深夜断水!???

2005年9月9日
30000世帯が水道がストップし給水車が出てるという。
市内全世帯の2割になろうか。
神前結婚式に聞く「日向の橘の小戸の阿波岐原・・」の祝詞に出てくるところに存するアパデン宮崎は幸いその被害はない。
シーガイヤ近辺である。
夜24時過ぎ完全断水!もさきほど水洗トイレを流したがなんら影響はない。入浴のシャワーは先ほど済ました。
神のお告げの贈り物である起工式のお祓い済みの熊本・白川水のお裾分け6リットルの水が偶然にも持ち帰っている。
どうもマスコミの騒ぎすぎもある。
報道されてる程の市内全域的問題ではないようだ。
のべおかでもそうである。
NHKをはじめ報道機関の正確なる情報発信が求められる。
全国の皆さん!一部地域の惨状はありますが市内の殆んどは
即日機能してます。台風銀座ですなんてぇことはありません。
よそから来たニュースを・つ・く・る・人がやってることです。
義捐金詐欺にあわないように。
工事は延岡で電気工事に出て、私は営業で国富町にKさんと向かったが途中大淀川沿いの堤防より下の区域などは床上浸水などもあり、燦燦たる光景を示してはいた。
まちの中心部でなく大淀川より西域が報道されてる酷い状況区域である。
基本的には地球環境の異常がこの状況を作ってきている。
ただ、河川管理から調べてみるといろいろと理解は深まる。
前日述べてきたように河床低下の影響を大きく受けたのに宮崎市上水道がある。
同水源は河口より10.2km付近の左岸に給水人口10万人、一日最大給水量3万m3の取水設備を昭和7年3月に設置、
これは口径90cm、延長220mの鉄筋コンクリート集水埋渠を流心に布設し、伏流水を採取していたが、河床低下により取水量不足となり、昭和40年3月に約250m下流に取水口高を1m下げて取水施設を新設している。現在ではこの取水施設は総べて撤去し
昭和47年3月に左岸10.7km地点の柏田水源地より表流水を11万m3ポンプ取水し、下北方浄水場から給水している。
なお昭和55年7月には右岸14.5km地点より一日75,000m3の表流水をポンプ取水し富吉浄水場より給水開始している。
今回その富吉浄水場が潅水し使えなくなった。
外に上水道取水は本庄川の左岸9km地点で一日6,000m3の伏流水をポンプ取水し国富町浄水場で給水しており、下北、富吉、国富の3ケ所、1日191,000m3を取水している。
臨時的に下北方浄水場から給水され私どもの地区には不便は生じていない。
さて前日の続きである。
第一次改修では河巾は400m内外で、左岸橘橋(現市役所)より下流1km余りは現存するコンクリート特殊堤、右岸福島町付近の一部は無堤防区とした。
洪水時の流水を良くするため低水部の河床を掘り下げる治水計画がなされた。
本格的には昭和6年より改修事業が始められ築堤、掘削、護岸工事が進められた。
第一次工事の終った昭和23年度末までに約300万m3の掘削で119%、築堤71%、コンクリート擁壁100%そして護岸64%の竣功率であった。
この時点までに度々の大洪水に見舞われている。
すなわち昭和2年8月、4年7月、5年8月、8年9月
、11年7月、14年10月(清武川大洪水、宮崎市の日雨量587mm、死者不明66名)、18年9月(死者不明110名)、20年9月などである。
 第二次工事(昭和24年〜27年)上流部の都城市を中心とし、総延長110.3kmの本格的な改修工事が開始された。
この間に24年7月、25年9月、26年6月の洪水があった。
第三次工事(昭和28年〜38年)発電のみを単一目的としたダムから洪水調節機能も併せ持つ多目的ダムが計画され水系一環の総合治水計画が初められた
昭和33年綾南ダム、
35年綾北ダム、
42年岩瀬ダム。
それぞれの完工がなされた。
計画高水流量は7,000m3/秒に改訂され、改修区域も延長し、河口問題が本格的に取り上げられた。
本川の河口は南北に浜砂が連なり、日向灘の波浪による漂砂
、河川からの流送土砂等による港口埋没の悪条件を解決できず港湾建設が遅れていたが866mの北導流堤、650mの中導流堤が昭和44年に工事完了した。
現在、河口北側に宮崎新港、南側に宮崎空港拡充により1,900mの滑走路を2,500mに延長し約700m海岸部を埋立造成が行なわれた。
なお、29年9月には戦後最大の洪水があり、宮崎市の高松、小戸の両橋が流失している。
 第四次改修工事(昭和39年以降)基本高水流量は昭和39年に確率70年1回で7,500m3/秒とし計画高水流量は7,000m3/秒であった
さらに47年から確率150年1回の9,000m3/秒で綾北、綾南、岩瀬ダムで調節して計画高水流量は8,000m3/秒に改訂されて改修工事が進められている
昭和55年には河口より1.4kmに架設された全長933mの一ツ葉大橋は河川に架かる橋梁としては九州一を誇る長さである。ただし250円の悪しき有料道路である。
46年8月と57年8月に台風による洪水があったが、洪水調節ダムや河道整備の向上により大被害は激減した。
利水は治水に較べて早くから行なわれている。
大淀川下流右岸の水田用水は清武川の新井手井堰から取水し、水田120町歩を灌慨しているが同井堰の記念碑によれば寛永16年(1636年)今より350年昔に完成させている。
大淀川で最も古いものは庄内町の関之尾墜道が貞享2年(1685年)に造られ水田40町歩を灌概している。
現在の大淀川水系の総灌概面積は17,000haである。
29ケ所で取水され、その灌概面積は約4,600haで最大は綾川総合開発事業で行なわれた3,100ha(毎秒6.3m3)である。24ケ所がポンプ取水、堰取水が3ケ所、ダム取水と自然流れ込みが各1ケ所となっている。
本川上流にある轟ダムの昭和16年より29年までの実測では年平均26万m3が土砂堆積量となっており、さらに高岡ダムでは昭和6年建設当初から29年までに624万m3が堆積し、年平均27万m3である、この現象は現在でも続いており下流への土砂流出減少は河口より日向灘に流出して河口周辺の海浜に影響を及ぼし、宮崎海岸では沿岸流が南流しており青島海水浴場の砂浜減退の一因ともなっている。
豊富な水流の大淀川は誇れる水力発電がある。
 全国有数の降雨量と地形的に有利な河川を有する宮崎県は、水力発電源県となっている。
大淀川流域には大小合わせて10ケ所の発電所がある。
この中で小規模な4ケ所は、すべて堰上取水で全発電出力は僅かに2,000kWである。
大ダムによる本格的な発電さらに洪水調節などを行なうものは6ケ所である。
全使用水量は最大426m3/秒、全最大出力は19万7,880kW、ダムによる全有効貯水量は1億52万m3となっている。
現存するダムで戦前のものは高岡ダムである。
新しいのは多目的の岩瀬ダムが岩瀬川に42年建設完成している。これらの中で最高のダム高75.3mを誇るドーム型アーチダムの綾北ダムがある、
これらは述べてきた問題はあるものの私共が進めている太陽光発電と同じように自然負荷のないエネルギーでもある。

水の断水はないが、資金が断水状態。資金繰りなき仕事のしすぎである。大先輩!この月末までご支援していただけまいか。

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