日向市民の底力
2006年1月7日隠そうにも隠せないものがあり困っている。
田舎モンで身分卑しきものが困るのは貧相で恥かしい「言葉」
ゆえにどうにも相手の見えぬ電話は怖い。
言霊がいるならいくらでもお賽銭をあげ、奉らん!
70KWを今日も現場施工を少数精鋭で進めている。
一度に21軒にも匹敵する太陽光発電所である。
使う部材も打ち合わせ準備も半端じゃない。
パネルの枚数も半端ジャ〜ない。
「10日に10トン車と4トン車で現地に届けたい」とのご宣託。
「チョィト待って!何回かに分けられまいか」
積み下ろしに相当の時間経費がかかる。
経費で物言うとすすまぬゆえの私流の値切りのお話なのだ。
忠実に運ぶだけがこの方の仕事ゆえ出来るハズもない相談。
出来ぬ相談であることを承知で渋る返事の自分がおかしくてたまらない。
この値切りは本当は辛い。
仕事分担が良くわからないからだ。
積み下ろしの2人を6000円の日当を私が負担することで決着。
通常はこれで商談成立で終わりのハズがこの2代目若社長さん
はここから先が並ではない。
日向市の歴史に造詣が深い。
流石に歴史家石川恒太郎を生みしところ日向市の地である。
幕末の殉教者を存知であった。
かってこのブログに書いたんであるが数年前ゆえ詳細の名を忘れてたがこの方すらすらといわれる。
「確か・・黒田藩の・・・」
細島湾に小さく突き出したところの半島に立派な志士たちの墓碑がある。
これは土地の人たちの気心を示すお話で死を哀れみ建立したもの。
委細はこうである。
寺田屋事件は明治維新までの歴史を大きく遅らせた事件であった。
1862年(文久2年)の4月勤皇の志士は倒幕挙兵の準備で京都・伏見の寺田屋に集合した。
ここを上京していた島津久光が急襲させる。
薩摩藩脱藩勤皇の志士8名はその場で惨殺。
坂本竜馬はお竜の機転で難を逃げることが出来た。
他藩の志士も捕らえられそれぞれの藩に預けとなった。
薩摩藩預かりは、
秋月黒田藩・海賀宮門、肥前・中村主計,但馬・千葉郁太郎。
3人は瀬戸を経由して細島港入り口・御鉾ヶ浦近くの高島で密かに殺されてしまった。
維新の小説に必ず描かれてる挿入部分で西郷隆盛と久光のしっくり行かない原因の一つにあげられる。
ところでこの方には宮崎弁それも県北特有の訛り、イントネーションがない。
「・・・・け」さらに語尾があがる
流暢なるしゃべりで上品である。
宮崎の方言は、藩政時代の歴史と大きく関わっている。
江戸時代には、宮崎全体を治める領主がいなく5つの藩の分割統治。
幕府直轄の天領地があちこちにあった。
宮崎中心地も天領地であった。
この各藩の領地と方言の分類地域を比較してみれば、その境界がほぼ一致している
宮大の岩本実 教授の「宮崎県方言区画図」と照らすとそっくり藩政と同じである。
2004年9月27日より半年間放映されたNHK朝の連続テレビ小説で「わかば」が宮崎を舞台として放送された
宮崎県が舞台となるのは昭和40年の「たまゆら」(川端康成)、から久々のこと、
ところでロケは6箇所、西都市まで。県北はなし。
よってそのことばはない。
宮崎ことば指導は宮崎出身女優の上原由恵 があたった。
言葉の達人小沢昭一が座長を務める芸能座の所属であったゆえ洗練された宮崎弁が飛び交ってた。
この方テレビに限らず、映画でも活躍「ラブレター」「釣りバカ日誌5」「美味しんぼ」などに出演
「生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言」(ATG制作・横浜映画祭で新人賞を受賞している。
「ノサン」山には「ヨダ木〜」が生えちょる。
は黒木博知事が諫めた言葉。
「のさんねぇー」
「いっちゃがいっちゃが」
「そんげな心配つまらんとよ。」(南田洋子)
「そう! いっちゃが! いっちゃが!」 (田中裕子)
「がんたれ」 (西郷輝彦)
どちらかと言うと鹿児島のことばかも知れぬゆえ出身地たるこの方が使うと郷に入ったもの。
「てげてげ」
「じゃぁじゃぁ」
「よだきい」
宮崎を代表する?この独特のことばがどこで出たかは知らない。
「よだきい」に代表される県民性であるがこれは宮崎特有でもないようで案外使えるようだ。
実は、「ヨダキイ」と言う言葉は、もともと京都で使われていた言葉なんだそうな。。
源氏物語に
「公に仕ふる人ともなくて、こもり侍れば、よろずうひうひしうよだけくなりにて侍る」( 訳:宮中などに従える人もいなくて、閉じこもっていたら、すべてのことに勝手が分からないので、いやだなぁという気持ちになってしまいました。)とあるように、
貴族が使っていた言葉。
現在は、宮崎の他、兵庫県の一部や大分、鹿児島、広島、鳥取で使われている言葉。
これは使える。
明治初期の廃藩置県の際、宮崎と札幌以外は総てかってのお城に県庁が置かれた。
藩政の支配体制をそのまま鞍替えしたに過ぎなかった。
宮崎の他県に比して生活基盤の立ち遅れの悲劇はここに発している。
高速鉄道・高速道路はまったくすすまず、県北・延岡と県都・宮崎は旧態依然の片道一車線で結ばれてるのみ。
モータリゼーションの波を平行して乗り切る政治力も英知ももなかったのも県民がまとまってないからである。こうなら世界芸術で県民性を高めようと諸政策が持たれる。
ベオグラード国立美術館展がきょうから開催された。
「フランス近代絵画展―知られざるルノワールの物語」である。
2003年3月ユーゴスラヴィアから国名を変更し、新たに民主国家として出発したセルビア・モンテネグロ。
首都ベオグラード
長年にわたりバルカン半島、東欧を襲う度重なる戦火に晒されてきたがベオグラード国立美術館のコレクションはそうした苦難の歴史の中でも守り続けられ、人びとに安らぎと勇気を与え続けてきた。
老朽化した美術館建物の改修にあわせ
ひろしま美術館を立ち上がり会場として日本全国7都市を巡回。
コレクションの内容は、バルビゾン派からエコール・ド・パリにいたるフランス近代絵画の流れをほぼ網羅。
特にルノワールとドガのコレクションは、ルノワールの身近に接したモデルや家族の愛らしい肖像、
ドガがその抜群のデッサン力を見せる踊り子たちなど、小品ながら両巨匠の特徴を示す珠玉の作品群。
、モネの《ルーアン大聖堂》、ピサロの《テアトル・フランス広場》など、それぞれの画家の代表作が含まれている。
、ルノワール晩年の力作「水浴する女性」は、1996年の盗難によりダメージを受け、その後修復によって甦った作品。
ところで本家の芸術の都のパリ・ルーブル美術館。
1日ではとても見れない収蔵物であるが、
お目当てはモナリザとビーナス
古代ギリシャ彫刻の傑作「ミロのビーナス」のための新展示
室をつくる計画を進んでいる。
オープンは1年後の2007年初めの予定。
「モナリザ」と並んで日本人観光客が多く訪れるビーナス像は、現在の2倍の広い部屋でより快適な鑑賞が可能になる。
「ミロのビーナス」は1820年にギリシャのメロス島で地中から偶然発見され、その後、フランス国王ルイ18世が同美術館に寄贈した。
紀元前2世紀ごろつくられたとされるが、作者は不詳。
上半身と下半身が、美しさの比率である
「黄金比(1対1.6)」を有していることで知られる。
出会い系をやってみたがイメージ作業にはこれがつきまとう。
どうにも好々爺の域に達してる新年のようである。
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田舎モンで身分卑しきものが困るのは貧相で恥かしい「言葉」
ゆえにどうにも相手の見えぬ電話は怖い。
言霊がいるならいくらでもお賽銭をあげ、奉らん!
70KWを今日も現場施工を少数精鋭で進めている。
一度に21軒にも匹敵する太陽光発電所である。
使う部材も打ち合わせ準備も半端じゃない。
パネルの枚数も半端ジャ〜ない。
「10日に10トン車と4トン車で現地に届けたい」とのご宣託。
「チョィト待って!何回かに分けられまいか」
積み下ろしに相当の時間経費がかかる。
経費で物言うとすすまぬゆえの私流の値切りのお話なのだ。
忠実に運ぶだけがこの方の仕事ゆえ出来るハズもない相談。
出来ぬ相談であることを承知で渋る返事の自分がおかしくてたまらない。
この値切りは本当は辛い。
仕事分担が良くわからないからだ。
積み下ろしの2人を6000円の日当を私が負担することで決着。
通常はこれで商談成立で終わりのハズがこの2代目若社長さん
はここから先が並ではない。
日向市の歴史に造詣が深い。
流石に歴史家石川恒太郎を生みしところ日向市の地である。
幕末の殉教者を存知であった。
かってこのブログに書いたんであるが数年前ゆえ詳細の名を忘れてたがこの方すらすらといわれる。
「確か・・黒田藩の・・・」
細島湾に小さく突き出したところの半島に立派な志士たちの墓碑がある。
これは土地の人たちの気心を示すお話で死を哀れみ建立したもの。
委細はこうである。
寺田屋事件は明治維新までの歴史を大きく遅らせた事件であった。
1862年(文久2年)の4月勤皇の志士は倒幕挙兵の準備で京都・伏見の寺田屋に集合した。
ここを上京していた島津久光が急襲させる。
薩摩藩脱藩勤皇の志士8名はその場で惨殺。
坂本竜馬はお竜の機転で難を逃げることが出来た。
他藩の志士も捕らえられそれぞれの藩に預けとなった。
薩摩藩預かりは、
秋月黒田藩・海賀宮門、肥前・中村主計,但馬・千葉郁太郎。
3人は瀬戸を経由して細島港入り口・御鉾ヶ浦近くの高島で密かに殺されてしまった。
維新の小説に必ず描かれてる挿入部分で西郷隆盛と久光のしっくり行かない原因の一つにあげられる。
ところでこの方には宮崎弁それも県北特有の訛り、イントネーションがない。
「・・・・け」さらに語尾があがる
流暢なるしゃべりで上品である。
宮崎の方言は、藩政時代の歴史と大きく関わっている。
江戸時代には、宮崎全体を治める領主がいなく5つの藩の分割統治。
幕府直轄の天領地があちこちにあった。
宮崎中心地も天領地であった。
この各藩の領地と方言の分類地域を比較してみれば、その境界がほぼ一致している
宮大の岩本実 教授の「宮崎県方言区画図」と照らすとそっくり藩政と同じである。
2004年9月27日より半年間放映されたNHK朝の連続テレビ小説で「わかば」が宮崎を舞台として放送された
宮崎県が舞台となるのは昭和40年の「たまゆら」(川端康成)、から久々のこと、
ところでロケは6箇所、西都市まで。県北はなし。
よってそのことばはない。
宮崎ことば指導は宮崎出身女優の上原由恵 があたった。
言葉の達人小沢昭一が座長を務める芸能座の所属であったゆえ洗練された宮崎弁が飛び交ってた。
この方テレビに限らず、映画でも活躍「ラブレター」「釣りバカ日誌5」「美味しんぼ」などに出演
「生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言」(ATG制作・横浜映画祭で新人賞を受賞している。
「ノサン」山には「ヨダ木〜」が生えちょる。
は黒木博知事が諫めた言葉。
「のさんねぇー」
「いっちゃがいっちゃが」
「そんげな心配つまらんとよ。」(南田洋子)
「そう! いっちゃが! いっちゃが!」 (田中裕子)
「がんたれ」 (西郷輝彦)
どちらかと言うと鹿児島のことばかも知れぬゆえ出身地たるこの方が使うと郷に入ったもの。
「てげてげ」
「じゃぁじゃぁ」
「よだきい」
宮崎を代表する?この独特のことばがどこで出たかは知らない。
「よだきい」に代表される県民性であるがこれは宮崎特有でもないようで案外使えるようだ。
実は、「ヨダキイ」と言う言葉は、もともと京都で使われていた言葉なんだそうな。。
源氏物語に
「公に仕ふる人ともなくて、こもり侍れば、よろずうひうひしうよだけくなりにて侍る」( 訳:宮中などに従える人もいなくて、閉じこもっていたら、すべてのことに勝手が分からないので、いやだなぁという気持ちになってしまいました。)とあるように、
貴族が使っていた言葉。
現在は、宮崎の他、兵庫県の一部や大分、鹿児島、広島、鳥取で使われている言葉。
これは使える。
明治初期の廃藩置県の際、宮崎と札幌以外は総てかってのお城に県庁が置かれた。
藩政の支配体制をそのまま鞍替えしたに過ぎなかった。
宮崎の他県に比して生活基盤の立ち遅れの悲劇はここに発している。
高速鉄道・高速道路はまったくすすまず、県北・延岡と県都・宮崎は旧態依然の片道一車線で結ばれてるのみ。
モータリゼーションの波を平行して乗り切る政治力も英知ももなかったのも県民がまとまってないからである。こうなら世界芸術で県民性を高めようと諸政策が持たれる。
ベオグラード国立美術館展がきょうから開催された。
「フランス近代絵画展―知られざるルノワールの物語」である。
2003年3月ユーゴスラヴィアから国名を変更し、新たに民主国家として出発したセルビア・モンテネグロ。
首都ベオグラード
長年にわたりバルカン半島、東欧を襲う度重なる戦火に晒されてきたがベオグラード国立美術館のコレクションはそうした苦難の歴史の中でも守り続けられ、人びとに安らぎと勇気を与え続けてきた。
老朽化した美術館建物の改修にあわせ
ひろしま美術館を立ち上がり会場として日本全国7都市を巡回。
コレクションの内容は、バルビゾン派からエコール・ド・パリにいたるフランス近代絵画の流れをほぼ網羅。
特にルノワールとドガのコレクションは、ルノワールの身近に接したモデルや家族の愛らしい肖像、
ドガがその抜群のデッサン力を見せる踊り子たちなど、小品ながら両巨匠の特徴を示す珠玉の作品群。
、モネの《ルーアン大聖堂》、ピサロの《テアトル・フランス広場》など、それぞれの画家の代表作が含まれている。
、ルノワール晩年の力作「水浴する女性」は、1996年の盗難によりダメージを受け、その後修復によって甦った作品。
ところで本家の芸術の都のパリ・ルーブル美術館。
1日ではとても見れない収蔵物であるが、
お目当てはモナリザとビーナス
古代ギリシャ彫刻の傑作「ミロのビーナス」のための新展示
室をつくる計画を進んでいる。
オープンは1年後の2007年初めの予定。
「モナリザ」と並んで日本人観光客が多く訪れるビーナス像は、現在の2倍の広い部屋でより快適な鑑賞が可能になる。
「ミロのビーナス」は1820年にギリシャのメロス島で地中から偶然発見され、その後、フランス国王ルイ18世が同美術館に寄贈した。
紀元前2世紀ごろつくられたとされるが、作者は不詳。
上半身と下半身が、美しさの比率である
「黄金比(1対1.6)」を有していることで知られる。
出会い系をやってみたがイメージ作業にはこれがつきまとう。
どうにも好々爺の域に達してる新年のようである。
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