣流通が及んでなく20円のPTA会費の納入がままならなかった。
これほどまで貨幣経済が蔓延してくるとすべてが蟻の蜜状態で集ってくる。逆にピッタリと引く。
いまその状況にあり、DNAなる不思議さにさい悩まされている。
自分の取り分はなくすべて配った。1ヶ月だけではない!
驚きは売り上げ状況を知ってる人まで、どこに資金があると言うのか迫られる。
お金のありがたさを忘れ、その結果訪れる困窮に耐えようとせず、未払い分の貯蓄がありゃしないかの勘違い。
どこにも売り上げの隠し金はない。私は3ヶ月からっきしもらえてなく当然未払いが生じている。このギャップ!
私なんぞの財布には・・・お恥ずかしく書けない状態。
テンション下がりそうなのでこれ以上はお恥ずかしい。
仕事探しに県北まで行き、10KWの太陽光発電の図面と改装700坪をいただいた。
方向は北!の高島暦の占いがドンピシャ!
農業県宮崎はどうなろうと心配していた農業用水の渇水状態があった区域。
高千穂でようやく田植えが修了したという。
この二日の雨でまさに干天の慈雨となったようである。
待てば回路の日和あり。私共は出航はいつかできるのだ
門川、延岡をまわり、この集落地帯にはきまって青地にしろの神社の夏祭りののぼりが立っていた。
あ〜あっ夏!だなぁ〜農耕民族の血が騒ぎ、同一民族性を感じる。
わが国には四季があり、植生を豊かにしている
美しき四季のある風景、季節の節目と一年を通して多くの伝統行事が生まれ、守られてきた。
松、菖蒲、朝顔、ススキ、にオミナエシなど草花を供えて、正月、端午の節句、月見をを祝った。
ブルー・ベリーを自前施設で安価に導入して、作付けしてみようと研究されてるご仁がおられ、その過程をのぞいた。
点滴かん水、電磁弁、タイマーでの潅水が実証されなにも500万もの施設費は要らないようである。
よくぞ熱心に取り組まれておられるものである。
苗はもちろん挿し穂で繁茂育成中であった。
よって含蓄のある言葉は耳に痛い!
しからずんば交代してください!悲鳴にも似た資金難
儒教思想と道徳論だけでは意志は伝わらない。
天智天皇だったかその時代の白江村の闘い以来隣国とは戦いの明け暮れであった。
儒教思想で貨幣流通が少なく流通経済が国家制度に薄かったゆえ
伊藤博文にして韓国併合で李朝が滅んだ。
ラスト・エンペラーの映画は中国であるが韓国のラスト・エンペラーも描かれてよい。歴史認識のため脚本書けないものか。
韓国李王朝の最後の王様の妻は李方子。
明治天皇の孫で方子は昭和天皇の妃候補の一人であったが、選ばれたのは従妹の良子(ながこ)。
理由は石女。ところが子をなした。それがいけない。生まれてはいけない廃嫡を目指した李王朝の子孫となるからである。
植民地政策の支配者日本ゆえに悲劇的結末である。
今日の男系のみの皇族継承をめぐりすったもんだは起こらなかったはずである。歴史の皮肉である。
政略婚の野蛮軍人の企て「日中の架け橋」の美辞麗句はお見通し。
呪いとの言葉の意味が理解できる。ソリャァ〜神様はいるわな〜。
梨本宮方子(まさこ)の父は梨本宮守正、明治維新の前は京都三千院の門跡。母は絶世の美女伊都子、旧佐賀藩主、鍋島家の姫。
方子は15歳の時、自分の婚約発表を新聞で知って驚いた程で本人はあずかり知らぬとこで決まった政略結婚。
朝鮮李王朝の皇太子である垠(ウン、日本読みではギン)。
大正9年、方子19歳、垠23歳の時に婚儀。
住まいは赤坂の北白川邸たる赤坂プリンスホテル。現在の堤王国のホテルである。
程なく子宝に恵まれ子供は男の子で晉(しん)。
大正11年、李垠・方子夫妻は里帰り。
その際、実に不思議に死んでしまう。支配してきた李王朝のおばのごとくの死である。
兄にも子がなかった為、李王朝500年の血は途絶えてしまう。
(正確には弟の李玖が生存しており、韓国空港の社長をしていたが倒産し、日本人婦人とも離婚して同じ空の下のどこかに生活しておられるはずである。王家復活となればここに継承者はおられるが、子はないようである。)
支配者日本はほくそえんだことであろう。
戦後ときの大統領李承晩が反日で海域さえ李承晩ラインなどと摩擦を起こしたほどで李王は帰国できなくなり、朴大統領になり、昭和36年脳溢血・植物人間状態で帰国。昭和38年没。李方子も平成元年、87年の人生を終え、ソウルの昌徳宮の楽善齋の地に眠った。
もうひとつの政略結婚の中国のラスト・エンペラー愛新覚羅溥傑の妻・嵯峨浩もその2年前祖国に没していた。
迫りくるアジアの危機、植民地化を避けんがための処置ではあったが政治に翻弄された人生である。
もちろん自らの野望たる八紘一宇での世界侵略思想に元ずく政策の実践の一環ではあった。
反面李朝の政治方針のあまりもの道徳主義的な経済が理解できてないことからくる悲劇でもあったわけである。
このかみ合いは実に難しい。
私が今切実にその場面に曝け出され現実的に突き詰められている。琉球王朝はそこのとこを島津藩からの併合されるまでは乗り切った国であった。
これらを考えながら緊急たる資金調達をしないと国から迫られてる交通事故50万円の罰金の私の問題のすべてはENDとなる。
公たる経営の資金についても理解者はただの一人もいない。
太宰の最終作品は「グッドバイ!」であったか。
死が近づいてるのか。何をこれしきで私が怯むはずはない!
うム〜〜腹のそこからの呻き声。ケセラセラでは終わらない。
もう少しでありつける太陽光発電の大きな仕事。どうやら7月14日にNEDOの発表で仕事が動き出すようだ。
これが受注できる見込みを複数たてている。
目の前の資金難!と大いなる夢!起伏が大きすぎる。
先哲たちの知恵に両親さえ浮かんできてる。彼岸は近い。
神の宿る国。〜〜神国ニッポン!私には深刻ニッポン!
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