ふみ、詩 五箇条の御誓文
2005年7月13日文化不毛の地宮崎で自慢できるもののただひとつに全国レベルをはるかに超えトップにある詩の世界のことがある。
県北の渡辺修三,県南の富松良男,宮崎の神戸雄一谷村博武らをその先駆者として挙げるのに異論はなかろう。
井伏鱒二と親交のあった神戸雄一は林芙美子とも交流があり多くの書簡を保管され日向のレベルを上げられ若手詩人に引き継がれた宮日文化人。
芥川・直木賞に匹敵する詩の世界の最高な名誉にH氏賞がある。
二年連続の杉谷昭人、本多とH氏受賞者を生み出しその意志は引き継がれている。
私も金丸桝一、黒岩敏郎、数限りない人材、人となりに触れてきた。いずれ劣らぬ人々の功績。
H氏賞なる謎めいた名は詩の世界以外の人にはわからないであろう故、記すとこうである
平沢貞二郎の頭文字を取ったのである。
若い人を育てたいとのことから自己資金の匿名でこの賞が1951年に創設された。
プロレタリアート詩人で草野心平らと現代詩人会を設立もされている。
この会がH氏賞を運営している。
名前を出さないところがシャイで素敵なんだが、いろんな誤解も生んできたこともある。
詩壇のボス、歪められた人物像。今では仕方なくベールを脱いでいる。
杉谷さんの表彰後になくなられたのも数奇な出来事である。
個人名を挙げてる方々も鬼籍に入られている方々。俵万智の出現以前のお話である。
小説が中央のもとするなら誌は地方のものの分類はチョト乱暴か。
源氏鶏太や山口瞳、石坂洋二郎はやはり都会のセンスであろう。主題さえも含めて。
よって地方たる日向に先月こんなニュースが流れた。
中也のハガキ発見である。
詩人、中原中也(1907−37)が、早稲田の学友で詩人日向の高森文夫に送ったはがきが、東郷町の高森の実家で発見され、120年祈念でオープンした若山牧水記念文学館で公開されてる。
中也が高森にあてた書簡約60通は敗戦後、すべて紛失していたとみられていたが、高森がしおりとして本に挟んでいたものが見つかった。
はがきは1935年4月17日付。第一詩集「山羊の歌」と時期を機ひとつにする。
卒業後に郷里に帰った高森に
「淋しい 誰に会っても余り面白くない」
「君がゐなくなつて僕は全く淋しいことだ」と当時の心境を打ち明けている内容である。
高森は東郷町長などを歴任詩集「浚渫船」を出している。
その高森を訪ね3度ほど日向を訪ねてる中也は宮崎とつながりが深い。山口・湯田の中也記念館を尋ねたことがあるが日向のことはそう強調してはなかった。
青春期の彷徨こそ人生を決定付ける。見直されなければならない中也研究である。
リョー君に首どころか恋ったけのchuyaさんには余裕はないんだろうな〜〜。
山大教育を出た息子は教員をしてるがどこで何をしてるのか、
中也自由研究に新たな発見もあろうに。
さらに姉妹都市まで発展すればいいのにまずは人材である。
二人の交友は中也が31年、音楽評論家の吉田秀和を訪ねた際に知り合い、翌32年には2人で九州を旅行するなど交際を続けた。
中也の写真や中也の自筆署名入り訳詩集も同時に公開。
写真はカヤの上に寝そべる中也を撮影したもので初公開になるという。
実は書いてきたのは
五箇条の御誓文 草稿を福井県が2388万円で落札に触発されてである。
福井県は12日、明治政府が新国家の基本方針を記した
「五箇条の御誓文」の草稿をオークションで落札したと発表した。
落札価格は2388万8000円。起草者で福井藩士だった由利公正(きみまさ)の功績を顕彰する目的で、県立図書館などで展示する。
五箇条の御誓文は1868年、政府参与だった由利が起草。福岡孝弟(たかちか)と木戸孝允が加筆修正した。購入したのは、由利の毛筆草稿に福岡が加筆したものと、福岡が清書したものの2種類。由利家が所蔵していたが、第三者の手に渡ったという。
(毎日新聞) - 7月13日10時37分更新
本当にこの国にある著一級の歴史資料には驚く。
10KW太陽光発電、700坪の工場改装の見積書を作成しているが、少なからずとも気になるニュースであった。
緊急たる資金調達をしないと国から迫られてる交通事故50万円の罰金の問題を含めすべてはENDとなる
このビッグ・プロジエクトをやらずして、これまでの苦労がなんになろう。
儲かることにはどうにも無縁なる私のようであります。
救世主は現れてもらえないものか。
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暑いですね
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