屋根の上のバイオリン弾き
2006年1月31日喧騒の選挙カーが小学校3Fまで聞こえるのは何も環境ばかりではない。北の検査で職人はそちらに向かい、俄か電気工事師。
昨日お会いした職人さんと若き職人さんと配線工事。
委託業者はパワコン150Kgを取り付け。
遅々とすすまぬ電線の入線作業。
8時過ぎまで作業して、明日の自己検査の目鼻を立てた。
それにしても今日の暑さは何だ。
5月何処ではない清清しい風の気持ちよさ。
半そででの作業の異常気象だ。
23時過ぎに資金繰りで市内めぐり。
貧乏神に宿るもの無し。
しかし大金を融通していただき有り難きことこの上ない。
貧乏な井出達の神は弥五郎どん・出身地ゆえか。
ブログから親しみ振りがうかがえる。
日南市、田ノ上八幡神社は 明治五年までの十月二十五日の例祭には、流鏑馬二頭が祭りを盛り上げていたが、その後すたれたという。。
今も行われている行事は大人弥五郎の御神幸である。
弥五郎は三兄弟という説があり、山之口町円野神社の円野弥五郎が長兄、
次兄が鹿児島県大隅町岩川八幡神社の岩川弥五郎、そして三兄が田ノ上弥五郎という。
いずれも八幡系の神社という点からも八幡信仰の地域的展開として注目される。
現在、弥五郎さまの御出座は十一月二十三日、社伝によれば大隅国桑原郡に稲津弥五郎という者がおり、
大隅国正八幡の御神体を背負ってきて祭祀したのが、そもそもの由緒であるという。
また一説には稲津弥五郎は修験山伏であったとも伝え、同社は飫肥初代藩主伊東祐兵が鬼門の守護として、旧地楠原から現在地に移したという。
身の丈七メートル余り、白衣の上に紫色の素おう、赤袴をはき烏帽子をかぶり、長さ五メートルほどの太刀を携え、槍を持つ。
弥五郎さまは終日鳥居前に立ち、人々は年の数だけ股をくぐり厄を祓う。
金満宗教はそうは行かず、政治を牛耳る創価大学出身北側国土交通大臣が姉歯=ヒュザーに公金を投入したがるのと違いユニークさがひときわ違う
同じ県南の北郷町、潮嶽神社
海幸彦と山幸彦の争いの来歴にちなみ、弟山幸彦に追われた兄海幸彦が満潮に乗り、流れ着いたところが当地であることから「潮嶽」の地名がついたとされる。
また隼人の祖とされるホスソリノミコトを主祭神に祀るのはこの神社だけともいう。
海幸・山幸の伝承を残して祭祀行事にも注目すべきものが多い。
二月十一日の春まつりには、福種子おろしという珍しい神事がある。
宮司の占った種籾を氏子が拾い集め、それを蒔くと豊作になるという。
また地元の氏子から猪の頭部を献饌とする狩猟の信仰や漁神楽の奉納がある。
神楽の演目のなかの「鬼神舞」の唱儀には「霧島の峰より奥の雲晴れて
遥かに拝む天の逆鉾」などあり、霧島信仰との関連が伺われる。
「魚釣り舞」は県南地方で「鵜戸舞」と称され、魚のついた釣竿を採り、
舞の途中に舞手による五回の唱儀があり、豊漁を喜ぶ所作が演じられ、後半で海幸山幸の来歴を語る長いことばがある。
秋祭りは十一月十一日、神事の後、獅子舞が奉納される。
海幸・山幸の化身と伝える獅子が「浜下り」の先導役をつとめる。
別火禊斎した氏子の若者による、雄獅子・雌獅子の対舞いで
「突け!突け!」の掛け声で天を突くように勇壮絢爛に舞うので、その衣装の動きから「昇り藤型」ともいう。
獅子は豊作を祝賀しながら、終日沿道を練り舞う。
祭典につづいて奉納される「御神児舞」(巫女舞)は、氏子のうち一二歳までの少女四名が冠をいただき素袍・緋袴を着け、榊幣を採り物に優雅に舞う。
口碑によれば海幸彦の別れの神詠に応えて潮嶽の里の娘たちが舞った舞いという。
忙過ぎるこの数日に三食お風呂も満足ではない。
然るにこの陽気。
屋根の上のバイオリン弾きにでもなろうか。
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元気下さい。
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昨日お会いした職人さんと若き職人さんと配線工事。
委託業者はパワコン150Kgを取り付け。
遅々とすすまぬ電線の入線作業。
8時過ぎまで作業して、明日の自己検査の目鼻を立てた。
それにしても今日の暑さは何だ。
5月何処ではない清清しい風の気持ちよさ。
半そででの作業の異常気象だ。
23時過ぎに資金繰りで市内めぐり。
貧乏神に宿るもの無し。
しかし大金を融通していただき有り難きことこの上ない。
貧乏な井出達の神は弥五郎どん・出身地ゆえか。
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日南市、田ノ上八幡神社は 明治五年までの十月二十五日の例祭には、流鏑馬二頭が祭りを盛り上げていたが、その後すたれたという。。
今も行われている行事は大人弥五郎の御神幸である。
弥五郎は三兄弟という説があり、山之口町円野神社の円野弥五郎が長兄、
次兄が鹿児島県大隅町岩川八幡神社の岩川弥五郎、そして三兄が田ノ上弥五郎という。
いずれも八幡系の神社という点からも八幡信仰の地域的展開として注目される。
現在、弥五郎さまの御出座は十一月二十三日、社伝によれば大隅国桑原郡に稲津弥五郎という者がおり、
大隅国正八幡の御神体を背負ってきて祭祀したのが、そもそもの由緒であるという。
また一説には稲津弥五郎は修験山伏であったとも伝え、同社は飫肥初代藩主伊東祐兵が鬼門の守護として、旧地楠原から現在地に移したという。
身の丈七メートル余り、白衣の上に紫色の素おう、赤袴をはき烏帽子をかぶり、長さ五メートルほどの太刀を携え、槍を持つ。
弥五郎さまは終日鳥居前に立ち、人々は年の数だけ股をくぐり厄を祓う。
金満宗教はそうは行かず、政治を牛耳る創価大学出身北側国土交通大臣が姉歯=ヒュザーに公金を投入したがるのと違いユニークさがひときわ違う
同じ県南の北郷町、潮嶽神社
海幸彦と山幸彦の争いの来歴にちなみ、弟山幸彦に追われた兄海幸彦が満潮に乗り、流れ着いたところが当地であることから「潮嶽」の地名がついたとされる。
また隼人の祖とされるホスソリノミコトを主祭神に祀るのはこの神社だけともいう。
海幸・山幸の伝承を残して祭祀行事にも注目すべきものが多い。
二月十一日の春まつりには、福種子おろしという珍しい神事がある。
宮司の占った種籾を氏子が拾い集め、それを蒔くと豊作になるという。
また地元の氏子から猪の頭部を献饌とする狩猟の信仰や漁神楽の奉納がある。
神楽の演目のなかの「鬼神舞」の唱儀には「霧島の峰より奥の雲晴れて
遥かに拝む天の逆鉾」などあり、霧島信仰との関連が伺われる。
「魚釣り舞」は県南地方で「鵜戸舞」と称され、魚のついた釣竿を採り、
舞の途中に舞手による五回の唱儀があり、豊漁を喜ぶ所作が演じられ、後半で海幸山幸の来歴を語る長いことばがある。
秋祭りは十一月十一日、神事の後、獅子舞が奉納される。
海幸・山幸の化身と伝える獅子が「浜下り」の先導役をつとめる。
別火禊斎した氏子の若者による、雄獅子・雌獅子の対舞いで
「突け!突け!」の掛け声で天を突くように勇壮絢爛に舞うので、その衣装の動きから「昇り藤型」ともいう。
獅子は豊作を祝賀しながら、終日沿道を練り舞う。
祭典につづいて奉納される「御神児舞」(巫女舞)は、氏子のうち一二歳までの少女四名が冠をいただき素袍・緋袴を着け、榊幣を採り物に優雅に舞う。
口碑によれば海幸彦の別れの神詠に応えて潮嶽の里の娘たちが舞った舞いという。
忙過ぎるこの数日に三食お風呂も満足ではない。
然るにこの陽気。
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