台風
2005年7月27日ブログを書き始めた頃は地球環境への警鐘記事に満ち溢れていた。その初期の頃はこのサーバーの切り替えの際に全て消滅されてしまった。実にもったいないことである。
数字を掲げ、説得力を持たせていたのに残念である。
近頃はどうもそのときの視点からの記事が少ないような気がする。
同じことを百遍も繰り返せばウソも真実になる。
そのことはナチス・ヒットラーの圧制を実現した宣伝相ゲッペルスの言葉であった、似通った生地が多くなりコラム風の今のものになったのである。自然の問題に軸足を移して考えてみた。
宮崎は台風銀座と揶揄されるほど台風の襲来を受けてきた。
それがどうにもこなくなった。宮崎を避けて通る。黒潮の流れの変化と海水温の上昇が台風のエネレギー源としてその進路の変化が起こってるさまであろう。
今度の台風もそうであった。三陸沖にある台風は暴風域がない。海の温度が低いので上昇気流のエネルギーが足りないのであろう。
台風時期は米の刈り取りで苦労するであろうが普通作の一部の残る都城方面以外は何らの支障はない。
台風がもたらす豊饒のお客さんで考えてみると多大な自然の水環境の神である。
稲作1反10a当り昭和25年・・・・207時間
平成7年・・・・・38時間
幼少の頃は2・4ーDなる除草剤はなく水源の水路には小魚が溢れていた。
1945年の米 587万トン
平成の米 1000万トン人口一日200グラムで3兆円の価値。
一石は180キログラムで一年間の食する量。
1粒で10=13株に分結してw120〜130粒で1200〜1300になる
延岡の甲斐さんは特別。4日ごと田植え。話にならぬ。
年間降水量2000mmで世界平均900mmの倍。
全水田280万ha
整理済み140万haに30cmの水を張る
未整理140万haに30cmの水を張る60億トンの貯水能力となる。
日本のダム貯水能力は15億トンでナント4倍の貯水能力のダムである。
宮崎と台風の状況
発生 接近 上陸
平成15年 21 12 2
14年 26 13 3
13年 26 11 2
71年〜03年 26.7 10.8 2.6
地球の水比率
淡水・・・・2.24
地表水・・・0.26
海水・・・・97.5
食物は水で作る”穀物1トンが水 1,000 トンに相当する.
麦文化圏より米文化圏のほうが理にかなってる。
台風の風は海のエネルギー帆船は古くから使われ樽廻船とかの名で日本各地をつないだ、さらに3本マストの御朱印船まで到達していた船舶技術も鎖国政策で中断。
帆掛け船の帆は風車の翼で言えば抗力型であり、西洋で発達した
マルチマストの帆船の揚力型に比べると風の利用効率が低かった。
太平の世を覚ました黒船の来襲はその姿の異様さにも合ったはずだ。
元寇の「神風」に代表される神国日本?を守る台風、
「風神・雷神図」に描かれた風神、日本は古くから風の強い国である。
中国語起源説、アラビア語起源説、ギリシア語起源説などがあり、はっきりしていない。
“説得力があるのが中国語起源説、
、昔は“颱風”と書いていた“風偏に台”、いかにも台風に相応しい。
“颱”という一文字だけで台風。大風(タイフーン)。
そこから英語の“typhoon”という言葉が生まれ、明治時代に藤原中央気象台観測員の藤原が英語の“typhoon”をもじって“台風”
「神道」の祝詞「大祓詞」には、「科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き拂う事の如く」と風は人間が知らず知らずに犯す「諸諸の禍事罪穢」を祓い清める媒体の例えとして登場する。
菅原道真
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」拾遺集 や
藤原敏行
「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」
古今集のように、風は情報伝達のメディアで偲びの「風の便り」もその類であろう。
ちなみに小倉百人一首では風が詠まれている歌は10首、嵐の2首、山おろしの1首を加えて合計13首だそうな。
先人は風の力によって動かされる雲や植物や水などの「物」を見て「心」の平静をたもった。
「和歌」の伝統は現代にも受け継がれ平成4年(1992年)の歌会始の御題は風。
「ピナツボの火山灰(よな)運び来しの風今宵加州を金色に染む」 藤田 実在カリフォルニア州
「ビル風に巻き込まれたる盲導犬はあるじと共に足を踏ん張る」 山下アイ子神奈川在
地熱と風力とビル利用風車等々自然エネルギーを感じ取れる。
今人類は、化石燃料を大量に使って貴重な地球のストックを消費している。
特に化石燃料資源に恵まれない日本の使命は重大で太陽光発電はその使命に答え得ねばならない。
このような書き方であった。
あわよくば太陽光発電工事の受注との思惑があったことは隠せない。ほんの少しのことではあったが、それを意図していた。
今日もそうである。オゾンのそうちを設置した。
オゾンは殺菌力や白脱する力があり、給食室などで殺菌処理などで用いられる。
長崎よりオゾン発生装置を持ち込み、チリメンジャコに用いてみることとして設置した午後であったが、時化で漁がなかったのでカラ振り。明日朝九時頃で仕切りなおし。
あの三陸沖の台風のためである。
このお天気状態でも、魚業者は台風なのである。
自然の懐の大きさには勝てやぁ〜せぬ。台風一過と簡単にいえないのを実感させられている
日程の変更であるが、私が攻められても仕方ない。
自然のせいにしてほおかぶり。
世渡りの術に台風はいい。(ゴメンね台風さん)
備えあれば憂いなし。そんな流暢な陣容はいない
雨降って地かたまる。何とか孤軍奮闘凌いでいる。。
災害は忘れた頃にやってくるとはけだし名言
それもそのはず寺田寅彦の言葉である。
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数字を掲げ、説得力を持たせていたのに残念である。
近頃はどうもそのときの視点からの記事が少ないような気がする。
同じことを百遍も繰り返せばウソも真実になる。
そのことはナチス・ヒットラーの圧制を実現した宣伝相ゲッペルスの言葉であった、似通った生地が多くなりコラム風の今のものになったのである。自然の問題に軸足を移して考えてみた。
宮崎は台風銀座と揶揄されるほど台風の襲来を受けてきた。
それがどうにもこなくなった。宮崎を避けて通る。黒潮の流れの変化と海水温の上昇が台風のエネレギー源としてその進路の変化が起こってるさまであろう。
今度の台風もそうであった。三陸沖にある台風は暴風域がない。海の温度が低いので上昇気流のエネルギーが足りないのであろう。
台風時期は米の刈り取りで苦労するであろうが普通作の一部の残る都城方面以外は何らの支障はない。
台風がもたらす豊饒のお客さんで考えてみると多大な自然の水環境の神である。
稲作1反10a当り昭和25年・・・・207時間
平成7年・・・・・38時間
幼少の頃は2・4ーDなる除草剤はなく水源の水路には小魚が溢れていた。
1945年の米 587万トン
平成の米 1000万トン人口一日200グラムで3兆円の価値。
一石は180キログラムで一年間の食する量。
1粒で10=13株に分結してw120〜130粒で1200〜1300になる
延岡の甲斐さんは特別。4日ごと田植え。話にならぬ。
年間降水量2000mmで世界平均900mmの倍。
全水田280万ha
整理済み140万haに30cmの水を張る
未整理140万haに30cmの水を張る60億トンの貯水能力となる。
日本のダム貯水能力は15億トンでナント4倍の貯水能力のダムである。
宮崎と台風の状況
発生 接近 上陸
平成15年 21 12 2
14年 26 13 3
13年 26 11 2
71年〜03年 26.7 10.8 2.6
地球の水比率
淡水・・・・2.24
地表水・・・0.26
海水・・・・97.5
食物は水で作る”穀物1トンが水 1,000 トンに相当する.
麦文化圏より米文化圏のほうが理にかなってる。
台風の風は海のエネルギー帆船は古くから使われ樽廻船とかの名で日本各地をつないだ、さらに3本マストの御朱印船まで到達していた船舶技術も鎖国政策で中断。
帆掛け船の帆は風車の翼で言えば抗力型であり、西洋で発達した
マルチマストの帆船の揚力型に比べると風の利用効率が低かった。
太平の世を覚ました黒船の来襲はその姿の異様さにも合ったはずだ。
元寇の「神風」に代表される神国日本?を守る台風、
「風神・雷神図」に描かれた風神、日本は古くから風の強い国である。
中国語起源説、アラビア語起源説、ギリシア語起源説などがあり、はっきりしていない。
“説得力があるのが中国語起源説、
、昔は“颱風”と書いていた“風偏に台”、いかにも台風に相応しい。
“颱”という一文字だけで台風。大風(タイフーン)。
そこから英語の“typhoon”という言葉が生まれ、明治時代に藤原中央気象台観測員の藤原が英語の“typhoon”をもじって“台風”
「神道」の祝詞「大祓詞」には、「科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き拂う事の如く」と風は人間が知らず知らずに犯す「諸諸の禍事罪穢」を祓い清める媒体の例えとして登場する。
菅原道真
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」拾遺集 や
藤原敏行
「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」
古今集のように、風は情報伝達のメディアで偲びの「風の便り」もその類であろう。
ちなみに小倉百人一首では風が詠まれている歌は10首、嵐の2首、山おろしの1首を加えて合計13首だそうな。
先人は風の力によって動かされる雲や植物や水などの「物」を見て「心」の平静をたもった。
「和歌」の伝統は現代にも受け継がれ平成4年(1992年)の歌会始の御題は風。
「ピナツボの火山灰(よな)運び来しの風今宵加州を金色に染む」 藤田 実在カリフォルニア州
「ビル風に巻き込まれたる盲導犬はあるじと共に足を踏ん張る」 山下アイ子神奈川在
地熱と風力とビル利用風車等々自然エネルギーを感じ取れる。
今人類は、化石燃料を大量に使って貴重な地球のストックを消費している。
特に化石燃料資源に恵まれない日本の使命は重大で太陽光発電はその使命に答え得ねばならない。
このような書き方であった。
あわよくば太陽光発電工事の受注との思惑があったことは隠せない。ほんの少しのことではあったが、それを意図していた。
今日もそうである。オゾンのそうちを設置した。
オゾンは殺菌力や白脱する力があり、給食室などで殺菌処理などで用いられる。
長崎よりオゾン発生装置を持ち込み、チリメンジャコに用いてみることとして設置した午後であったが、時化で漁がなかったのでカラ振り。明日朝九時頃で仕切りなおし。
あの三陸沖の台風のためである。
このお天気状態でも、魚業者は台風なのである。
自然の懐の大きさには勝てやぁ〜せぬ。台風一過と簡単にいえないのを実感させられている
日程の変更であるが、私が攻められても仕方ない。
自然のせいにしてほおかぶり。
世渡りの術に台風はいい。(ゴメンね台風さん)
備えあれば憂いなし。そんな流暢な陣容はいない
雨降って地かたまる。何とか孤軍奮闘凌いでいる。。
災害は忘れた頃にやってくるとはけだし名言
それもそのはず寺田寅彦の言葉である。
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