三年前の秋
2005年9月10日「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」
関が原後の、滅び行く豊臣家の唯一のこった忠信 <片桐勝元>
実力のある徳川に対してただ過去の栄光だけのプライドのみの高い豊臣家の面々。
方広寺<京都の三十三間堂前から徒歩5分>に寄進した鐘の碑文「国家安康君臣豊楽」は家康の名を2分して
<国安らかに豊臣を君として子孫繁栄を楽しむ意味>だと家康を怒らせ大阪冬の陣が起きるきっかけとなったものである。
その過程には、、両家の交渉に豊臣の代表として片桐が当たったが淀君や豊臣の仲間から裏切り者扱いをされる。
日露戦争のポーツマス条約を結び、国民的批判を受けた我が宮崎の名・外務大臣小村寿太郎と合い通じるものがある。
わが身を振り返るにつけ、虫の音に殺伐とした
この中国の漢の頃?の准南子のこの歌がピッタリである。
イラク派兵に国会を去り議決に加わらなかった野中。
どうも今度も小泉再選のようだ。また楽しきオペラが見れよう。
この選挙がどんなオペラになるのか、オペラにはコメディーもあれば、悲劇もあるハズだが。
野中とか政治家が滅んでいく過程で利権や政治やのみが残るようである。
今回は郵政のみのワンフレーズ選挙。これが国の行く末を決めてよいのか。疲れるばかりである。
この歌を歌えば少しは癒されるのではなかろうか。
感傷的に鳴るのは季節感のなせる技か。
「鮮度市場」で56円なりのサンマをかった。
「サンマは美味いか塩っぱいか」
とついつい諳んじたが
「さんま苦いか塩っぱいか」を間違って覚えて
怒られたのを思い出す。
中学生の児玉先生の代わりにきた井上先生である。
他に草野新平、島崎藤村・
リズミカルで叙情的で、きれいな詩だ耳に心地よいからというだけでおぼえていってしまうのであまり深く考えず、テストの良い点を取るだけに暗礁していた。
もちろん、背景に男と女、友情と愛情なぬ愛憎劇の言葉の含蓄はガキ大将には知る由も無い。
谷崎潤一郎の妻千代と佐藤春夫とのことを歌ったものだったとは・・・・谷崎夫人千代を佐藤に譲渡し三名での挨拶状を関係者に送ったことである。夫人譲渡事件として文学史上に名を残している。その後の谷崎文学に影響を与えてる用の思われる。
中学生にこんな詩を暗誦させる学校って一体・・・
「男女三歳にして席を同じゅうせず」の古き環境に育ったものは男と女の関係は、きわめて晩生。
川端康成の「伊豆の踊り子」の踊り子が天城峠で言う
{いいひとはいいね}の意味を説明しろ!のテスト問題で煩悶する13歳の青春多感な時期の私には、なすべきすべも知らなかった。
よくもそれで、通知表の{5}が取れていたものである。
このことは、山口は湯田生れの中原中也が愛人を小林秀雄に寝取られたのと同じ感情があったのである。
その傷を癒す為宮崎に居る中也。
東郷町の製材所の歌を残している。
諳んじていたサンマの歌、実にいいリズムである。
中学一年の国語教科書である。
秋刀魚の歌 佐藤春夫
あはれ
秋風よ
こころあらば伝えてよ
男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふけると。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さな箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝えてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児(をさなご)とに伝えてよ
男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はましくをかし。
食欲の秋は性欲の欠け足る私同然の欠けたるものだが、今日のこの状況だが、さんまを食して油ののりと、内臓の独特の苦味で懐かしきふるさと、幼かりし頃のノスタルジーに十分浸れた。
秋ふかし となりはなにを するひとぞ
懐かしきものを食べ、幼少に帰り、人恋しさは、この時期に生まれる感情のようである。
同じように石川啄木は極貧乏の中で歌う。
ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの
ひとごみのなかに そをききにいく
どうにも、秋の季節はパワーダウンのようだが、
人間には感情の起伏も必要でもある。
尤も○○部長さんみたいに
自分とこの現場に来る約束をスッポラかしておいての感情的言動はいただけない。
1500円の工事をもらうのに現場に来るはずであった自分の会社のものは約束を破り、着てないのにこの言葉である。
「バカモン!ゆっちょるじゃろが!」
悪罵の連続である。
聞くに堪えない・・・・
馬脚をあらわしたか、お里が知れる。
日ごろのあの紳士的ポーズは、にわかに怪しくなった。
ジキルとハイド博士どこの変化ではなかったぜ。
バカタレ!売られた喧嘩は、個人的ならナンボデモこうちゃル!
仕事中出すべき話じゃなかろうて。
営業マンが仲間の戦士以外のものに仕事で感情的言葉を使ったら終わりでしょう。
他山の石としなければ。
似たとコ、アりゃしませんか。営業せきちゃん!
あなたに地球は救えますか!
私憤を公憤へ!
太陽光発電の普及以外何もないはずである。
同じ多忙さでも資金に悩まずマイペースのころはゆとりのあるものを感じる。ブログの方から荒れてるのを見透かされてるはずである。
月末の入金!あと少しの辛抱である。
延岡に行った電気工事の職人さんに相すまぬ。
胸の張り裂けんばかりの憂鬱である。
秋の季節の物思いの時期は精神状態に悪い。
ブログ順位引き上げにご協力をお願いできまいか。
どうぞ、元気をください。
マウス・でクリックするだけ!
http://blog.with2.net/link.php?62076
今日もワン・クリック
有難うございます。
関が原後の、滅び行く豊臣家の唯一のこった忠信 <片桐勝元>
実力のある徳川に対してただ過去の栄光だけのプライドのみの高い豊臣家の面々。
方広寺<京都の三十三間堂前から徒歩5分>に寄進した鐘の碑文「国家安康君臣豊楽」は家康の名を2分して
<国安らかに豊臣を君として子孫繁栄を楽しむ意味>だと家康を怒らせ大阪冬の陣が起きるきっかけとなったものである。
その過程には、、両家の交渉に豊臣の代表として片桐が当たったが淀君や豊臣の仲間から裏切り者扱いをされる。
日露戦争のポーツマス条約を結び、国民的批判を受けた我が宮崎の名・外務大臣小村寿太郎と合い通じるものがある。
わが身を振り返るにつけ、虫の音に殺伐とした
この中国の漢の頃?の准南子のこの歌がピッタリである。
イラク派兵に国会を去り議決に加わらなかった野中。
どうも今度も小泉再選のようだ。また楽しきオペラが見れよう。
この選挙がどんなオペラになるのか、オペラにはコメディーもあれば、悲劇もあるハズだが。
野中とか政治家が滅んでいく過程で利権や政治やのみが残るようである。
今回は郵政のみのワンフレーズ選挙。これが国の行く末を決めてよいのか。疲れるばかりである。
この歌を歌えば少しは癒されるのではなかろうか。
感傷的に鳴るのは季節感のなせる技か。
「鮮度市場」で56円なりのサンマをかった。
「サンマは美味いか塩っぱいか」
とついつい諳んじたが
「さんま苦いか塩っぱいか」を間違って覚えて
怒られたのを思い出す。
中学生の児玉先生の代わりにきた井上先生である。
他に草野新平、島崎藤村・
リズミカルで叙情的で、きれいな詩だ耳に心地よいからというだけでおぼえていってしまうのであまり深く考えず、テストの良い点を取るだけに暗礁していた。
もちろん、背景に男と女、友情と愛情なぬ愛憎劇の言葉の含蓄はガキ大将には知る由も無い。
谷崎潤一郎の妻千代と佐藤春夫とのことを歌ったものだったとは・・・・谷崎夫人千代を佐藤に譲渡し三名での挨拶状を関係者に送ったことである。夫人譲渡事件として文学史上に名を残している。その後の谷崎文学に影響を与えてる用の思われる。
中学生にこんな詩を暗誦させる学校って一体・・・
「男女三歳にして席を同じゅうせず」の古き環境に育ったものは男と女の関係は、きわめて晩生。
川端康成の「伊豆の踊り子」の踊り子が天城峠で言う
{いいひとはいいね}の意味を説明しろ!のテスト問題で煩悶する13歳の青春多感な時期の私には、なすべきすべも知らなかった。
よくもそれで、通知表の{5}が取れていたものである。
このことは、山口は湯田生れの中原中也が愛人を小林秀雄に寝取られたのと同じ感情があったのである。
その傷を癒す為宮崎に居る中也。
東郷町の製材所の歌を残している。
諳んじていたサンマの歌、実にいいリズムである。
中学一年の国語教科書である。
秋刀魚の歌 佐藤春夫
あはれ
秋風よ
こころあらば伝えてよ
男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふけると。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さな箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝えてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児(をさなご)とに伝えてよ
男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はましくをかし。
食欲の秋は性欲の欠け足る私同然の欠けたるものだが、今日のこの状況だが、さんまを食して油ののりと、内臓の独特の苦味で懐かしきふるさと、幼かりし頃のノスタルジーに十分浸れた。
秋ふかし となりはなにを するひとぞ
懐かしきものを食べ、幼少に帰り、人恋しさは、この時期に生まれる感情のようである。
同じように石川啄木は極貧乏の中で歌う。
ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの
ひとごみのなかに そをききにいく
どうにも、秋の季節はパワーダウンのようだが、
人間には感情の起伏も必要でもある。
尤も○○部長さんみたいに
自分とこの現場に来る約束をスッポラかしておいての感情的言動はいただけない。
1500円の工事をもらうのに現場に来るはずであった自分の会社のものは約束を破り、着てないのにこの言葉である。
「バカモン!ゆっちょるじゃろが!」
悪罵の連続である。
聞くに堪えない・・・・
馬脚をあらわしたか、お里が知れる。
日ごろのあの紳士的ポーズは、にわかに怪しくなった。
ジキルとハイド博士どこの変化ではなかったぜ。
バカタレ!売られた喧嘩は、個人的ならナンボデモこうちゃル!
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営業マンが仲間の戦士以外のものに仕事で感情的言葉を使ったら終わりでしょう。
他山の石としなければ。
似たとコ、アりゃしませんか。営業せきちゃん!
あなたに地球は救えますか!
私憤を公憤へ!
太陽光発電の普及以外何もないはずである。
同じ多忙さでも資金に悩まずマイペースのころはゆとりのあるものを感じる。ブログの方から荒れてるのを見透かされてるはずである。
月末の入金!あと少しの辛抱である。
延岡に行った電気工事の職人さんに相すまぬ。
胸の張り裂けんばかりの憂鬱である。
秋の季節の物思いの時期は精神状態に悪い。
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