諫早・太陽光発電所
2005年10月17日長崎は私に禁教を抑しうながす忌避する国であった。
殉教者たらん孤高なる3人は果敢に挑戦し成し遂げて帰途のみちを得た。
日向の地に生まれし伊東マンショはこの地から異境ローマに使えしヤトセの旅を信長の時代に成し遂げた。
哀れなり殉教者は8年後の帰国後には秀吉、家康となり、キリスト者は禁教となっていた。
その後に5万のキリスト者たちは島原城を根城に立てこもる。
島原を通過するも仰ぎ見る島原城は立ち寄ることができなかった。
いかにビジネスとはいえども知的好奇心を満たすことに努めてきたこれまでであった。
行きも帰りも今回も果たせずじまい。
背後にこの国の主たる普賢岳が屏風のごとく背後から威圧してるがごときの地形。
有明湾は食の恵みをもたらす豊穣の恵みの穏やかなる源。
船旅1時間は日向の地にない生活環境の体験。
あさ5時に宮崎をたち小林で待ち合わせ。
この時点で予定していた3人は脱落で参加しない。
私のみのアパデン宮崎のスタッフである。
前途多難。
諫早の中心地を経て小長井町入りしたのは15日ちょうどお昼時
腹が減っては戦はできぬ。
まずは結束の固目の宴の3人の侍。
仕事の無難なき完了を祈願してのお神酒なき安全祈願。
深山水産で30個もあろうか牡蠣を巻き網を使い山賊焼きで
ほかにサザエ、ハマグリを交え煙りとパチ〜ンと飛んでくるものと戦いながらひたすら薪を燃やした。
幼き頃のいろりの頃のノスタルジーに浸れた
御代の〆て3000円は昼食にしては出費が痛いが祈願料込みでは致し方ない。
諫早湾を締め切る井関を遠う目に地元の方から状況を伺った。
漁業補償で1000万円を貰ってから気付いたのは生涯補償
で殆んど使い果たしこの業を始めたこと。
豊穣なる恵みのノリ養殖は全滅。食した牡蠣は佐世保からの仕入れの食材であるとのこと。
完全に死滅した海の幸で途方にくれてる状況。
佐賀とか熊本の漁民は保証金を拒絶して反対してること
どうりでここのスーパーとか電気水道やさんとか後ほど接触してみたが暗い!
諫早井関は人間さえも殺し人々に大きな傷跡を残している。
ただ一つの光明の3機の風力発電探しを挑んだが、仏石をやり過し、探しに探したが見つける事かなわず。
この地域の公共施設をまかなってるとの前情報の真意を確かめたがその通りであった。
汚い電気でなくきれいな電気での交通標識、防犯灯を見るとその優しさが良く伝わった。
行政にあったか味を感ずる。
初日は三面設置の南架台工事のみで終了。
現地採用の水道、電気屋さんは不可思議な縁での出会いであった。
飛び込んだところは、日向市内で太陽光発電の販売のみで私共が工事をしているところのもとの会社ではないか。
この諫早と宮崎に共通項があったのである。
実は二日目の諫早ビジネスの仲居さんと話していたら北郷村に妹さんが嫁に行っておられるとの事。
よくも宮崎の偏狭の地にこの諫早から縁があったものである。
また出くわしてる私共の不可思議さ。
この仕事をしているとお天道様がついて来て頂いている。
初日は有明旅館に泊めていただく。
小長井町の唯一の宿泊施設。
男同士の3時間もの夜の会話はアルコール抜きには話にならぬ。お茶ではどうにもならぬであろう。
もちろんインター・ネットなど無縁の地。
普及率が非常に悪い。
その太陽光発電システムにしても小長井町牧では第一号である。
世の中には宮崎より田舎があったものである。
開拓者たらん!
4kw工事を15日〜17日で終えた。
この状況ではいい会社には程遠い。
宮崎より仕事の依頼が相次ぐ。
帰ったら大忙し。
確実なる福の神が舞い込んでいる。
ところがそううまい話だけではない。
職人さんに理解がいきわたらぬ以上電話の応対一つできない
携帯を忌避したのも始めてである。
悲しき状態の一人ぼっちの私がいる。
天涯孤独の中に仕事のみがついて回っている。
船旅で必死で船中からまく、食べ物を追ってくるカモメの如きであろうか。
中国の故事に「伏すこと久しき者は飛ぶこと必ず高し」がある
長い間うずくまって力を蓄えた鳥は、いったん飛び立てば必ず高く舞い上がるという教えだ。
功を焦らない方が良いとの意味がこめられていると私は見る
訪れていただきありがとうございます。
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日向の地に生まれし伊東マンショはこの地から異境ローマに使えしヤトセの旅を信長の時代に成し遂げた。
哀れなり殉教者は8年後の帰国後には秀吉、家康となり、キリスト者は禁教となっていた。
その後に5万のキリスト者たちは島原城を根城に立てこもる。
島原を通過するも仰ぎ見る島原城は立ち寄ることができなかった。
いかにビジネスとはいえども知的好奇心を満たすことに努めてきたこれまでであった。
行きも帰りも今回も果たせずじまい。
背後にこの国の主たる普賢岳が屏風のごとく背後から威圧してるがごときの地形。
有明湾は食の恵みをもたらす豊穣の恵みの穏やかなる源。
船旅1時間は日向の地にない生活環境の体験。
あさ5時に宮崎をたち小林で待ち合わせ。
この時点で予定していた3人は脱落で参加しない。
私のみのアパデン宮崎のスタッフである。
前途多難。
諫早の中心地を経て小長井町入りしたのは15日ちょうどお昼時
腹が減っては戦はできぬ。
まずは結束の固目の宴の3人の侍。
仕事の無難なき完了を祈願してのお神酒なき安全祈願。
深山水産で30個もあろうか牡蠣を巻き網を使い山賊焼きで
ほかにサザエ、ハマグリを交え煙りとパチ〜ンと飛んでくるものと戦いながらひたすら薪を燃やした。
幼き頃のいろりの頃のノスタルジーに浸れた
御代の〆て3000円は昼食にしては出費が痛いが祈願料込みでは致し方ない。
諫早湾を締め切る井関を遠う目に地元の方から状況を伺った。
漁業補償で1000万円を貰ってから気付いたのは生涯補償
で殆んど使い果たしこの業を始めたこと。
豊穣なる恵みのノリ養殖は全滅。食した牡蠣は佐世保からの仕入れの食材であるとのこと。
完全に死滅した海の幸で途方にくれてる状況。
佐賀とか熊本の漁民は保証金を拒絶して反対してること
どうりでここのスーパーとか電気水道やさんとか後ほど接触してみたが暗い!
諫早井関は人間さえも殺し人々に大きな傷跡を残している。
ただ一つの光明の3機の風力発電探しを挑んだが、仏石をやり過し、探しに探したが見つける事かなわず。
この地域の公共施設をまかなってるとの前情報の真意を確かめたがその通りであった。
汚い電気でなくきれいな電気での交通標識、防犯灯を見るとその優しさが良く伝わった。
行政にあったか味を感ずる。
初日は三面設置の南架台工事のみで終了。
現地採用の水道、電気屋さんは不可思議な縁での出会いであった。
飛び込んだところは、日向市内で太陽光発電の販売のみで私共が工事をしているところのもとの会社ではないか。
この諫早と宮崎に共通項があったのである。
実は二日目の諫早ビジネスの仲居さんと話していたら北郷村に妹さんが嫁に行っておられるとの事。
よくも宮崎の偏狭の地にこの諫早から縁があったものである。
また出くわしてる私共の不可思議さ。
この仕事をしているとお天道様がついて来て頂いている。
初日は有明旅館に泊めていただく。
小長井町の唯一の宿泊施設。
男同士の3時間もの夜の会話はアルコール抜きには話にならぬ。お茶ではどうにもならぬであろう。
もちろんインター・ネットなど無縁の地。
普及率が非常に悪い。
その太陽光発電システムにしても小長井町牧では第一号である。
世の中には宮崎より田舎があったものである。
開拓者たらん!
4kw工事を15日〜17日で終えた。
この状況ではいい会社には程遠い。
宮崎より仕事の依頼が相次ぐ。
帰ったら大忙し。
確実なる福の神が舞い込んでいる。
ところがそううまい話だけではない。
職人さんに理解がいきわたらぬ以上電話の応対一つできない
携帯を忌避したのも始めてである。
悲しき状態の一人ぼっちの私がいる。
天涯孤独の中に仕事のみがついて回っている。
船旅で必死で船中からまく、食べ物を追ってくるカモメの如きであろうか。
中国の故事に「伏すこと久しき者は飛ぶこと必ず高し」がある
長い間うずくまって力を蓄えた鳥は、いったん飛び立てば必ず高く舞い上がるという教えだ。
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