7月12日の日記

2005年7月12日
感激、感動を告白すると小学生時代の始めてみた海と20歳を過ぎてはじめて乗った飛行機で
富士山を眼下にみたときである。
偏狭なる山間に育ったことと、戦争で国家が滅亡し、再建中での耐乏生活故からである。
初めて海を体験したとき私は海水の塩辛さを友の誰からも知られないように密かに口に含み淡水と違うことをかみしめた。
夜に寝入るに辺り、寝入れなかったのは暑苦しいさからでも興奮してカラでもなかった。
海の端っこが無限の滝でザア〜ザァ〜と落ちてることを想像してたからである。
もちろん隣で寝入ってる兄にも聞こうとはしなかった。ただ一人想像し悩んだ。
知らぬことを覚えていく大人になっていく不安から寝入れなかったのであった。

海よかげれ 水平線の 黝(くろみ)より
   雲よ出で来て 海わたれかし
日向市美々津町 権現崎      
  若山牧水 S.38.9.17

時代は違うが牧水が海を初めて見たのは7歳坪谷川から耳川へ高瀬舟で下り美々津に辿り着いたときである。
「船がまさに美々津に着こうとするとき目の前の砂丘を越えて雪のような飛沫を散しながら
青々とうねりあがる浪を見て母の袖にしっかりと捉まりながら驚きあこがれて何者なるかを問うた。
母は笑いながらアレは浪だと教えてくれた。船が岸に着くや母はわざわざ私を砂丘の方に導いてさらに驚くべき海、大洋を教えてくれた。そのときから今日まで海は切実に切っても切れぬ私の命の寂しい伴侶となっているのである。」

今夜も寝られそうにないほどの感動を得た。
宮崎まで送ると言うのである。
昨日の延岡で消火栓を触ったら漏水がとまらないとTELである。
丁度未払い工事金のお話をしてる最中でトラブルがダブッテルのである。
お話の終了後天神バスセンターをやり過ごし空港近くである。
西鉄井尻駅でようやく降ろしてもらい別れたが
私よりお人好しが世の中に居られるのか。
儀をみてせざるはいうなきなり。水戸陽明学をそのままに生きておられる。儀の人。
お金さえ渡そうとされるのだ。
イヤ〜ア実に感動した。
告白してはならないことの告白である。
クリスリャンの協会の懺悔の部屋。
一仕事おえ、同じ場所に立っている。
ふるさとの 訛りなつかい 停車場に 石川啄木の心境。
朝この天神バスセンターでの格闘劇は相当なものであった。
必死の懇願にご理解をいただいたが形相は、おそらく「あ・うん」の仁王像であったろう。
どうにか、11時30分からの現地入りを強引過ぎる手法で大成功。
あまりにも無茶なやり方では顰蹙を買おう。
私はクーラーの修理に来てるのである。
ところでお粗末な私共の施工が原因。
ドレンのツケ間違いに加え冷媒管の左右逆での冷却ガスが動いてないほうに接続してあるため凍りついてて、より一層の水漏れを起こしていたのである
また、ドレンを潰してては水は流れないわいな〜。これ以上は書くのが恥ずかしい。
これで何とか危機は脱出、汚名挽回でなく汚名返上のために奮闘できた。
しかしながら、さ〜て仕事はまたもや逃げそうである。
誠意は通じないものか。
夜に帰宅して、先輩より頂きし、最後のナスをソーメンで溶いての味噌汁を医食同源の心境でおし頂く。
陰部なる小林製薬の白癬菌との闘いに取り組む。
この自家治療のときは大勢集まり団扇でバタバタしながら痛みに耐えたものである。
すべてが幼きしきころの光景と同じであるが孤立無援のみが違うのみ。
屁をひっても可笑しくもなし一人暮らし。
ここまでして取り組んでも赤字幅が膨れてはしょうがない。
採算でみんなが動かないと大変な自体を迎えている。

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