一度だけ神の子となるお正月 ーせきやんー
正月三が日の主な県内の神社・仏閣への初詣は24カ所で1008000人。
全国では9373万人。昨年より407万人多く、記録の残っている1974年以降では最多。
大みそかから元旦にかけての雨の宮崎でその影響などで前年比で四千人減ったらしい。ほぼ平年並みでいい。
?宮崎神宮で、前年と同じ23万人。
?都農町の都農神社12万3000人(前年比1万3000人増)
?鵜戸神宮12万人(同2000人増)。
 初日の出の参拝は雨の影響で3万5500人と前年よりも9800人減少。
宮崎市一ツ葉海岸は400人(同5600人減)、
えびの市えびの高原は2万人(同4000人減)
堀切峠。道の駅「フェニックス」は、500人で200人増。
 天候に恵まれた二、三日は、各行楽地が家族連れやカップルでにぎわった。今年から年明け以降もイルミネーションを点灯している同市のフローランテ宮崎は、8600人(同1600人増)と大きく入場者数を伸ばした。
ニュースが漏れ聞こえる。横田めぐみさんの拉致状況が明らかになった。
この武士の支配した国に土足では入り込み同胞を拉致。
それもいたいけない女子中学生の横田めぐみを。
年末年始チャンバラ劇をやっていたが、時代考証がおかしい。
師匠の座る床の間の垂れ幕「鹿取陰流」とか書いてある。「香取」なるあの流派のことだ。
日本剣豪譚を述べてみたい。
鵜戸の社殿西側、鵜戸山は聖地なのである。
このご時世ゆえ道路を二本も抜いてしまって見向きもされない。
剣道が廃れ義務教育年数さえ変える心乱れる国難はここにきわまれりである。
古来、鵜戸山は両部神道で西の高野山と称される修験道場であった
そもそも剣の流派その心根を伝える琵琶法師も鵜戸神宮に由来する。
仏教伝来と同じ頃、11歳で鵜戸窟に流された祐教礼師が伝来した琵琶を読弾しながら、地神陀羅尼経を九州各地に伝えたのが薩摩琵琶の始めとして琵琶楽の発祥地とされている。
仏を作って魂いれず。
観光県を目指した黒木博・岩切章太郎の心の内実なき失敗作であった。
訪れた人の誰がそれを認識しよう。
誰も知らされないからである。
剣聖・相馬四郎義元が参篭して剣法を覚り一流をはじめて念流と名付けた。
足利中葉の頃、鵜戸に参篭し剣法の奥義を極めた
愛州(あいす)移香が陰流をここではじめたことから剣法発祥の地と称されている聖地・鵜戸。
聞きなれぬ愛州氏は三重県度会郡南勢町の花岡城の城主で愛州氏一族が治めた。宮崎にはなじまぬ氏の名。
剣道日本一の外山先生にも長らく会っていない。
流派を大別すると概ね次のようである。
1)神道流系統
飯篠長威斎家直を始祖とし、利根川河口に近い鹿島・香取の辺りを中心に伝わる流派。
直系は「天真正伝香取神道流」として伝わり、分かれとして、
「鹿島神流」「神道一心流」「一羽流」「微塵流」「霞流」など。
、剣豪・塚原ト伝はこの流派、それを始祖とする「鹿島新当流」は
青森に伝わって「ト伝流」
また、鹿児島に伝わって今も残る「示現流」
明治維新を成し遂げた剣法。
2)陰流系統
愛州移香の陰の流にはじまり、上泉信綱の「新陰流」から分かれて、「疋田陰流」「神後流」「心陰流」
高名なのは柳生石舟斎宗厳(むねよし)にはじまる
「柳生新陰流」は子の宗矩(むねのり)が徳川将軍家の剣術指南役で大変有力な流派となる、
、兵庫助利厳(としよし)は尾張の徳川家に仕え名古屋を中心にその流派を広げる。
上泉信綱からの分かれでは他に、丸目蔵人佐長恵より始まる「タイ捨流」。
奥山公重の流れから山田光徳の「直心影流(じき)」。
野中成常から福井嘉平の「神道無念流」。
そして小説「宮本武蔵」にも登場する槍の「宝蔵院流」等が生まれた。市内霧島町の野中数十段はあらゆる武術を極められてる。あの四国橋本知事の奥さんはこの方の妹君。
3)一刀流系統
伊藤一刀斎の弟子、小野次郎左衛門忠明に始まる流派で、柳生新陰流と共に、江戸の徳川将軍家の剣術指南となったため栄えた流派。
ここからは「溝口派一刀流」「甲源一刀流」などが出、
「中西派一刀流」の祖、中西子定(たねさだ)の子、
中西子武(たねたけ)によって竹刀や面・小手・胴などの防具が考案され、それまでの木刀を使った
形による剣術から革命的な変化をもたらし、この流派が盛んになる。
この中西派一刀流から出た千葉周作が「北辰一刀流」の祖、弟の定吉の道場で坂本龍馬が塾頭を務める。
そして同じく中西派の一刀流を学んだ山岡鉄舟がはじめたのが「一刀正伝無刀流」。
「小野派一刀流」という呼び名は、兄弟弟子から「唯心一刀流」というような流派も生まれているので
名付けられたというのがこのブログの方のご推察で小野忠明にちなんだ命名。
「小野派一刀流」も「一刀正伝無刀流」も、今に伝わる流派。
一刀流、特に小野派一刀流については、笹森順造の書いた「一刀流極意」という本に詳しい。
鵜戸山のある日南海岸周辺には山幸彦・海幸彦の神話の里。、
山幸の彦火々出見尊が海浜に建てた産屋で生まれた鵜葺草葺不合尊が鵜戸神宮の主祭神。
 鵜戸さんは、古来、安産・産育・漁業・航海の守護神として人々の崇敬を集め、多くの行事が行われてきた。
 岩屋に渡る反橋は三六枚の板で作られ、金剛界三十六尊に、橋を渡る本人が一尊となって三十七尊と一体となり、この橋から裸足になる風習があり、子供は嘘をつくと目が眩んで渡れないとか、不浄の者、邪心のある者などは橋を渡ることを恐れた。
幼き頃恐怖でわたるのが怖かったものである。
世間の時代背景の教養に吉川英治や芥川賞作家五味康介 柴田錬三郎 村上元三 池波正太郎を読むこと。いまに引き継がれてる津本陽の作品群に馴染んでいたからでもある。
この国において武蔵は初めてふさわしいと、小説家吉川英治が書いた岡山県大原町にわざわざ訪ねたのも剣豪宮本武蔵の生誕地で熊本の臨終の地武蔵塚のことを先般日記に書いたのも時代の子故である。
正月3日大河ドラマの新撰組をリメイク報道していたが冒頭の子供のチャンバラ遊びは毎日やっていた。
学校の生き帰りには先生に隠れベルトに日本刀の刀ならぬ棒切れを必ず、差していた
廃刀令以前の明治時期の様相の環境で幼児期を過ごした。
娯楽の殿堂の映画はチャンバラ映画全盛期であった環境がそれを男っぷりと評させてる世間体もあった。
「ナント!野蛮な!」教育ママには怒られそうである。
全国津々浦々の団塊の世代の男子供の子供の社会が眼前としてあった。
ままごとは女の子、男はなんて〜たってチャンバラをやらなきゃ〜幼児期ではない。
「ドケェイ〜どけい〜い寄らばきるぞ〜」
何が拉致だ〜い。武士の魂が許さぬぞ!

松の内巫女は日向路駆けぬけり。−せきやんー
明日は第26回宮崎女子ロードレース大会。
シモンも走る。
走春。春は近い。
神々は何処に鎮座なさるか。
氏神様の訃報を知る。
市川雷蔵の妖剣、怪刀でも借りるか。

70KWの太陽光発電建設に明日から着手。
雪フルなかの仕事始め。

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