太陽光発電?
2005年9月2日ご愛読させていただいてるブログの方になんか、いつもにないほほえましいものを感じた。
太陽光発電の営業マンが来たとのことである。
まっさか、せきやんさんジャ〜なかったろうな。
ではここに居る俺は誰だろうのサゲの落語さえ思い出す。
太陽光発電は私のライフ・ワークすぐにでも江戸の地に飛んでいくあわてんぼうでお人よしの中村斤之助演ずる一心太助の心境である。
居てもたってもいられない。
太陽光発電を設置なさるなら、どこの方よりも廉価で丁寧に設置しましょう。ともかく、私が設置しましょう。
(ガンバレ!しっかり、営業しろ!)(笑い)
もちろん復旧部分も考慮してである。条件はまったく同じで。
で・・困るのは旅費の捻出である。
なんか社内旅行費をそれにあてる具合しか知恵がわかない。
メーカーを巻き込んでの研修費を生み出させたい。
設置に当たっては
KW単価で安いのか高いのかを出さないとダメ!です。
設置後の経済性も大きなファクターです。
方針が決まったらお知らせください。
ただ9月は今しばらくお待ちください。
IHは絶対お得で便利なものです。
さらに太陽光発電で貴宅に初めて生産財が生まれます。
太陽を利用した儲けごとが可能になるのです。
さらに環境に貢献。
そしてささやかなる、生活改善が毎月の支出の範囲内で可能になります。
もちろんそれが実現できる業者との出会いです。
遠方でもメンテの心配は要りません。
必ず地元業者を依頼して工事現場を引き上げるからです。
東京に太陽光発電・・・楽しみが増えました。
アースデーの討議の結論は多くの示唆に富む。
私たちの地球はひとつしかなくて、皆その一員だということ。
ここ数十年で人類はこの惑星の環境を変える力を持つ唯一の種となった。
木をひとつ残らず切り倒していく地域があれば、ある地域では農業を営んでいる。
だが1940年代から50年代頃から、ある地域の問題がその地域だけで解決できるものではなくなってきてしまった。
例えば農薬が地球上を漂い始めたりとか、オゾン・ホールの問題、地球温暖化の問題など。
人類はこの惑星を変える能力を持っているけれど、
それによって引きおこされた問題は一国だけでなんとかなるものではなくなってしまった。
例えば日本が石炭・石油、ガソリンを燃やすのを止めたとしたって、それだけでは地球温暖化は改善されない。
アメリカ、韓国、中国、ロシア、その他の国々だって、一国だけでは改善されない。
だから日本にとって大切なメッセージはアメリカや他の国にとっても同じように大切なんだ。
世界はひとつだけで、みんなその中の一部だということ。
だから一緒に解決していかなければならない。
事実は小説より奇なりの言葉は講談師・宝井馬琴の語り口で耳に入った。
言葉・語彙を増やしたのは落語浪曲講談などのことばを売る人たちからラジオで学んだ。
情報化時代の現代では思考出来なき社会的状況があった。
よってウソができなく、世渡り下手でオレオレ詐欺の類に弱い世代。
常に真摯ゆえ営業ができない。真剣勝負だからである。
どうにもそれがいけない。メいっぱいではダメなのである。
ある程度の「間」は年寄りでもあり、なぜに取得できないのか。
100KWの最終日に夜にお伺いしたがどうなるのか。
激変の問題が惹起してくるのやも知れない。
思い出すのは時代が正しさを証明してる人のことである。
肥後小国の山林地主であった室原知幸の生涯は、59歳のときに激変する。
1957年に建設省が筑後川治水のため下筌・松原ダムの建設を計画するが、彼の住む志屋集落は水没地域。
村人の要請で、反対運動の指導者となつた彼は、ダム建設は、
「法にかない、理にかない、情にかなう」ものでなければならないとし、
予定地の険しい山腹に「蜂ノ巣砦」を築いた。
次々と繰り出される訴訟は、彼が大学時代に大正デモクラシーを求める学生運動の演説で聞いた
田中正造の足尾鉱毒事件に対する闘争を髣髴させるもの。
彼の過激で効果的な反対闘争のため国側が立ち往生する大闘争に発展。
、彼が提示した「公権と私権の相克」という問題は70年代における住民運動のテーマ。
この蜂の巣城のゆくえはだれも予測できなかった。
ホリエモンが株の売り抜けであり、裁判官さえだました手口とは人間の深部、襞。人間の尊厳が違う。
それは事件の背景をかいたノーベル賞に最も近かった安部公房(安部公房全作品14)」でさえ見通しを誤った。
事件に興味を持って熊本県まで行くが、全く相手にされず
、この事件について彼独自の見解をまとめたこの著作での彼の仮説はすべて外れた。
事実について少しでも知っている人なら、笑止の筆致である
第一蜂の巣城が行政代執行により落城すれば、第二蜂の巣城を築き、更に第三蜂の巣城を構築。
支援団体等が離れ、最後には親族だけでも彼の信念はひるまず、水没予定地にある自邸に赤地に白丸の室原旗を掲げて抵抗。テレビでも放映された。
結果は、判決に負けて訴訟に勝ったといわれるぐらい、国側の理論を圧倒。
「ダム反対」は逆さに読めば「対反ムダ」「大半は無駄」と常に明るい。
知事の斡旋や、建設大臣の直接の話し合いの申し入れも全て拒否。
他方82件に及ぶ法廷での記録や、科学的根拠に裏付けられた理論の社会的、
あるいは学問的価値を客観的に評価してもらうことにより、歴史上に正しく名を止めようとする
意識もあって、厳正中立の姿勢、客観的な純粋学問的立場から蜂の巣城紛争を調査研究し
、論評してもらえることを模索したフシがあるともいう。
室原知幸と対峙した天草出身の東京帝大卒の野島虎治は東北の雄物川上流の鎧畑ダム1947年に赴任。
ダム屋の雄である。
ダムを絶対造らせまいとする者と、筑後川流域における人命と財産を守るために、
ダムを絶対造らねばならない者との確執と葛藤。
裁いた石田哲一東京地方裁判長は
「あの判決は裁判官としての私自身の社会的良識による判断です。その訴訟でもし国を敗訴させていたら、あれ以降ほとんどの公共事業が停滞することになったでしょう。」
と述懐している。
室原は石田を恨むことはなかったと言う。
この三人には日の出のような美しき後日談がある。
昭和43年の秋、室原、石田、副島の三人は、耶馬渓に小旅行に出かけているのだ。
新地ノ山架橋これ恩讐の彼方我も建設省も
室原の 詠んだ歌、胸中やいかに。
この近辺の断崖絶壁は杖立温泉の背景の柱状摂理の状況でわかろう。
菊池寛の「恩讐の彼方に」の禅海和尚の境地まで昇華させてるのか。いつ、どのような方法でもって、和解の道をとればよいかをに考えていたのか人間の心理は多面体。
、昭和45年6月に室原はこの世を去り13年の闘争が終結し、真理の追求の研究は残った。
室原文庫は関大に永久保存されている。
身近には次の諸著作で知れよう。
直木賞作家・佐木隆三の『大将とわたし』(講談社・昭和51年)、
松下竜一『砦に拠る』(筑摩書房・昭和52年)
室原知幸著『下筌ダム − 蜂之巣城騒動日記 −』(学風社・昭和35
筑後川総合開発計画にかぎらず全国のダム見直しはエネルギー問題として見直されている。
エコロジーとか環境問題は日常語であるがこの70年代はその視点はなく、この人をして嚆矢とする。
その先見性は偉大なり室原知幸。
昭和の南方熊楠+田中正造+エコロジー
47年1月 松原ダム試験湛水完了
太陽光発電の原点である。
http://blog.with2.net/link.php?62076
今日もワン・クリック
最後までありがとう!
太陽光発電の営業マンが来たとのことである。
まっさか、せきやんさんジャ〜なかったろうな。
ではここに居る俺は誰だろうのサゲの落語さえ思い出す。
太陽光発電は私のライフ・ワークすぐにでも江戸の地に飛んでいくあわてんぼうでお人よしの中村斤之助演ずる一心太助の心境である。
居てもたってもいられない。
太陽光発電を設置なさるなら、どこの方よりも廉価で丁寧に設置しましょう。ともかく、私が設置しましょう。
(ガンバレ!しっかり、営業しろ!)(笑い)
もちろん復旧部分も考慮してである。条件はまったく同じで。
で・・困るのは旅費の捻出である。
なんか社内旅行費をそれにあてる具合しか知恵がわかない。
メーカーを巻き込んでの研修費を生み出させたい。
設置に当たっては
KW単価で安いのか高いのかを出さないとダメ!です。
設置後の経済性も大きなファクターです。
方針が決まったらお知らせください。
ただ9月は今しばらくお待ちください。
IHは絶対お得で便利なものです。
さらに太陽光発電で貴宅に初めて生産財が生まれます。
太陽を利用した儲けごとが可能になるのです。
さらに環境に貢献。
そしてささやかなる、生活改善が毎月の支出の範囲内で可能になります。
もちろんそれが実現できる業者との出会いです。
遠方でもメンテの心配は要りません。
必ず地元業者を依頼して工事現場を引き上げるからです。
東京に太陽光発電・・・楽しみが増えました。
アースデーの討議の結論は多くの示唆に富む。
私たちの地球はひとつしかなくて、皆その一員だということ。
ここ数十年で人類はこの惑星の環境を変える力を持つ唯一の種となった。
木をひとつ残らず切り倒していく地域があれば、ある地域では農業を営んでいる。
だが1940年代から50年代頃から、ある地域の問題がその地域だけで解決できるものではなくなってきてしまった。
例えば農薬が地球上を漂い始めたりとか、オゾン・ホールの問題、地球温暖化の問題など。
人類はこの惑星を変える能力を持っているけれど、
それによって引きおこされた問題は一国だけでなんとかなるものではなくなってしまった。
例えば日本が石炭・石油、ガソリンを燃やすのを止めたとしたって、それだけでは地球温暖化は改善されない。
アメリカ、韓国、中国、ロシア、その他の国々だって、一国だけでは改善されない。
だから日本にとって大切なメッセージはアメリカや他の国にとっても同じように大切なんだ。
世界はひとつだけで、みんなその中の一部だということ。
だから一緒に解決していかなければならない。
事実は小説より奇なりの言葉は講談師・宝井馬琴の語り口で耳に入った。
言葉・語彙を増やしたのは落語浪曲講談などのことばを売る人たちからラジオで学んだ。
情報化時代の現代では思考出来なき社会的状況があった。
よってウソができなく、世渡り下手でオレオレ詐欺の類に弱い世代。
常に真摯ゆえ営業ができない。真剣勝負だからである。
どうにもそれがいけない。メいっぱいではダメなのである。
ある程度の「間」は年寄りでもあり、なぜに取得できないのか。
100KWの最終日に夜にお伺いしたがどうなるのか。
激変の問題が惹起してくるのやも知れない。
思い出すのは時代が正しさを証明してる人のことである。
肥後小国の山林地主であった室原知幸の生涯は、59歳のときに激変する。
1957年に建設省が筑後川治水のため下筌・松原ダムの建設を計画するが、彼の住む志屋集落は水没地域。
村人の要請で、反対運動の指導者となつた彼は、ダム建設は、
「法にかない、理にかない、情にかなう」ものでなければならないとし、
予定地の険しい山腹に「蜂ノ巣砦」を築いた。
次々と繰り出される訴訟は、彼が大学時代に大正デモクラシーを求める学生運動の演説で聞いた
田中正造の足尾鉱毒事件に対する闘争を髣髴させるもの。
彼の過激で効果的な反対闘争のため国側が立ち往生する大闘争に発展。
、彼が提示した「公権と私権の相克」という問題は70年代における住民運動のテーマ。
この蜂の巣城のゆくえはだれも予測できなかった。
ホリエモンが株の売り抜けであり、裁判官さえだました手口とは人間の深部、襞。人間の尊厳が違う。
それは事件の背景をかいたノーベル賞に最も近かった安部公房(安部公房全作品14)」でさえ見通しを誤った。
事件に興味を持って熊本県まで行くが、全く相手にされず
、この事件について彼独自の見解をまとめたこの著作での彼の仮説はすべて外れた。
事実について少しでも知っている人なら、笑止の筆致である
第一蜂の巣城が行政代執行により落城すれば、第二蜂の巣城を築き、更に第三蜂の巣城を構築。
支援団体等が離れ、最後には親族だけでも彼の信念はひるまず、水没予定地にある自邸に赤地に白丸の室原旗を掲げて抵抗。テレビでも放映された。
結果は、判決に負けて訴訟に勝ったといわれるぐらい、国側の理論を圧倒。
「ダム反対」は逆さに読めば「対反ムダ」「大半は無駄」と常に明るい。
知事の斡旋や、建設大臣の直接の話し合いの申し入れも全て拒否。
他方82件に及ぶ法廷での記録や、科学的根拠に裏付けられた理論の社会的、
あるいは学問的価値を客観的に評価してもらうことにより、歴史上に正しく名を止めようとする
意識もあって、厳正中立の姿勢、客観的な純粋学問的立場から蜂の巣城紛争を調査研究し
、論評してもらえることを模索したフシがあるともいう。
室原知幸と対峙した天草出身の東京帝大卒の野島虎治は東北の雄物川上流の鎧畑ダム1947年に赴任。
ダム屋の雄である。
ダムを絶対造らせまいとする者と、筑後川流域における人命と財産を守るために、
ダムを絶対造らねばならない者との確執と葛藤。
裁いた石田哲一東京地方裁判長は
「あの判決は裁判官としての私自身の社会的良識による判断です。その訴訟でもし国を敗訴させていたら、あれ以降ほとんどの公共事業が停滞することになったでしょう。」
と述懐している。
室原は石田を恨むことはなかったと言う。
この三人には日の出のような美しき後日談がある。
昭和43年の秋、室原、石田、副島の三人は、耶馬渓に小旅行に出かけているのだ。
新地ノ山架橋これ恩讐の彼方我も建設省も
室原の 詠んだ歌、胸中やいかに。
この近辺の断崖絶壁は杖立温泉の背景の柱状摂理の状況でわかろう。
菊池寛の「恩讐の彼方に」の禅海和尚の境地まで昇華させてるのか。いつ、どのような方法でもって、和解の道をとればよいかをに考えていたのか人間の心理は多面体。
、昭和45年6月に室原はこの世を去り13年の闘争が終結し、真理の追求の研究は残った。
室原文庫は関大に永久保存されている。
身近には次の諸著作で知れよう。
直木賞作家・佐木隆三の『大将とわたし』(講談社・昭和51年)、
松下竜一『砦に拠る』(筑摩書房・昭和52年)
室原知幸著『下筌ダム − 蜂之巣城騒動日記 −』(学風社・昭和35
筑後川総合開発計画にかぎらず全国のダム見直しはエネルギー問題として見直されている。
エコロジーとか環境問題は日常語であるがこの70年代はその視点はなく、この人をして嚆矢とする。
その先見性は偉大なり室原知幸。
昭和の南方熊楠+田中正造+エコロジー
47年1月 松原ダム試験湛水完了
太陽光発電の原点である。
http://blog.with2.net/link.php?62076
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