どこに行くこの国
2005年9月26日施政方針演説を聞いた。
らしくない原稿棒読み。矜持して来た政治信念を貫く郵政に賭けるその執念やよし。
前方に陣取る拍手の仕方は流石にオリコウさんよくできました。
これらの面々が国の行く末を掌る。
26さいのセンセイをはじめとする小泉チルドレン さらには落下傘のマドンナたちよ、はしゃがないで地味な仕事をしてくれただそう祈るのみ他の国々さえ見てるではないか。
アジアの盟主たらん国の最高権力機関である。
所信表明は相変わらずの郵政に費やされ、改憲さえできるのに拍子抜け。
ここんとこ、くどいが再度触れたい。数字とも毎日新聞からである。
中曽根に継ぐ自民党議員数課題も官業の民営化。
だが、手順と名分が違っている。
中曽根は国鉄改革の準備を整えたところで民意を問い、圧勝を受けて一気に法案を成立させた。
小泉は法案が否決されたあとに「国会の判断は間違っている」 と民意に救いを求めたのである。
この違いがなぜ重大かと言えば、日本は国民の直接選挙で選ぶ大統領制ではなく、
国会で首相を選ぶ議院内閣制だからである。
にもかかわらず、国会の決定を解散で覆そうとするのは、解散権の乱用である。
首相がいつ大統領になったのか。
あの右翼の隗・大勲位の中曽根にシテいわく、「小泉君は権力の魔性にとりつかれている」 と批評した。
ところが当の本人はどこ吹く風そのことにまったく気づこうともしていない。
権力の麻薬的というのはもともとそうしたものなのだろう。
中曽根と同世代の宮沢喜一元首相も
「いままでの首相ならこんな解散はやらない。やってはいけない」(9月11日、TBS系テレビ番組『時事放談』)と警鐘を発した。
ところが、北海道の武部の無教養の田舎モンは、
「あの方たち(中曽根さんら)の考えもわからないではないが、それは古い自民党時代の発想だ。小泉さんは永田町の論理でなく、民意中心の新しい政治に切り替えようとしているのだから……」 と言う。
しかし、新旧とか永田町の次元ではなく、日本の政治制度の根幹にかかわることだが、圧勝の威力の前に、自民党は小泉順応的な空気になりつつある。
刺客を送られた無所属13のうち12が首班指名に小泉を書いた。実に危なっかしい。
政治信念はないのか。
政治の職人だろう!
刺客に勝った誇りを貫け!
くる翼賛政治にどう立ち向かうのか。戦前の斉藤演説でも国会図書館で読んでみろ!
それにもまして、多数の大衆が小泉支持の態度を示した裏には何があるのか。
中曽根の『自省録』から
相対的に安定した政治社会体制が出来上がっていたので、ある意味で国民自体が「粘土」のような存在だった。
ところが、90年代になって、世界全体が「散乱の時代」に入り、日本国民もおのれのアイデンティティを探して、自己主張を持つようになった。
かくして、国民は「粘土」から「砂」に変わった。 自民党も金属疲労を起こしていた。
小泉君は「自民党をぶっ壊す」といううまい表現で、その砂に乗っかる戦略を成功させたのです〉
砂はさらさらと移ろいやすい。今回も、
「純ちゃーん……」
という声援が全国あちこちで起こり、砂嵐が舞った。
ニヒルな大砂塵の映画のシーンである。
民主党の岡田克也より、小泉は散乱しやすい砂をまとめてすくいとる術がはるかに優れていたのだ。
しかも、制度が味方した。全国3〇〇の小選挙区を見ると
、自民の得票数は3251万票、
民主 2480万票の1,3倍でしかない。
ところが、獲得議席は自民が219で民主52のなんと四倍強だ。
投票者総数は、約6800万人。
得票率は、与党が約52%、野党が48%
議席数は、与党が 71%、 野党が29%
与党 327議席 野党が134議席。
これが小選挙区制である。
小選挙区制が民意を正確に表していないことを参議院の中曽根議員たちの豹変者たちは総理ともどもわかっていない。
なにかの拍子に流砂の向きが少しでも変われば、勝者と敗者が入れ替わる。大勝の自民党におごっている暇はない。
「自民党はですね、あまり非情な政治をやってもらいたくない。民主党は自民党とどこが違うんですかと、そこをはっきりしてもらいたい。公明党には福祉と平和の立党の精神をいつまでも守ってもらいたい。」きしくも国会開催の日に逝った後藤田正義の遺言である。
権力闘争は最終になるだろうか。そうはいかない。
田中角栄6奉行は幹事長のときに初当選した6人の愛弟子たち、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三らは小泉自民党と向かい合う民主党に身を寄せている。
橋本龍太郎、小渕恵三の子息子女は自民党の片隅に健在だ。
竹下登のみ鬼籍だがいつ角栄一門再興のノロシがあがるかわからない。
キナ臭さは自らが生み出したからである。
やれ戦国時代だ、やれ信長だ、そしてマスコミも刺客の言葉を使い好んで言いつのるものだから、そんな想像をたくましくしてしまう、、
「育ての親である福田赳夫の怨みを晴らそうとしている。すごい思い入れだ。しかし、ここまでやると怨念を返す、意趣返しが起きるんじゃないか」と危惧する側近。?チャンネルから
とにかく、いろいろとやりすぎた。
執念の郵政民営化法案が国会で廃案になると、衆院解散で切り返し、
「国会の判断が正しいか、国民の判断が正しいか、私は聞いてみたい」
と耳に心地よいことをテレビの政見放送でも繰り返す。
この強攻策が世間はえらく気に入った、
もともと国会の判断は、正しいかどうかではなく、国民が選んだ国会による最終決定なのである。国会か国民か、という問題設定がおかしい。
基本を踏み外すことは許されない。
長年、田中と二人三脚で苦楽をともにしてきた〈越山会の女王〉の佐藤昭子
〈田中角栄。今、在りせば〉の雑誌連載(『経済界』9月20日号)での記述。
〈今回の小泉さんのやり方には本当に疑問を感じる。民主主義とはプロセスであり手法である。この原則は、一法案の成否などよりはるかに優先、尊重されるべきものだ。
わが国は代議制民主主義をとっている。国民が直接に小泉首相を選んだのではない。国民が選んだ国会議員が小泉首相を選んだのである。独りよがりの解散は国民を愚弄するものだ。
郵政民営化法案は国民の代表によって否決されたのである。本来なら、次の国会で出直すか、総辞職するかしかなかったはずだ〉この当然の筋論を、野党や識者がなぜ主張しないのか、不思議だ。社民党・又一征治何をしてるお前しかいない。
佐藤さんはさらに言っている。
〈田中角栄の秘書として三十三年間ともに歩んできた私からすると、小泉さんはかつての「角福戦争」の延長上に存在しているとしか思えない。
田中派閥には言論の重さがあった。
反対勢力三木派さえ容認しあるときは共産党より鋭い対立をした。その懐の大きさが政治なのである。
「『官から民へ』について、一体官が担当しなければならない境界線はどこまでだ、利潤を美徳とする民が引き受ける限度はどこだと。そこの分界線を明示しないまま、『官から民へ』は乱暴だよ」これも後藤田の言葉である。
郵政選挙への怒りと、政党政治の将来に対する憂いを遺言として残した憂国の士
「今度の選挙は歴史的な分岐点になりうるなあ。先行きに不安感が出てきて危ない」
最後のセリフは
「マスコミがあかんのよ」
NHKこそ言論の府とならねば誰がこの国を守ろう。
翼賛政治の歯止めをかけるには残された民主主義を守り抜ける機関ががんばるしかない。
翼賛政治で改憲が行われる。
国民はどうこの国を守るために立ち向かえばいいのか。
数がないゆえ英知の絞りあいで4年後に賭けるしかない。
クリック・・・ヨロシク
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らしくない原稿棒読み。矜持して来た政治信念を貫く郵政に賭けるその執念やよし。
前方に陣取る拍手の仕方は流石にオリコウさんよくできました。
これらの面々が国の行く末を掌る。
26さいのセンセイをはじめとする小泉チルドレン さらには落下傘のマドンナたちよ、はしゃがないで地味な仕事をしてくれただそう祈るのみ他の国々さえ見てるではないか。
アジアの盟主たらん国の最高権力機関である。
所信表明は相変わらずの郵政に費やされ、改憲さえできるのに拍子抜け。
ここんとこ、くどいが再度触れたい。数字とも毎日新聞からである。
中曽根に継ぐ自民党議員数課題も官業の民営化。
だが、手順と名分が違っている。
中曽根は国鉄改革の準備を整えたところで民意を問い、圧勝を受けて一気に法案を成立させた。
小泉は法案が否決されたあとに「国会の判断は間違っている」 と民意に救いを求めたのである。
この違いがなぜ重大かと言えば、日本は国民の直接選挙で選ぶ大統領制ではなく、
国会で首相を選ぶ議院内閣制だからである。
にもかかわらず、国会の決定を解散で覆そうとするのは、解散権の乱用である。
首相がいつ大統領になったのか。
あの右翼の隗・大勲位の中曽根にシテいわく、「小泉君は権力の魔性にとりつかれている」 と批評した。
ところが当の本人はどこ吹く風そのことにまったく気づこうともしていない。
権力の麻薬的というのはもともとそうしたものなのだろう。
中曽根と同世代の宮沢喜一元首相も
「いままでの首相ならこんな解散はやらない。やってはいけない」(9月11日、TBS系テレビ番組『時事放談』)と警鐘を発した。
ところが、北海道の武部の無教養の田舎モンは、
「あの方たち(中曽根さんら)の考えもわからないではないが、それは古い自民党時代の発想だ。小泉さんは永田町の論理でなく、民意中心の新しい政治に切り替えようとしているのだから……」 と言う。
しかし、新旧とか永田町の次元ではなく、日本の政治制度の根幹にかかわることだが、圧勝の威力の前に、自民党は小泉順応的な空気になりつつある。
刺客を送られた無所属13のうち12が首班指名に小泉を書いた。実に危なっかしい。
政治信念はないのか。
政治の職人だろう!
刺客に勝った誇りを貫け!
くる翼賛政治にどう立ち向かうのか。戦前の斉藤演説でも国会図書館で読んでみろ!
それにもまして、多数の大衆が小泉支持の態度を示した裏には何があるのか。
中曽根の『自省録』から
相対的に安定した政治社会体制が出来上がっていたので、ある意味で国民自体が「粘土」のような存在だった。
ところが、90年代になって、世界全体が「散乱の時代」に入り、日本国民もおのれのアイデンティティを探して、自己主張を持つようになった。
かくして、国民は「粘土」から「砂」に変わった。 自民党も金属疲労を起こしていた。
小泉君は「自民党をぶっ壊す」といううまい表現で、その砂に乗っかる戦略を成功させたのです〉
砂はさらさらと移ろいやすい。今回も、
「純ちゃーん……」
という声援が全国あちこちで起こり、砂嵐が舞った。
ニヒルな大砂塵の映画のシーンである。
民主党の岡田克也より、小泉は散乱しやすい砂をまとめてすくいとる術がはるかに優れていたのだ。
しかも、制度が味方した。全国3〇〇の小選挙区を見ると
、自民の得票数は3251万票、
民主 2480万票の1,3倍でしかない。
ところが、獲得議席は自民が219で民主52のなんと四倍強だ。
投票者総数は、約6800万人。
得票率は、与党が約52%、野党が48%
議席数は、与党が 71%、 野党が29%
与党 327議席 野党が134議席。
これが小選挙区制である。
小選挙区制が民意を正確に表していないことを参議院の中曽根議員たちの豹変者たちは総理ともどもわかっていない。
なにかの拍子に流砂の向きが少しでも変われば、勝者と敗者が入れ替わる。大勝の自民党におごっている暇はない。
「自民党はですね、あまり非情な政治をやってもらいたくない。民主党は自民党とどこが違うんですかと、そこをはっきりしてもらいたい。公明党には福祉と平和の立党の精神をいつまでも守ってもらいたい。」きしくも国会開催の日に逝った後藤田正義の遺言である。
権力闘争は最終になるだろうか。そうはいかない。
田中角栄6奉行は幹事長のときに初当選した6人の愛弟子たち、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三らは小泉自民党と向かい合う民主党に身を寄せている。
橋本龍太郎、小渕恵三の子息子女は自民党の片隅に健在だ。
竹下登のみ鬼籍だがいつ角栄一門再興のノロシがあがるかわからない。
キナ臭さは自らが生み出したからである。
やれ戦国時代だ、やれ信長だ、そしてマスコミも刺客の言葉を使い好んで言いつのるものだから、そんな想像をたくましくしてしまう、、
「育ての親である福田赳夫の怨みを晴らそうとしている。すごい思い入れだ。しかし、ここまでやると怨念を返す、意趣返しが起きるんじゃないか」と危惧する側近。?チャンネルから
とにかく、いろいろとやりすぎた。
執念の郵政民営化法案が国会で廃案になると、衆院解散で切り返し、
「国会の判断が正しいか、国民の判断が正しいか、私は聞いてみたい」
と耳に心地よいことをテレビの政見放送でも繰り返す。
この強攻策が世間はえらく気に入った、
もともと国会の判断は、正しいかどうかではなく、国民が選んだ国会による最終決定なのである。国会か国民か、という問題設定がおかしい。
基本を踏み外すことは許されない。
長年、田中と二人三脚で苦楽をともにしてきた〈越山会の女王〉の佐藤昭子
〈田中角栄。今、在りせば〉の雑誌連載(『経済界』9月20日号)での記述。
〈今回の小泉さんのやり方には本当に疑問を感じる。民主主義とはプロセスであり手法である。この原則は、一法案の成否などよりはるかに優先、尊重されるべきものだ。
わが国は代議制民主主義をとっている。国民が直接に小泉首相を選んだのではない。国民が選んだ国会議員が小泉首相を選んだのである。独りよがりの解散は国民を愚弄するものだ。
郵政民営化法案は国民の代表によって否決されたのである。本来なら、次の国会で出直すか、総辞職するかしかなかったはずだ〉この当然の筋論を、野党や識者がなぜ主張しないのか、不思議だ。社民党・又一征治何をしてるお前しかいない。
佐藤さんはさらに言っている。
〈田中角栄の秘書として三十三年間ともに歩んできた私からすると、小泉さんはかつての「角福戦争」の延長上に存在しているとしか思えない。
田中派閥には言論の重さがあった。
反対勢力三木派さえ容認しあるときは共産党より鋭い対立をした。その懐の大きさが政治なのである。
「『官から民へ』について、一体官が担当しなければならない境界線はどこまでだ、利潤を美徳とする民が引き受ける限度はどこだと。そこの分界線を明示しないまま、『官から民へ』は乱暴だよ」これも後藤田の言葉である。
郵政選挙への怒りと、政党政治の将来に対する憂いを遺言として残した憂国の士
「今度の選挙は歴史的な分岐点になりうるなあ。先行きに不安感が出てきて危ない」
最後のセリフは
「マスコミがあかんのよ」
NHKこそ言論の府とならねば誰がこの国を守ろう。
翼賛政治の歯止めをかけるには残された民主主義を守り抜ける機関ががんばるしかない。
翼賛政治で改憲が行われる。
国民はどうこの国を守るために立ち向かえばいいのか。
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