四天王
2005年7月9日おのぼりさんには なっては見たいが、
はるかかなたのお江戸は遠い。
聞くに聴かれぬ名人噺。
こぶ平の林家正蔵ではどうにも頂けない。
「ぞろぞろ」なんか彦六じぶんでもピッタリであったあの正蔵の姿があるゆえだ。
やはりあそこまでやった小朝にやるべきですよ!香葉子さん。どちらもわが子ジャン!
血筋はいつの世もホント怖いものだ。
食わずもの嫌いでは、いけないがやはりイメージがある。
NHK朝の連続テレビ小説「わかば」は宮崎を舞台にしたお話であった。
8月の明治座(5〜28日)で舞台化されそうである。、
原田夏希(20)は清澄庭園で会見がテレビに流れた。
明治座なので歌舞伎座は歩いてもいける。
銀座四丁目のこの建物は四国の坊ちゃんの湯の雰囲気で威風堂々たるもの。
芝の増上寺迄行かなくてもよい。もっとも借景の東京タワーがあるのはここしかないけれど。
昼間ゆえに築地での生きのよいものを食ってでもよし。行きたいものである。
金と暇があればこそで残念ながら只今どちらも神は授けてくれない。
歌舞伎に落語とくれば三段目。円楽師で聴くのがいい。
暇な退屈な幕間ですることがないので弁当でも食おうかとする弁当幕。
かって仮名手本忠臣蔵の三段目は弁当幕といわれてたがその由来を説き明かしてくれる。
やはり出がお寺ゆえ説教調はこの人に限る。
十数年前に四天王として落語雑誌のグラビアになった。
四天王とは志ん朝、談志、円楽、円鏡=円蔵を称してである。
小朝、小三治、聴きうる落語家のない時代だが、そのときには若手四天王となっていた。鬼籍の志ん朝といずれも還暦どころか古希を迎えてる
関西では四天王とは笑福亭松鶴、桂米朝、桂春団治、桂文枝
そのときでも今でもこの言葉は使われまい。
そもそも四天王のいわれは古い。
須弥山の頂上に住む帝釈天に使える持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)
四天王像としては、東大寺戒壇院のものが有名である。
日向の国には仏像の忿怒相の武人の姿の紀元2600年の記念の八紘一宇の塔がある。敗戦後取り外されていたが復活している。
それぞれ四方に睨みをきかしている。
持国天…東方を守護する。
増長天…南方を守護する。
広目天…西方を守護する。
多聞天…北方を守護する。毘沙門天とも呼ぶ。原語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天
その後毘沙門天は独尊で信仰を集める。
上杉謙信が特に信仰心を篤くしたのをNHKノドラマにあわせて読んだことがある。武田信玄しか知らなかったのに考え方が変わったときで歴史の見方を習った。
聖徳太子が蘇我馬子と物部守屋との戦いに参戦し物部守屋との戦いに勝利を祈念した
四天王寺創建の由来である。
鎮護国家をといた部分を含む金光明経が重視され諸国に金光明四天王護国之寺=国分寺が建立された。
源頼光の四天王は渡辺綱・足柄山の金太郎こと怪童丸と呼ばれていた山姥の子である坂田金時・碓井(うすい)貞光・卜部季武(うらべのすえたけ)
渡辺綱を有名にしたのは、なんといっても羅生門の鬼退治の武勇談である。当時、京は九条の羅生門には鬼が棲みついて、人々は恐れて近づかないという。そこで綱が出かけてゆき、みごと鬼の腕を斬りとってきたのである。
大江山の鬼の頭目は有名な酒呑童子である。多数の配下とともに里の民家を荒らしまわり、婦女子を掠め取っていくという。この山賊の巣窟に五人で乗り込んでいく勇猛の士である。
首領の頼光はシナの弓の名人養由基の娘から夢の中で希代の名弓を授けられたという。(謡曲『土蜘蛛』)
土蜘蛛は歌川豊国の描くところの文政3年(1820)歌舞伎役者図にある。
妖しい美女の姿で現れた土蜘蛛。「巍魂宿直噺(やままたやまおよづめばなし)」の一場面。、七代目市川団十郎(坂田金時)、五代目瀬川菊之丞(大くもの精)、五代目松本幸四郎(卜部季武)。
文化文政時代は歌舞伎に川柳・・文化咲き誇る華
出雲の阿国以来われら現代人の文化的後退性、どう進化してるいえるのか。
初世市川団十郎の荒事芸、京都で坂田藤十郎の和事芸が創始され江戸の荒事、上方の和事という芸風の違いひとつわからない。
「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」
ぐらいは知らないと恥ずかしい。
坪内逍遥らの文学者の作品である新歌舞伎にいたってはなぬをかいわんやである。
ナリコマヤ!掛け声ひとつかけるタイミングさえできない田舎者。
頼光は起きると弓を引いてみる
真赤ながきがおりますと綱はいい
羅生門綱おれが行くベイといい
勇将のもとに弱卒なし義経の四天王は
鎌田盛政・鎌田光政・佐藤継信・佐藤忠信とされるが、
武蔵坊弁慶・常陸坊海尊・伊勢義盛・亀井重清の4人もすてがたい。
和歌の二条為世の門弟の四天王、頓阿、慶運、浄弁、吉田兼好
江戸期は澄月、慈延、小沢蘆庵 伴蒿蹊
南北朝時代の4人は『今川了俊歌学書』『正徹物語』などに記されている。
江戸時代の4人は京都に住んでいた事から「平安の和歌四天王」と呼ばれた
すべて教育である
宮崎の日向は教育特区で4・3・2制を導入すると今日の新聞である。
小学校一年生からの英語教育はいいとしても
4年基礎、3年充実、2年発展が唯一の説明。子供たちの発展段階に応じた指導と不登校への適切な対応と並べてある。
チャンチャラおかしいのは中学校教師が小学校で教えるなど学年を超えた学習が可能になる。とある。バカミタイ。
うどん先生どうなってるのでしょう?よくわかりませ〜〜ん。
シュタイナー教育なるドイツのお話を聞いたことがあるが、フリースクールみたいではありませんか。
4〜500百もあるんだそうですね。日本でも。
私にはくだらない試行としか写らない。
いずれもとにもどる朝令暮改の文部省ではないのか。
何故にこれまでの6年3年でいけないのかわかりません。
中山文部大臣は日向の出身ですがどうにもなりませんわ〜〜。
全国的状況はどうなんですか。
国の基本がゆるいでる時期ゆえ何が起きてるかわからない状況が続いている。
串田孫一氏の訃報をみた「94051」のサインのお茶目さがいい。「山のパンセ」どこに言ったかあの著書
資金繰りができてなくてはオダブツ。
時間がないがすべてが手につかない一日。
爆弾抱えてては満足なる仕事になるわけがない。
義経はいいわな〜四天王どころか片腕一本ありゃしない。
http://blog.with2.net/link.php?62076 ←…クリック
はるかかなたのお江戸は遠い。
聞くに聴かれぬ名人噺。
こぶ平の林家正蔵ではどうにも頂けない。
「ぞろぞろ」なんか彦六じぶんでもピッタリであったあの正蔵の姿があるゆえだ。
やはりあそこまでやった小朝にやるべきですよ!香葉子さん。どちらもわが子ジャン!
血筋はいつの世もホント怖いものだ。
食わずもの嫌いでは、いけないがやはりイメージがある。
NHK朝の連続テレビ小説「わかば」は宮崎を舞台にしたお話であった。
8月の明治座(5〜28日)で舞台化されそうである。、
原田夏希(20)は清澄庭園で会見がテレビに流れた。
明治座なので歌舞伎座は歩いてもいける。
銀座四丁目のこの建物は四国の坊ちゃんの湯の雰囲気で威風堂々たるもの。
芝の増上寺迄行かなくてもよい。もっとも借景の東京タワーがあるのはここしかないけれど。
昼間ゆえに築地での生きのよいものを食ってでもよし。行きたいものである。
金と暇があればこそで残念ながら只今どちらも神は授けてくれない。
歌舞伎に落語とくれば三段目。円楽師で聴くのがいい。
暇な退屈な幕間ですることがないので弁当でも食おうかとする弁当幕。
かって仮名手本忠臣蔵の三段目は弁当幕といわれてたがその由来を説き明かしてくれる。
やはり出がお寺ゆえ説教調はこの人に限る。
十数年前に四天王として落語雑誌のグラビアになった。
四天王とは志ん朝、談志、円楽、円鏡=円蔵を称してである。
小朝、小三治、聴きうる落語家のない時代だが、そのときには若手四天王となっていた。鬼籍の志ん朝といずれも還暦どころか古希を迎えてる
関西では四天王とは笑福亭松鶴、桂米朝、桂春団治、桂文枝
そのときでも今でもこの言葉は使われまい。
そもそも四天王のいわれは古い。
須弥山の頂上に住む帝釈天に使える持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)
四天王像としては、東大寺戒壇院のものが有名である。
日向の国には仏像の忿怒相の武人の姿の紀元2600年の記念の八紘一宇の塔がある。敗戦後取り外されていたが復活している。
それぞれ四方に睨みをきかしている。
持国天…東方を守護する。
増長天…南方を守護する。
広目天…西方を守護する。
多聞天…北方を守護する。毘沙門天とも呼ぶ。原語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天
その後毘沙門天は独尊で信仰を集める。
上杉謙信が特に信仰心を篤くしたのをNHKノドラマにあわせて読んだことがある。武田信玄しか知らなかったのに考え方が変わったときで歴史の見方を習った。
聖徳太子が蘇我馬子と物部守屋との戦いに参戦し物部守屋との戦いに勝利を祈念した
四天王寺創建の由来である。
鎮護国家をといた部分を含む金光明経が重視され諸国に金光明四天王護国之寺=国分寺が建立された。
源頼光の四天王は渡辺綱・足柄山の金太郎こと怪童丸と呼ばれていた山姥の子である坂田金時・碓井(うすい)貞光・卜部季武(うらべのすえたけ)
渡辺綱を有名にしたのは、なんといっても羅生門の鬼退治の武勇談である。当時、京は九条の羅生門には鬼が棲みついて、人々は恐れて近づかないという。そこで綱が出かけてゆき、みごと鬼の腕を斬りとってきたのである。
大江山の鬼の頭目は有名な酒呑童子である。多数の配下とともに里の民家を荒らしまわり、婦女子を掠め取っていくという。この山賊の巣窟に五人で乗り込んでいく勇猛の士である。
首領の頼光はシナの弓の名人養由基の娘から夢の中で希代の名弓を授けられたという。(謡曲『土蜘蛛』)
土蜘蛛は歌川豊国の描くところの文政3年(1820)歌舞伎役者図にある。
妖しい美女の姿で現れた土蜘蛛。「巍魂宿直噺(やままたやまおよづめばなし)」の一場面。、七代目市川団十郎(坂田金時)、五代目瀬川菊之丞(大くもの精)、五代目松本幸四郎(卜部季武)。
文化文政時代は歌舞伎に川柳・・文化咲き誇る華
出雲の阿国以来われら現代人の文化的後退性、どう進化してるいえるのか。
初世市川団十郎の荒事芸、京都で坂田藤十郎の和事芸が創始され江戸の荒事、上方の和事という芸風の違いひとつわからない。
「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」
ぐらいは知らないと恥ずかしい。
坪内逍遥らの文学者の作品である新歌舞伎にいたってはなぬをかいわんやである。
ナリコマヤ!掛け声ひとつかけるタイミングさえできない田舎者。
頼光は起きると弓を引いてみる
真赤ながきがおりますと綱はいい
羅生門綱おれが行くベイといい
勇将のもとに弱卒なし義経の四天王は
鎌田盛政・鎌田光政・佐藤継信・佐藤忠信とされるが、
武蔵坊弁慶・常陸坊海尊・伊勢義盛・亀井重清の4人もすてがたい。
和歌の二条為世の門弟の四天王、頓阿、慶運、浄弁、吉田兼好
江戸期は澄月、慈延、小沢蘆庵 伴蒿蹊
南北朝時代の4人は『今川了俊歌学書』『正徹物語』などに記されている。
江戸時代の4人は京都に住んでいた事から「平安の和歌四天王」と呼ばれた
すべて教育である
宮崎の日向は教育特区で4・3・2制を導入すると今日の新聞である。
小学校一年生からの英語教育はいいとしても
4年基礎、3年充実、2年発展が唯一の説明。子供たちの発展段階に応じた指導と不登校への適切な対応と並べてある。
チャンチャラおかしいのは中学校教師が小学校で教えるなど学年を超えた学習が可能になる。とある。バカミタイ。
うどん先生どうなってるのでしょう?よくわかりませ〜〜ん。
シュタイナー教育なるドイツのお話を聞いたことがあるが、フリースクールみたいではありませんか。
4〜500百もあるんだそうですね。日本でも。
私にはくだらない試行としか写らない。
いずれもとにもどる朝令暮改の文部省ではないのか。
何故にこれまでの6年3年でいけないのかわかりません。
中山文部大臣は日向の出身ですがどうにもなりませんわ〜〜。
全国的状況はどうなんですか。
国の基本がゆるいでる時期ゆえ何が起きてるかわからない状況が続いている。
串田孫一氏の訃報をみた「94051」のサインのお茶目さがいい。「山のパンセ」どこに言ったかあの著書
資金繰りができてなくてはオダブツ。
時間がないがすべてが手につかない一日。
爆弾抱えてては満足なる仕事になるわけがない。
義経はいいわな〜四天王どころか片腕一本ありゃしない。
http://blog.with2.net/link.php?62076 ←…クリック
コメント