NHK1の夜10時から11時の「人間ドキュメント」はもっとみんなに見れる時間に放映したがいい。
今夜は無名塾を主唱する仲代達也72歳の老いとの戦いにジックリと迫った。
仲代達也いわく「人間はそう簡単には幸福になれない。」
10年前妻を亡くし自殺さえ考えたが、うつろ、むなしさの中に見出したのが3歳年上の民芸の奈良岡との競演の道の舞台「ドライブイング・デージー」であった。
金持ちのデイジーと雇われ黒人運転手フオークとのお話である。
9月より全国60箇所を半年かけて回る。
老いから来るセリフ覚えの困難さ舞台前のお話であった。
仲代達也といえばクロサワ映画の「7人の侍」や「人斬り」の勝新太郎、石原裕次郎、三島由紀夫
と競演した20代の頃の嘱望された名優を思い出す。
「人間は愛すべきもの。」極めつけの境地を教えられた。
舞台、役者は麻薬ではないのか。
私が太陽光発電の普及に賭けるのと同じである。
ここんとこ昼じきも満足に無い時間が続いている。
師匠からは独占にまつわりつく電力料金の不安の宿題が寄せられているが答える時間は無かった。
太陽光発電を普及させても所詮電力会社からの攻勢で太陽光発電からの買い上げ価格を変更・引き下げさせられようとのことである。
社会制度を時の政治権力に委ねているゆえ、起こりうる事やも知れない。
だが、私共の世代はそれに怯むことは無い。
どだい社会改革の運動は勝つことは数少ない。
負けた軍隊ほど良く学ぶものだ。ますます弱いものがスクラムを高くまとまることである。
我らの世代は、誰でもがよりよき社会を目指し社会改革の政治的人間性を帯びていた。
仕事を通じて社会貢献をして幸せを手に入れ子や孫の幸せを祈って生きてきたのが団塊の世代であった。
ところが、こうまでグローバル社会なる名のもとに金本位の社会的地位が決まる社会的常態化を誰が予測したであろう。
末期的世相の拝金思想の蔓延化である。
この国を包む社会制度の総てがほころびを見せる末期的症状である。。
アングロサクソン流のユダヤ的な金にのみ動く蔑まれた華僑的生き方が全盛の世の中である。
フリーター200万人、ニート60万人、児童虐待の相談年間3万件、
『下流社会』なる新たな階層の出現を描いた新書の発行部数が50万部を超えた。。
疎外された若者や、親の自覚が無い親の急増、格差の拡大・固定化への人々の不安といった日本の今の状況や地方都市の衰退ぶり若者の閉塞状況が社会を覆っている。
これらの社会現象、法則を解き明かすに哲学的手法がより正確性を導くことであろう。
ソクラテスの対話をおしすすめたヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。
ヘーゲルの弁証法は、3つの段階に分けて説明される。
ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する命題(アンチテーゼ=反)、もしくは、それを否定する反対の命題、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。
生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。
最後には二つがアウフヘーベンaufheben(止揚)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。
しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。
またヘーゲルは、歴史とは一つの大きな弁証法、すなわち奴隷制という自己疎外から、自由と平等な市民によって構成される合理的な法治国家という自己統一へと発展する「精神」が実現していく大きな運動だと認識した。
ヘーゲルの観念論による弁証法における観念の優位性を唯物論による物質の優位性に反転させることで、唯物弁証法(唯物論的弁証法)またはマルクス主義的弁証法が考え出された。
この弁証法を歴史の理解に応用したものが、史的唯物論(唯物史観)であり、この見方は、マルクスやエンゲルス、レーニン、トロツキーの著作に見て取ることができる。
毛沢東の矛盾論も忘れてはならない。
この弁証法は、マルクス主義者の思想の核心的な出発点となるものである。
エンゲルスは『自然弁証法』において、唯物論的弁証法の具体的な原則を三つ取り上げた。
?「量から質への転化、ないしその逆の転化」
?「対立物の相互浸透(統一)」
?「否定の否定」
これらがヘーゲルにおいても見られることをエンゲルスも認めている。1.は、量の漸次的な動きが質の変化をもたらすということをいっており、エンゲルスは例えば、分子とそれが構成する物体ではそもそもの質が異なることを述べた。
スターリン主義における弁証法的唯物論は、政治的イデオロギーの側面が非常に強かったため、だんだんと教条主義的、また理論的に破綻したものへと変わって行った。
さてこのような弁証法の手法を用いて閣下の総力たるエネルギー問題を紐解いて師匠の問題定義に答えたい。
メリクマールとなるのは???である。
太陽光発電の限りなき普及で時の権力者は無視できないエネルギーとなり中曽根の作った原子力政策を見直さざる得なくなろう。
量の質への転かである。
汚い九電電気ときれいな太陽光発電電気はそれぞれ補完しあおう。対立物の統一である。
どちらを使うかは民主主義の進展に従わざる得ない。
300年の歴史を持つドイツ民主主義の勝利たる汚い電気の原子力を放棄した国策の如きである。
地球が滅んでいく状況下での人間の英知に期待したい。
老いても挑戦する人間愛に地球の将来を託して滅私奉公の毎日である。
廉価販売で厳しき経営実態だが、太陽光発電の未来は明るい。
12月8日にイラク派兵延長を決める恐ろしき小泉政治とは無縁のへいわの象徴であり、エネルギーの基本である。
いずれ国策の中心を占めるエネルギーとなろう。
今は普及をすることである。

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