再掲
2005年10月6日メールをいただいた。
仕事の悩みからかどうにも文章がドギツイ!とのご叱咤、激励である。
事例に出されたのが一昨年のころのもの。
ウム〜そうだな〜一人奮闘していたころで今より深刻な部分は合ったが心根は今より良かったようである。
小林・えびのと九電連係に立ち会った。
お客さんよりパネルの追加工事を命令される喜び。
長崎・諫早に明日行こうとしていたら、先方の方が偶然宮崎におられる。ナント不思議なめぐり合わせ、
苦しき資金状況があるが順調に仕事にはなっている。
延岡の700坪の改修と4KW、10KWと重なり、右往左往でてんてこ舞い。何はさておき事業拡大しすぎての資金難が辛すぎる。
700KWは九州一の太陽光発電所である。
エエイッ!お正月だ〜
春よこい!♪
2004年12月13日
ほほかぶり 誰かわからぬ すす払い。
別に書き分ける必要はないと思われるが神社仏閣では「御煤払」。
「すすはらい」と「松迎え」とすればなお正確かもしれない。
13日は、「正月始め」や「正月事始」と呼よばれ、正月を迎える準備にとりかかる日。
古くから、「すすはらい」や「松迎え」を行う風習はあった。
私の育ったところもそうで「大掃除」の名称であった。
「すすはらい」は、年末の大そうじを指すわけだが、家の中や周囲をはき清め、一年の厄を取りはらうという意味もある。
「松迎え」は、門松や松かざりの材料を山にとりに行くことで、この日だけは、どこの山に入っても許された
鏡餅なる飾り餅の下に敷くウラジロ、クマザサ、そしてシャカキ
松の枝葉は近くの山にはなかなかなくて苦労したものであった。
集落の近くの山はそう深くなく林をなしていた。
この林はクヌギ、コナラ、カシ、シイノキ、エゴノキなど落葉広葉樹の平地林であった
この谷間にゴルフ場開発が持ち上がったが、次兄良富は自然を守り抜いてくれたと人づてに聞いた。偉い!
すこしずつ、杉ヒノキの人口植林の山が出てき始めてはいたが
「武蔵野雑木林」はこのようであったのでらろう。
武蔵野を愛した作家で初めて「雑木林」という名称をつけたのは
国木田独歩。
集落内では決して雑木林などとはいわず「山林ヤマ」と呼んでいた。
ヤマは薪炭や堆肥や防風など農業を営むうえの大切な生活の場だった。
食糧難と流通機構のない時代は自然の冷蔵庫で食料の宝庫であった。
グミ、ヤマモモ、トッポ、アケビ、しいのみ(コジノミ)ガラミ(ヤマブドウ)我が家のおかずにはこの時期はヤマイモ堀である。
春は新緑、夏は緑陰、秋は黄紅葉、冬は落葉と折々の季節感をはぐくんでくれチャンバラ遊び、落とし穴ゴッコ、忍者ゴッコ、隠れ家つくりと農作業の手伝いのないときは寸暇を割いて雑木林を遊びまわった。
ヤマは命をはぐくんでくれた。
川原集落には2つの墓地があった。
1ヵ所は5戸のみで袋が島と称する字の中心集落の離れに合った。
先輩方より受け継がれていた集落の墓掃除は子供会主催で子供のみで実施された
土葬もかなりあり、棺おけが朽ちるころになると大きな穴があき仏様さえ見えたことがある
その後に墓石の墓標を立てたものであった。
家の内では爺婆の死があり、外では集落内の方の死を見つめた。
牛、馬、愛犬ポチ多くの愛する生き物が死に別れた。
馬の死骸は馬の墓地に捨てた大きくて大変であった。
先日牛馬の墓地を通って見たら無くなっており、工場になってたが大丈夫?馬と牛だからイイものをウマとシカだったらどうなる?
このころの墓地は草も枯れていたが九州連山を成す「三財の山・寒川」からの空っ風で日曜日の朝の墓地は寒かった。
近くの稲藁を持ち出し枯れ草を燃やしながらで暖を取りとり作業をした。
墓標の左右の花立ては通常、竹で作られていたがこの時期は新しき竹製筒に変えられた
仕舞のはやき家は掃除が済む午後には、日ごろのシャカ木に変わり、松梅竹が竹の筒に飾られた。
家に帰ると畳干し、大掃除が待っている。
畳の下に敷いてある古新聞で鏡里や千代の山等歴代のスポーツ記事の部分が出ようものなら大変。
庭で行われている畳を棒でたたきごみを追い出す作業はしばし中断した。
粉薬が撒かれ蚤なる吸血虫の退治がなされ畳は夕方元に返された。
粉薬?DDTですよ!ひどいもんです。
たたみは中央でたたみ同士が二枚ついで三角形の頂点をなし太陽の陽を浴びた
宅地内には多くの神々がいた
あさの食事前にはそれらにすべて小さな杯で食事を差し上げた。
牛舎には馬頭観音、二つの社の氏神様、水神様、道祖神、タバコ乾燥場の火の神、かまどの神・・
神官さんもお見えになり、御幣を切って頂きそれぞれに飾った
家の中はひどいもので蒔きで暖をとってる囲炉裏のためススどこではない。
袋に入るほどのススの量が出てくるのだ
前が見えぬほどの大気中いっぱいのゴミたるススである。
ほほかぶり 誰かわからぬ すす払い。
名句でしょうが。
こんな状況はないもんな〜
寒く辛い中にも全員総出の「すすはらい」と「松迎え」であった。
丁度そのころ川に障子を洗いに行ってたリャカー、荷車が帰ってくる
真っ白な障子が家内風景を一遍させる。
生垣で枯れてるところに切り立ての真新しき竹が差し込まれ
正月が待たれる。
新しき衣類が供給されるのも楽しみだし、家業の手伝いのない遊べるのが何より楽し。
お年玉・・そんなもんありましょうや。
おまわりさんの叔父とか生け花の宮崎市内のお師匠さんがたより。
第1回県民栄誉賞を受賞されたんですよ!この井上のおばさん。凄い!
正月に囲炉裏で木を燃やすわけにも行かず残りの火の粉でコタツにするよって燃料たるスミ木炭つくりである。
隣接する畑で土の中に木をくみ上げ土で覆う
今では焼き鳥やうなぎをおいしく焼き上げる木炭。
と言わないと理解できないであろうが唯一の暖をとる燃料であった。
消壷なるスミを作る壷も合った。五右衛門風呂を沸かしあげた釜にしたの「オオキリ」を消壷にいれスミを作った。
土を覆って何日間化かけて焼いた木炭とはまったく違うスミができた。
木炭スミとは異なる簡単な長持ちしないスミ。
木炭は一度焼かれて黒焦げになっているのに、なぜ再び燃料として使うことができるのか。
秘密は焼き方にある。普通に木材に火をつけると、木材の成分が満遍なく燃えていく。
一方、炭焼きは密封状態のかまで焼くため酸素の量が極めて少ない「蒸し焼き」になり、木に含まれる成分が燃えるというより、徐々に熱で分解されていく。
木材の主成分であるセルロースやリグニンを構成する水素や酸素がガスとなって抜けた結果、最後に炭素が残るのだ。
宮崎県木材利用技術センター所長の有馬孝禮・東京大名誉教授(木材物理学)は
「炭素は酸素と結びついて燃える。かまの中は酸素が少ないため、分解されない炭素が残りやすい。空気中で普通に燃やした木材も『消し炭』にはなるが、炭素量は木炭の方が圧倒的に多い」と話す。
残り少ない日々であるが、身につまされる。
「人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして『まさか』」といったのを読んだが、どうにもいけない。
やはり寄らば大樹、みんな、おりこうさん!である。
早く店舗をやらねばのたれ死に!である。
家賃20万にみあった営業はここでは無理である。
懐かしきなり、幼きころの年越し風景・・迎春!
ユーミン!奏でろ!♪♪「はるよこい!」♪♪♪
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仕事の悩みからかどうにも文章がドギツイ!とのご叱咤、激励である。
事例に出されたのが一昨年のころのもの。
ウム〜そうだな〜一人奮闘していたころで今より深刻な部分は合ったが心根は今より良かったようである。
小林・えびのと九電連係に立ち会った。
お客さんよりパネルの追加工事を命令される喜び。
長崎・諫早に明日行こうとしていたら、先方の方が偶然宮崎におられる。ナント不思議なめぐり合わせ、
苦しき資金状況があるが順調に仕事にはなっている。
延岡の700坪の改修と4KW、10KWと重なり、右往左往でてんてこ舞い。何はさておき事業拡大しすぎての資金難が辛すぎる。
700KWは九州一の太陽光発電所である。
エエイッ!お正月だ〜
春よこい!♪
2004年12月13日
ほほかぶり 誰かわからぬ すす払い。
別に書き分ける必要はないと思われるが神社仏閣では「御煤払」。
「すすはらい」と「松迎え」とすればなお正確かもしれない。
13日は、「正月始め」や「正月事始」と呼よばれ、正月を迎える準備にとりかかる日。
古くから、「すすはらい」や「松迎え」を行う風習はあった。
私の育ったところもそうで「大掃除」の名称であった。
「すすはらい」は、年末の大そうじを指すわけだが、家の中や周囲をはき清め、一年の厄を取りはらうという意味もある。
「松迎え」は、門松や松かざりの材料を山にとりに行くことで、この日だけは、どこの山に入っても許された
鏡餅なる飾り餅の下に敷くウラジロ、クマザサ、そしてシャカキ
松の枝葉は近くの山にはなかなかなくて苦労したものであった。
集落の近くの山はそう深くなく林をなしていた。
この林はクヌギ、コナラ、カシ、シイノキ、エゴノキなど落葉広葉樹の平地林であった
この谷間にゴルフ場開発が持ち上がったが、次兄良富は自然を守り抜いてくれたと人づてに聞いた。偉い!
すこしずつ、杉ヒノキの人口植林の山が出てき始めてはいたが
「武蔵野雑木林」はこのようであったのでらろう。
武蔵野を愛した作家で初めて「雑木林」という名称をつけたのは
国木田独歩。
集落内では決して雑木林などとはいわず「山林ヤマ」と呼んでいた。
ヤマは薪炭や堆肥や防風など農業を営むうえの大切な生活の場だった。
食糧難と流通機構のない時代は自然の冷蔵庫で食料の宝庫であった。
グミ、ヤマモモ、トッポ、アケビ、しいのみ(コジノミ)ガラミ(ヤマブドウ)我が家のおかずにはこの時期はヤマイモ堀である。
春は新緑、夏は緑陰、秋は黄紅葉、冬は落葉と折々の季節感をはぐくんでくれチャンバラ遊び、落とし穴ゴッコ、忍者ゴッコ、隠れ家つくりと農作業の手伝いのないときは寸暇を割いて雑木林を遊びまわった。
ヤマは命をはぐくんでくれた。
川原集落には2つの墓地があった。
1ヵ所は5戸のみで袋が島と称する字の中心集落の離れに合った。
先輩方より受け継がれていた集落の墓掃除は子供会主催で子供のみで実施された
土葬もかなりあり、棺おけが朽ちるころになると大きな穴があき仏様さえ見えたことがある
その後に墓石の墓標を立てたものであった。
家の内では爺婆の死があり、外では集落内の方の死を見つめた。
牛、馬、愛犬ポチ多くの愛する生き物が死に別れた。
馬の死骸は馬の墓地に捨てた大きくて大変であった。
先日牛馬の墓地を通って見たら無くなっており、工場になってたが大丈夫?馬と牛だからイイものをウマとシカだったらどうなる?
このころの墓地は草も枯れていたが九州連山を成す「三財の山・寒川」からの空っ風で日曜日の朝の墓地は寒かった。
近くの稲藁を持ち出し枯れ草を燃やしながらで暖を取りとり作業をした。
墓標の左右の花立ては通常、竹で作られていたがこの時期は新しき竹製筒に変えられた
仕舞のはやき家は掃除が済む午後には、日ごろのシャカ木に変わり、松梅竹が竹の筒に飾られた。
家に帰ると畳干し、大掃除が待っている。
畳の下に敷いてある古新聞で鏡里や千代の山等歴代のスポーツ記事の部分が出ようものなら大変。
庭で行われている畳を棒でたたきごみを追い出す作業はしばし中断した。
粉薬が撒かれ蚤なる吸血虫の退治がなされ畳は夕方元に返された。
粉薬?DDTですよ!ひどいもんです。
たたみは中央でたたみ同士が二枚ついで三角形の頂点をなし太陽の陽を浴びた
宅地内には多くの神々がいた
あさの食事前にはそれらにすべて小さな杯で食事を差し上げた。
牛舎には馬頭観音、二つの社の氏神様、水神様、道祖神、タバコ乾燥場の火の神、かまどの神・・
神官さんもお見えになり、御幣を切って頂きそれぞれに飾った
家の中はひどいもので蒔きで暖をとってる囲炉裏のためススどこではない。
袋に入るほどのススの量が出てくるのだ
前が見えぬほどの大気中いっぱいのゴミたるススである。
ほほかぶり 誰かわからぬ すす払い。
名句でしょうが。
こんな状況はないもんな〜
寒く辛い中にも全員総出の「すすはらい」と「松迎え」であった。
丁度そのころ川に障子を洗いに行ってたリャカー、荷車が帰ってくる
真っ白な障子が家内風景を一遍させる。
生垣で枯れてるところに切り立ての真新しき竹が差し込まれ
正月が待たれる。
新しき衣類が供給されるのも楽しみだし、家業の手伝いのない遊べるのが何より楽し。
お年玉・・そんなもんありましょうや。
おまわりさんの叔父とか生け花の宮崎市内のお師匠さんがたより。
第1回県民栄誉賞を受賞されたんですよ!この井上のおばさん。凄い!
正月に囲炉裏で木を燃やすわけにも行かず残りの火の粉でコタツにするよって燃料たるスミ木炭つくりである。
隣接する畑で土の中に木をくみ上げ土で覆う
今では焼き鳥やうなぎをおいしく焼き上げる木炭。
と言わないと理解できないであろうが唯一の暖をとる燃料であった。
消壷なるスミを作る壷も合った。五右衛門風呂を沸かしあげた釜にしたの「オオキリ」を消壷にいれスミを作った。
土を覆って何日間化かけて焼いた木炭とはまったく違うスミができた。
木炭スミとは異なる簡単な長持ちしないスミ。
木炭は一度焼かれて黒焦げになっているのに、なぜ再び燃料として使うことができるのか。
秘密は焼き方にある。普通に木材に火をつけると、木材の成分が満遍なく燃えていく。
一方、炭焼きは密封状態のかまで焼くため酸素の量が極めて少ない「蒸し焼き」になり、木に含まれる成分が燃えるというより、徐々に熱で分解されていく。
木材の主成分であるセルロースやリグニンを構成する水素や酸素がガスとなって抜けた結果、最後に炭素が残るのだ。
宮崎県木材利用技術センター所長の有馬孝禮・東京大名誉教授(木材物理学)は
「炭素は酸素と結びついて燃える。かまの中は酸素が少ないため、分解されない炭素が残りやすい。空気中で普通に燃やした木材も『消し炭』にはなるが、炭素量は木炭の方が圧倒的に多い」と話す。
残り少ない日々であるが、身につまされる。
「人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして『まさか』」といったのを読んだが、どうにもいけない。
やはり寄らば大樹、みんな、おりこうさん!である。
早く店舗をやらねばのたれ死に!である。
家賃20万にみあった営業はここでは無理である。
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