12月8日
2005年12月8日12月8日がくると記憶が鮮明に蘇る。
10数年にわたり月一の日程で県内くまなく老人施設を慰問で回った。
生のバンドを背景に戦前が殆んどの曲を選曲し懐かしき衣装をつけ芸を披露した。
10数人が唯一の3分間のために参加した。毎回総勢20数人を超えた。
130回以上を上回ったが、リーダーの勇退と私のこともあり解散した。
メンバーも鬼籍に入られてる人が多い。
私は司会進行一切を取り仕切った。
幕間には手品をやったり小話で時間をつないだ。
日曜日のロッテ歌のアルバムの司会者玉置宏の進行を目標とした。
この時期が近づくと決まって終了後、怒こられた。
何故か?時間が長すぎる。との苦情である。
同期のサクラやラバウル小唄などなどの戦時懐メロのときのイントロの時間の前説明である。
演じられる曲はいずれもイントロが随分と長く、司会の真骨頂。
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
米国のラジオで異邦人の来襲で大騒ぎになったオーソン・ウエルズばりの真迫をもって場内にマイク無しで響かせた。
53年前の昭和16年の12月8日の午前7時のこと。
奇しくも東京の最低気温は2・2度で同じ状況なんだったのである。
小泉の孤立したアジア外交、脱しきれない不況の風、憲法改正の政治状況と総てがナント似てることか。
館野守男アナウンサーがこれを2回繰り返した
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
「大本営〜陸海軍部発表!、12月8日午前6時。
帝国陸海軍は本8日未明、
西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
私の司会時間ならず、暴走はここまで窮まれり。
これから3年8か月に及ぶ戦争の日々が続き、それから今年は敗戦から60年を経た。
いまなお真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナ号からは、64年たった今も、オイルが浮かんでくる世言う。
「リメンバー・パールハバー」
怨み骨髄の「ジャップ!」と同じの憎悪の言葉である。
不思議なことにこの国とだけ外交がうまくいっている。
新聞によると
「聴きいる人々が箸を捨てた、フオークを捨てた、帽子もオーヴアも脱いだ……全員蕭然と直立し頭を垂れ、感極まつてすゝり泣く人さへあつた」。東京・神田でラジオの開戦の放送を聴く人々の姿で、「同じやうな感激の光景は全国至るところに描かれた」と、毎日紙が書いている。
日本を新たに牛耳る人々のようにとても「想定内」ではすまされないお話である。
しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時何だそうである。
米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。
そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦。
シンガポールのリー・クアンユー元首相は開戦時、18歳の大学生。回顧録(日経新聞)で日本について書いた。
「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、それでもいま私は日本人を立派だと思う。日本人の持つ集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。それらすべてが日本の力のもとになっている」
その視点で工事進捗の会議を終えて我がアパデン宮崎を見る。
資金難とスケジュールに対する予算と数限りない不安が横たわっている。
スタッフを見回しての事と迫りくる不安である。
仲間の○○さんがTELで「なんかあったと?」と再電話をしてくるぐらいに凹ンでるようだ。
小説や漫画の世界ではいま、「死神」がブームであるとも新聞は伝える。
小説「死神の精度」伊坂幸太郎著(文芸春秋)が売れてるらしい。
生きていることの手応え、生の実感が希薄な時代ゆえ、死の恐怖の死神に心をひかれるのであろうかと結んでいる。
NPO法人の中心メンバーの一人を絞死で失ったゆえ身近である。
あまりにもの難題の連続と多忙さに己を見失ってるやも知れない。
歌人の斎藤史(ふみ)の歌う
、「死の側より照明(てら)せばことにかがやきて
ひたくれなゐの生ならずやも」
悪霊がついたのか。死の側から照らしテルのやも知れない。
忙中間アリ、ご利益と工事の安全を祈願してのことである。
あんなに足げく伺うのに365段の階段のある宇納間本尊ははじめてであった。
全長寺の仁王門を抜けて目指すは杉の森に守られし鎮守の森に控えし巨樹100選 のイチイガシ、
巨樹100選では次の通りである。
樹種:ブナ科イチイガシ
幹周:756cm 樹高:33m
所在:宮崎県北郷村宇納間(うなま)・宇納間神社
指定:村天然記念物,みやざきの巨樹100選
ところが状況が違う。
駐車場をかねた展望台はいいがなんかが違う。
ネットを開いてわかった。
・・・・「岩井川神社のイチイガシ(日之影町)」が失われて以来、カシの仲間としては県内トップの座にあった「宇納間のいちのき」が台風16号の大風で倒されてしまいました。
社叢を形成していたスギの大木が無惨になぎ倒されました。押し潰された石段も見えます。それにしても、この広い社叢の中で倒された樹は、前述の駐車場から見える範囲
その下方に見える草地は近年造成された駐車場で、神社の例祭などに利用するために造られたようです。
駐車場が造成された場所には、以前は生い茂る樹林があったように記憶しています。そう言えば、当サイトのふるさとの紀・季・樹:熊本県一の宮町で紹介している「手野の杉」も、かつては深い森から成っていた周囲の環境が変わり、巨樹が大風の直撃を受けるようになった経緯があります。
・・・・・・
階段の上り口に鉄城山の記載がある。
岩倉親氏の全山寄贈したとの来歴。奇特な人がいたものである。
「火伏せ地蔵」名高いこの山は最近まで個人所有であったようだ
神仏混淆の形式をそのまま残している珍しい地蔵尊として知られる大分県日田郡天瀬町「高塚愛宕地蔵尊」の本家筋でもあるとの解説をご同行の方から教えてもらう。
ここの巨木推定1000年の銀杏木をはいまだ元気のご様子。鎮守の森に手をつけず畏怖を保ってるからであろう。
足腰の痛みに耐えかねるころ社殿が開ける。
奈良時代の名僧行基が一刀刻むごとに三礼をもって彫刻された霊仏で、60年に一度しかご開帳にならないらしい。
何故ここに奉られてるのか。
将軍家11代家斉のころの1802年江戸市中の大火を鎮火させ、延岡を納める内藤政つぐの江戸屋敷のみが焼けなかったが神からの地元で守らせよとのお告げがあったそうである。
旧暦の1月、6月、9月の24日が祭礼日で特に旧正月の24日の大祭日には3万人もの人出でにぎわってるそうだ。
昴天文台の工事のとき迷って聞いた店が実にいい。
そのおかみさんの優しかったことは忘れない。
記録ではこうだ。。
甲斐敦夫酒店
酒類専門
住所 北郷村宇納間中原
電話 0982−62−5011
あと24日で消え行く北郷町で美郷町(misato)となる。
23日の午前中に閉村式が行われる。
偉大なるマラソン・ランナー広島兵庫・広島日出国を生んだ村が消えていく。
ドイツ・ベルリンの人間機関車ザトペックとの死闘の美談は日本人の誠実さを世界に轟かせた。
1メートル60センチに満たない小男を世界の大巨人にした。
その努力は村おこしに引き継がれている。
年2回、春と秋の六峰街道歩こう大会100人を超えるライダーを迎えてのオフロードバイク
スターランドラリーin中小屋と活性化の努力は涙ぐましい。
火の神を奉らんがためお土産を携えてこの地から降りた。
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10数年にわたり月一の日程で県内くまなく老人施設を慰問で回った。
生のバンドを背景に戦前が殆んどの曲を選曲し懐かしき衣装をつけ芸を披露した。
10数人が唯一の3分間のために参加した。毎回総勢20数人を超えた。
130回以上を上回ったが、リーダーの勇退と私のこともあり解散した。
メンバーも鬼籍に入られてる人が多い。
私は司会進行一切を取り仕切った。
幕間には手品をやったり小話で時間をつないだ。
日曜日のロッテ歌のアルバムの司会者玉置宏の進行を目標とした。
この時期が近づくと決まって終了後、怒こられた。
何故か?時間が長すぎる。との苦情である。
同期のサクラやラバウル小唄などなどの戦時懐メロのときのイントロの時間の前説明である。
演じられる曲はいずれもイントロが随分と長く、司会の真骨頂。
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
米国のラジオで異邦人の来襲で大騒ぎになったオーソン・ウエルズばりの真迫をもって場内にマイク無しで響かせた。
53年前の昭和16年の12月8日の午前7時のこと。
奇しくも東京の最低気温は2・2度で同じ状況なんだったのである。
小泉の孤立したアジア外交、脱しきれない不況の風、憲法改正の政治状況と総てがナント似てることか。
館野守男アナウンサーがこれを2回繰り返した
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
「大本営〜陸海軍部発表!、12月8日午前6時。
帝国陸海軍は本8日未明、
西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
私の司会時間ならず、暴走はここまで窮まれり。
これから3年8か月に及ぶ戦争の日々が続き、それから今年は敗戦から60年を経た。
いまなお真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナ号からは、64年たった今も、オイルが浮かんでくる世言う。
「リメンバー・パールハバー」
怨み骨髄の「ジャップ!」と同じの憎悪の言葉である。
不思議なことにこの国とだけ外交がうまくいっている。
新聞によると
「聴きいる人々が箸を捨てた、フオークを捨てた、帽子もオーヴアも脱いだ……全員蕭然と直立し頭を垂れ、感極まつてすゝり泣く人さへあつた」。東京・神田でラジオの開戦の放送を聴く人々の姿で、「同じやうな感激の光景は全国至るところに描かれた」と、毎日紙が書いている。
日本を新たに牛耳る人々のようにとても「想定内」ではすまされないお話である。
しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時何だそうである。
米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。
そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦。
シンガポールのリー・クアンユー元首相は開戦時、18歳の大学生。回顧録(日経新聞)で日本について書いた。
「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、それでもいま私は日本人を立派だと思う。日本人の持つ集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。それらすべてが日本の力のもとになっている」
その視点で工事進捗の会議を終えて我がアパデン宮崎を見る。
資金難とスケジュールに対する予算と数限りない不安が横たわっている。
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仲間の○○さんがTELで「なんかあったと?」と再電話をしてくるぐらいに凹ンでるようだ。
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小説「死神の精度」伊坂幸太郎著(文芸春秋)が売れてるらしい。
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NPO法人の中心メンバーの一人を絞死で失ったゆえ身近である。
あまりにもの難題の連続と多忙さに己を見失ってるやも知れない。
歌人の斎藤史(ふみ)の歌う
、「死の側より照明(てら)せばことにかがやきて
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悪霊がついたのか。死の側から照らしテルのやも知れない。
忙中間アリ、ご利益と工事の安全を祈願してのことである。
あんなに足げく伺うのに365段の階段のある宇納間本尊ははじめてであった。
全長寺の仁王門を抜けて目指すは杉の森に守られし鎮守の森に控えし巨樹100選 のイチイガシ、
巨樹100選では次の通りである。
樹種:ブナ科イチイガシ
幹周:756cm 樹高:33m
所在:宮崎県北郷村宇納間(うなま)・宇納間神社
指定:村天然記念物,みやざきの巨樹100選
ところが状況が違う。
駐車場をかねた展望台はいいがなんかが違う。
ネットを開いてわかった。
・・・・「岩井川神社のイチイガシ(日之影町)」が失われて以来、カシの仲間としては県内トップの座にあった「宇納間のいちのき」が台風16号の大風で倒されてしまいました。
社叢を形成していたスギの大木が無惨になぎ倒されました。押し潰された石段も見えます。それにしても、この広い社叢の中で倒された樹は、前述の駐車場から見える範囲
その下方に見える草地は近年造成された駐車場で、神社の例祭などに利用するために造られたようです。
駐車場が造成された場所には、以前は生い茂る樹林があったように記憶しています。そう言えば、当サイトのふるさとの紀・季・樹:熊本県一の宮町で紹介している「手野の杉」も、かつては深い森から成っていた周囲の環境が変わり、巨樹が大風の直撃を受けるようになった経緯があります。
・・・・・・
階段の上り口に鉄城山の記載がある。
岩倉親氏の全山寄贈したとの来歴。奇特な人がいたものである。
「火伏せ地蔵」名高いこの山は最近まで個人所有であったようだ
神仏混淆の形式をそのまま残している珍しい地蔵尊として知られる大分県日田郡天瀬町「高塚愛宕地蔵尊」の本家筋でもあるとの解説をご同行の方から教えてもらう。
ここの巨木推定1000年の銀杏木をはいまだ元気のご様子。鎮守の森に手をつけず畏怖を保ってるからであろう。
足腰の痛みに耐えかねるころ社殿が開ける。
奈良時代の名僧行基が一刀刻むごとに三礼をもって彫刻された霊仏で、60年に一度しかご開帳にならないらしい。
何故ここに奉られてるのか。
将軍家11代家斉のころの1802年江戸市中の大火を鎮火させ、延岡を納める内藤政つぐの江戸屋敷のみが焼けなかったが神からの地元で守らせよとのお告げがあったそうである。
旧暦の1月、6月、9月の24日が祭礼日で特に旧正月の24日の大祭日には3万人もの人出でにぎわってるそうだ。
昴天文台の工事のとき迷って聞いた店が実にいい。
そのおかみさんの優しかったことは忘れない。
記録ではこうだ。。
甲斐敦夫酒店
酒類専門
住所 北郷村宇納間中原
電話 0982−62−5011
あと24日で消え行く北郷町で美郷町(misato)となる。
23日の午前中に閉村式が行われる。
偉大なるマラソン・ランナー広島兵庫・広島日出国を生んだ村が消えていく。
ドイツ・ベルリンの人間機関車ザトペックとの死闘の美談は日本人の誠実さを世界に轟かせた。
1メートル60センチに満たない小男を世界の大巨人にした。
その努力は村おこしに引き継がれている。
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