大プロジェクトのスタート
2005年7月22日企業活動のすべてをブログで公表する輩はまずはいまい。
とかくお金にまつわるお話はアングロ・サクソン系ではないゆえ苦手が瑞穂の国の標準であろう。
ホリエモンの登場で拝金思想もここまで来てるかの感で唖然としてる旧態の経営者感覚である。
かって幸せになるにはお金はそう必要なる物ではなかったゆえである。ところが、いまやお金は力で正義でもある。
貧乏ものは人格さえ疑われるご時世。
流通革命とか価格破壊とかショッキングな報告で仕入れ価格がいくらで売上価格がいくらと明示された報告があるはずもない。
落語の世界の与太郎さんのとうなす売りではない。
商売はすべからず人には言うなよ語るなよ!である。
この世に真実は出回ってはいない。儲け話の殆んどは詐欺まがいと思っておけば事足りよう。
昨夜まさに晴天の霹靂なる経験をした。
長き人生であるが、あまりにもビッグなお話に出くわすことはそうない。
この時勢ゆえマルクスが官憲の目を避け序文に書いたようにイソップ言葉で語るしかない。
いい比喩がないが、さしずめNHKプロジェクト・Xをはじめてみた異様なる感動に似てる。
かの男のロマンを掻き立てる番組が登場したのはHPによると
第1回放送が2000年3月28日
「巨大台風から日本を守れ」〜富士山頂・男たちは命をかけた〜
である。
20世紀を変えた電気通信技術に贈られる技術界のノーベル賞「IEEE賞」。
2000年の受賞は、日本が生んだ世界最大の気象レーダー「富士山レーダー」であった。
四季があり世界一地球環境の恩恵にあやかってる 日本列島ではあるが台風常襲ははどうにもいただけない。
そこで富士山頂に建設された巨大レーダーは、あらゆる意味で常識破りなプロジェクトによる産物だった。
お役所の典型たる入札制度を無視して強行された「気象庁の官民プロジェクト
標高3700mという史上例のない高地での大規模土木工事。
そして、乱気流が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への“巨大レーダー”空輸。
昭和39年8月15日、元ゼロ戦パイロットが熟練の操縦技術でヘリコプターを操り、620kgの巨大レーダーを富士山頂に送り届けることに成功。
世界最大の気象レーダー建設に情熱を傾けた、官民プロジェクトの「不可能」への挑戦を描く。
<登場する主な人物>
藤原寛人さん(当時、気象庁観測部補佐官)
伊藤庄助さん(当時、富士山レーダー建設工事の現場監督)
神田真三さん(当時、レーダーのドームを富士山頂までヘリコプターで空輸)
実に感動の連続で第一回を視聴した。その後テレビをあまり見ない私でさえこの番組のファン。先日は「あちこちに電話をしまくり冷や汗をかいた。
第175回 6月21日放送 「炎なき台所革命」〜IHに懸けた30年〜
である。開発者にナショナルを意識させるくだりが数多く出る。
私共はこのとき三菱の仲間にぜひみていただけるように薦めてたからである。
スタッフ陣も厳選されているようだ。
ナレーターからしてまさにプロジェクトXそのものではないか。かって納谷吾郎ばり口調である。
田口トモロヲ
1957年11月30日、東京都吉祥寺生まれ。大学中退後、漫画家、ライター、イラストレーターなどの仕事をする。1978年に劇団「発見の会」で舞台デビュー。さらに、1982年には 内藤誠監督の「俗物図鑑」で映画デビューした。1984年にはパンクバンド「ばちかぶり」を結成し、音楽活動も開始。 イン
ディーズレーベルでレコードを出し、ライブ活動も行う。1989年、塚本晋也監督の「鉄男」主演をきっかけに、映画出演を中心とした 俳優活動を開始。以後、多数の映画に出演。1996年度日本映画プロフェッショナ ル大賞功労賞、1997年度毎日映画コンクール助演男優賞を受賞した。近年は、みうらじゅん氏
と「ブロンソンズ」を結成し、CD、本も発売。ウィークリー番組のナレーションは、「プロジェクトX」が初・
国井雅比古(まさひこ)確かこのひとの父君は歴史学者でアッつたハズだが確かめる時間がない。
昭和24年、山梨県生まれ。東京大学卒業。
昭和48年、NHK入局。現在はエグゼクティブアナウンサー。
勤務地は、富山〜旭川〜東京〜名古屋〜(平成10年から)東京・アナウンス室
これまでの担当番組
「くらしのカレンダー」
「ぐるっと海道3万キロ」
「日曜美術館」
「食卓の王様」
趣味・特技・好きなこと釣り/酒 。
膳場貴子(ぜんば・たかこ)
昭和50年、東京都生まれ。東京大学卒業。
平成9年、NHK入局。
勤務地は、静岡〜(平成12年から)東京・アナウンス室。
これまでの担当番組
「おはよう静岡」
「膳場貴子のほっとブレイク」
「おはよう日本(土・日・祝)」
趣味・特技・好きなこと: 新人アーティスト探し
「プロジェクトX」は、熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、戦後の画期的な事業を実現させてきた「無名の日本人」を主人公とする「組織と群像の知られざる物語」である。
今も記憶に新しいあの社会現象、人々の暮らしを劇的に変えた新製品の開発、日本人の底力を見せ付けた巨大プロジェクト…。戦後、日本人は英知を駆使し、個人の力量 を“チームワーク”という形で開花させてきた。戦後日本のエポックメイキングな出来事の舞台裏には、いったいどのような人々がいたのか。成功の
陰にはどのようなドラマがあり、数々の障害はいかなる秘策で乗り越えられたのだろうか。
番組では、先達者たちの「挑戦と変革の物語」を描くことで、今、再び、新たなチャレンジを迫られている21世紀の日本人に向け「挑戦への勇気」を伝えている。
テレビ画面はガッチリと東大卒で固め
さり気なくまわりにバランス配置の気配りは流石にNHKである。
昨今有料放送料金のお話を聞くが使命を忘れてはならない。
わがアパデン宮崎の生まれ変わるときが来た。社名変更もこの際断行。サンデン宮崎で決まりである。
この時期ゆえ気をつけなければならぬ。
受けたご恩がようやく返せよう。
見返してやれ!とは怨念めいてなぜかいやだが苦労の末の光明だとすればきらびやかなイメージさえする出世物語りとなろう。
ふってわいた災難とはいうが今回はふってわいたしあわせ!
宮崎一の太陽光発電から・・しあわせお裾分け。
盛者必衰の理をあらはす//盛者必衰のフレーズは私のお気に入り。気に入りません?
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
しゃら双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢の如し
たけき者もつひには滅びぬ
ひとへに風の前の塵に同じ。(平家物語より)
このブログは、しあわせ呼び込むブログです。
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貧乏神が逃げていきます。
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とかくお金にまつわるお話はアングロ・サクソン系ではないゆえ苦手が瑞穂の国の標準であろう。
ホリエモンの登場で拝金思想もここまで来てるかの感で唖然としてる旧態の経営者感覚である。
かって幸せになるにはお金はそう必要なる物ではなかったゆえである。ところが、いまやお金は力で正義でもある。
貧乏ものは人格さえ疑われるご時世。
流通革命とか価格破壊とかショッキングな報告で仕入れ価格がいくらで売上価格がいくらと明示された報告があるはずもない。
落語の世界の与太郎さんのとうなす売りではない。
商売はすべからず人には言うなよ語るなよ!である。
この世に真実は出回ってはいない。儲け話の殆んどは詐欺まがいと思っておけば事足りよう。
昨夜まさに晴天の霹靂なる経験をした。
長き人生であるが、あまりにもビッグなお話に出くわすことはそうない。
この時勢ゆえマルクスが官憲の目を避け序文に書いたようにイソップ言葉で語るしかない。
いい比喩がないが、さしずめNHKプロジェクト・Xをはじめてみた異様なる感動に似てる。
かの男のロマンを掻き立てる番組が登場したのはHPによると
第1回放送が2000年3月28日
「巨大台風から日本を守れ」〜富士山頂・男たちは命をかけた〜
である。
20世紀を変えた電気通信技術に贈られる技術界のノーベル賞「IEEE賞」。
2000年の受賞は、日本が生んだ世界最大の気象レーダー「富士山レーダー」であった。
四季があり世界一地球環境の恩恵にあやかってる 日本列島ではあるが台風常襲ははどうにもいただけない。
そこで富士山頂に建設された巨大レーダーは、あらゆる意味で常識破りなプロジェクトによる産物だった。
お役所の典型たる入札制度を無視して強行された「気象庁の官民プロジェクト
標高3700mという史上例のない高地での大規模土木工事。
そして、乱気流が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への“巨大レーダー”空輸。
昭和39年8月15日、元ゼロ戦パイロットが熟練の操縦技術でヘリコプターを操り、620kgの巨大レーダーを富士山頂に送り届けることに成功。
世界最大の気象レーダー建設に情熱を傾けた、官民プロジェクトの「不可能」への挑戦を描く。
<登場する主な人物>
藤原寛人さん(当時、気象庁観測部補佐官)
伊藤庄助さん(当時、富士山レーダー建設工事の現場監督)
神田真三さん(当時、レーダーのドームを富士山頂までヘリコプターで空輸)
実に感動の連続で第一回を視聴した。その後テレビをあまり見ない私でさえこの番組のファン。先日は「あちこちに電話をしまくり冷や汗をかいた。
第175回 6月21日放送 「炎なき台所革命」〜IHに懸けた30年〜
である。開発者にナショナルを意識させるくだりが数多く出る。
私共はこのとき三菱の仲間にぜひみていただけるように薦めてたからである。
スタッフ陣も厳選されているようだ。
ナレーターからしてまさにプロジェクトXそのものではないか。かって納谷吾郎ばり口調である。
田口トモロヲ
1957年11月30日、東京都吉祥寺生まれ。大学中退後、漫画家、ライター、イラストレーターなどの仕事をする。1978年に劇団「発見の会」で舞台デビュー。さらに、1982年には 内藤誠監督の「俗物図鑑」で映画デビューした。1984年にはパンクバンド「ばちかぶり」を結成し、音楽活動も開始。 イン
ディーズレーベルでレコードを出し、ライブ活動も行う。1989年、塚本晋也監督の「鉄男」主演をきっかけに、映画出演を中心とした 俳優活動を開始。以後、多数の映画に出演。1996年度日本映画プロフェッショナ ル大賞功労賞、1997年度毎日映画コンクール助演男優賞を受賞した。近年は、みうらじゅん氏
と「ブロンソンズ」を結成し、CD、本も発売。ウィークリー番組のナレーションは、「プロジェクトX」が初・
国井雅比古(まさひこ)確かこのひとの父君は歴史学者でアッつたハズだが確かめる時間がない。
昭和24年、山梨県生まれ。東京大学卒業。
昭和48年、NHK入局。現在はエグゼクティブアナウンサー。
勤務地は、富山〜旭川〜東京〜名古屋〜(平成10年から)東京・アナウンス室
これまでの担当番組
「くらしのカレンダー」
「ぐるっと海道3万キロ」
「日曜美術館」
「食卓の王様」
趣味・特技・好きなこと釣り/酒 。
膳場貴子(ぜんば・たかこ)
昭和50年、東京都生まれ。東京大学卒業。
平成9年、NHK入局。
勤務地は、静岡〜(平成12年から)東京・アナウンス室。
これまでの担当番組
「おはよう静岡」
「膳場貴子のほっとブレイク」
「おはよう日本(土・日・祝)」
趣味・特技・好きなこと: 新人アーティスト探し
「プロジェクトX」は、熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、戦後の画期的な事業を実現させてきた「無名の日本人」を主人公とする「組織と群像の知られざる物語」である。
今も記憶に新しいあの社会現象、人々の暮らしを劇的に変えた新製品の開発、日本人の底力を見せ付けた巨大プロジェクト…。戦後、日本人は英知を駆使し、個人の力量 を“チームワーク”という形で開花させてきた。戦後日本のエポックメイキングな出来事の舞台裏には、いったいどのような人々がいたのか。成功の
陰にはどのようなドラマがあり、数々の障害はいかなる秘策で乗り越えられたのだろうか。
番組では、先達者たちの「挑戦と変革の物語」を描くことで、今、再び、新たなチャレンジを迫られている21世紀の日本人に向け「挑戦への勇気」を伝えている。
テレビ画面はガッチリと東大卒で固め
さり気なくまわりにバランス配置の気配りは流石にNHKである。
昨今有料放送料金のお話を聞くが使命を忘れてはならない。
わがアパデン宮崎の生まれ変わるときが来た。社名変更もこの際断行。サンデン宮崎で決まりである。
この時期ゆえ気をつけなければならぬ。
受けたご恩がようやく返せよう。
見返してやれ!とは怨念めいてなぜかいやだが苦労の末の光明だとすればきらびやかなイメージさえする出世物語りとなろう。
ふってわいた災難とはいうが今回はふってわいたしあわせ!
宮崎一の太陽光発電から・・しあわせお裾分け。
盛者必衰の理をあらはす//盛者必衰のフレーズは私のお気に入り。気に入りません?
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
しゃら双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢の如し
たけき者もつひには滅びぬ
ひとへに風の前の塵に同じ。(平家物語より)
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貧乏神が逃げていきます。
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