君の瞳に乾杯。!

2005年12月26日
軍事国家に傾斜を早める経済体質ゆえに戦争のための入体験ではないが経営状態は匍匐前進の状態である。
匍匐といえば我が県も綾、都農、そしてついに五ヶ瀬にワイナリーがオープンした。と地元紙が伝えている。
五ケ瀬町や雲海酒造などが出資する第三セクター五ケ瀬ワイナリーが五ケ瀬町桑野にオープン。連休の日が、初蔵出しだった。
手にしたワインは「雪の麗峰」。
ブドウ生産から醸造まで一貫して町内で行われた「100%五ケ瀬町産」のワイン。
 雪の麗峰は「ブラックオリンピア」を原料に造られた甘口の白ワイン。
うっすらピンクがかった色で控えめな甘さと適度な酸味。
都農の食用キャンベルを使ったワインに比べるとより上質な味わいが楽しめる。
七千五百本を町内限定で販売。知人を使わないと手にいらない。
葡萄のオリンピアは大粒の新品種のぶどうとして、東京オリンピックの開催の年に命名された。
育成が難しく「幻のぶどう」になってしまうかもしれないと言われた時期もあった品種。
生産量はやって間もないのでまだごくわずか。
このブラックオリンピア、見た目は巨峰に似てるが巨峰よりピオーネに近い味わい
通常のオリンピアより甘みが濃厚で、まるで「ハチミツぶどう」
糖度は18〜20度にも達する黒色品種の最高峰の「秀品」
「雪の麗峰」にふさわしい。 
 五ケ瀬ワイナリーの営業時間は
午前十時から午後五時まで。年内は二十九日で終了。年明けの一月四日に再開する。問い合わせは
同ワイナリーTEL0982(73)5477。
ところが地球を覆う温暖化の凶器CO2が安定成長を許さない状況にある。
ニュースは伝える。
異常気象 変わる?ワイン産地 温暖化で“北上”
 地球温暖化の影響で、ワイン産地の世界地図が将来、塗り替えられそうだという。
今後、五十年で地球の気温が平均二度上昇すると、フランスのボルドーやイタリア・トスカーナ地方の
キャンティなどにとって代わって、英国南部やドイツ北部がワインの有力産地になるというのだ。
実際、英国のスパークリングワインがフランス・シャンパーニュ産のシャンパンをおさえ品評会で賞を受けるなど、“異変”が起きている。と杉浦美香は現地レポートを書いた。
 米国・南オレゴン大のグレゴリー・ジョーンズ博士らは、英ハドレイセンターの気候モデルを使用して、世界二十七産地のワインの出来具合を分析。
今月、「気候変化と世界のワインの品質」と題した論文を発表した。
 それによると、一九五〇−九九年の過去五十年間に気温が平均一・二六度上昇。
ブドウの収穫産地の多くが、温度上昇の恩恵を受けていたという。
 二〇〇〇−四九年の五十年では、気温が平均二・〇四度上昇。仏ボルドー地方やシャンパーニュ地方
、伊トスカーナ地方は糖分の含有量が高くなり、酸味を失ったりアルコール度数が増すなど味に影響が出るという。
 ジョーンズ博士は産経新聞の伝えるところ
「短期でみればボルドーでは熱波で今年などはワインのあたり年になっているが、長期では、温度だけでみるとワインの適地がドイツ北部や英国南部に移る可能性がある。ワイン産地は、生き残るため工夫しなければならなくなるだろう」と指摘する。
 この予測はすでに現実になっている。
英ガーディアン紙によると、温暖化に危機感をもった仏・シャンパーニュ地方のワイナリーが英国のスパークリングワインに関心を寄せ、英南部サセックスやケントでの栽培を検討しているという。
世界五十カ国以上が参加し、ワイン品評会としてもっとも歴史が長い「インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション」では今年、サセックスのスパークリングワインが金賞をとった。
英国の雑誌「フィッチ?」が催した専門家による目隠しテストでも、シャンパンではなく英国のスパークリングワインが選ばれたという。
 日本でも温暖化の影響もあり、標高の高い長野県がワイン王国・山梨県のお株を奪う勢いだ。
今年の国産ワインコンクールで欧州系品種赤の部門で、金賞をとった七銘柄中六銘柄が長野県産のブドウを使っていた。
 長野県中信農業試験場の茂原泉部長は「標高七〇〇メートルの塩尻が今は赤ワイン用ブドウ栽培に最適だが、温暖化が進むと岩手や青森、北海道が最適地になる可能性がある。今後、県内でも山地で栽培するなど温暖化について考える必要がある」と話している。
ワイン造りを証明する最も古いものがメソポタミアの先住民のシュメール人が残した約6000年前のものと思われるロール・シール(roll seal ワインの壷などの口を粘土で塞ぎ、その上に刻印をする丸い大理石などの棒)が発見されている。
 このようにヨーロッパではワイン造りの歴史は数千年の歴史がある、
日本でワイン造りが始まったのは明治時代の初めからで、百数十年の歴史。
ぶどう品種は北アメリカを原産地とするヴィティス・ラブルスカ(アメリカ系ぶどう)とカスピ海と黒海に挟まれたコーカサス地方(現在のグルジア共和国)を原産地とするヴィティス・ヴィニフェラ(ヨーロッパ系ぶどう)に二分される。
ヴィティス・ラブルスカが生食ぶどうやジュース用ぶどうに多く利用されているのに対し、
ヴィティス・ヴィニフェラは「ワインを造るぶどう」を意味し、約150品種がワイン醸造によく使われている。
 歴史的に名声を獲得したワイン産地には、それぞれの土地の気候と土壌にぶどう品種が適応している。
ボルドー地方のカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、ソーヴィニヨン・ブラン、セミヨン、
ブルゴーニュ地方のピノ・ノワール、シャルドネ、
ドイツのリースリング、
北イタリア・バロロのネビオロ、
スペイン・リオハのテンプラニーリョなどがあります。
 これらの品種のなかで優良なワインができる品種を高貴品種と呼び、特にカベルネ・ソーヴィニヨン
、メルロー、シャルドネは世界のワイン産地で栽培、醸造に成功しており、日本でも栽培されている。
日本では日本の気候に適応した甲州種が鎌倉時代から栽培されていた。
国産ワイン誕生
 日本のワイン造りの歴史は明治維新になってから。
明治政府は殖産興業政策の一環として、ぶどう栽培・ワイン醸造振興策を加えた。
当時、日本は米不足でしたから、米からの酒造りは節減したい意向が強かったのです。
政府はヨーロッパ、アメリカからぶどう苗木を輸入し、山梨県をはじめ各地でぶどう栽培とワイン醸造を奨励。
明治7年(1874年)には甲府の山田宥教(ひろのり)、詫間憲久(のりひさ)がワイン醸造を試みている。
。明治10年(1877年)秋、ワイン醸造法習得のため、日本人として初めて土屋龍憲(りゅうけん)、高野正誠(まさなり)の二人が本場フランスに留学。
帰国後、この二人に加えた宮崎光太郎は国産最初のワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」でワイン造りに努力。
明治34年(1901年)には神谷伝兵衛が茨城県牛久でワイン醸造を開始し、
越後高田の川上善兵衛は明治24年(1891年)に岩の原葡萄園を開設し、日本の風土に適したぶどうの品種改良に情熱を傾けた。
昭和2年(1927年)にマスカット・ベリーAを交配し、日本のぶどう栽培とワイン造りに大きな貢献。
明治37年(1904年)小山新助が山梨県に登美葡萄園の造成を開始して、この葡萄園は後に鳥井信治郎が買収している。
70KWは今日から棟代わり。
私は喫茶店ジールの低圧移項のための工事。
どうにもポジションがずれている。

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