贈り物

2006年2月14日
バレンタインデーにチョコのひとつこないものにとっては
ソリャ〜根暗になりますって〜。
このめでたき日に綴る酷を承知ゆえどうぞこれから先は元気に満ち溢れてる人以外は読まないでください。
どだい、日記を書いたり読んだりするのはパワーをもらうためであり、人のふり見て我が振りなおせより、やさしきブログの方々ゆえおかわいそうと慰めていただけてるゆえ、気をまわしてるわけ。
この社会には常に、愛や平和と暴力や残忍さとが同居している。
トリノで流れたイマジンをヨーコ・オノは現実社会で苦しんでるゆえ愛や平和を訴えたかったんであろう。
そのことを象徴しているような気がしてならない。
また70歳で引退したハズのイタリアのテノール歌手パバロッティその人が、トリノを愛し歌ったのも同じものだろう。
だからこそ大切にしたい「愛の日」の浮かれてる元禄日本なのだが。
中国ではこの日を「情人節」というらしい。
もともと七夕に祝う恋人たちの日をバレンタインデーにあてて、若者たちが贈り物をする習慣が日本と同じように広がっているという。
もともとはトリノのイタリアで始まった血で塗られたバレンタインの日が発足趣旨らしい。
ローマ帝国で3世紀にキリスト教の司教、聖ウァレンティヌスが殉教した日にちなむといわれる。
国を守る兵士の士気低下を恐れて若い男に結婚を禁じた皇帝クラウディウス・ゴティクスの意に反し、
恋人たちを保護し続けたことが原因とされる。
その伝説が異教の日本で商業化して「義理チョコ」などの国民的行事になった商魂たくましきジャパンの知恵。、
さらに背景をたどれば多くの神が共存するローマ帝国内に台頭してきたキリスト教との宗教上の葛藤が浮かび上がる。
パーマ学の塩野七生は「不安の時代にはかえって不寛容な教えのほうが力強く見える」(『ローマ人の物語』)と記す。
このことは荒れ狂うイスラム教徒の今日的暴徒につながる。
 イスラム教は偶像崇拝を禁じているが、実際にはムハンマドの肖像画は珍しくない。
 デンマーク紙がイスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)の風刺画を掲載し、これに怒ったイスラム教徒の抗議行動が続いている
たかが宗教、風刺画ではない。
デンマーク紙が昨年9月に掲載した風刺画の多くは、悪趣味に満ち溢れ日本人さえ目をふせるもの。
預言者の頭を爆弾として描いた絵はまだしも、説明さえはばかられる絵もあるそうだ。
やってイスラム教徒の不快感は理解できる。
 風刺画をめぐる抗議行動で、多くの死傷者が出た。
シリアやレバノンではデンマークの外交施設が襲われ、中東の反米国家で抗議行動が盛り上がる傾向が目立っている。
特にイランはデンマークとの通商停止を宣言したほか、イラン紙がホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を風刺する絵のコンテストを呼びかけている。 
ユダヤ人に報復して何になるのか。
憎悪の輪を広げてはならない 混乱を収めるには、イスラム教徒が暴力的な抗議を控えると同時に、メディアが新たな風刺画掲載について慎重に判断することだ。
「報道の自由」は大事だが、信仰や崇拝の対象をおとしめるのは罪深い。
ことの発端はナンでもアメリカ。
イラン攻撃の布石ではないのか。
米兵がコーランを基地のトイレに流したと米誌が報じ、抗議行動が広がったのは05年5月。デンマーク紙が風刺画を掲載する4カ月前だ。
80年代末からの小説「悪魔の詩」事件で、イランの故ホメイニ師が作者の「死刑宣告」を出し、翻訳者の
筑波大助教授が惨殺されたことも思い出される。
 イスラム教徒にとって、十字軍との戦いや列強の植民地支配は決して過去のものではない。
「被害者意識」に批判的な欧米側にも、イスラム世界への差別意識、実際の差別がないとは言い切れまい。
 問題の根は深い。
だがハンチントン氏の言う「文明の衝突」にしてはならないし、衝突を意識するあまり対立のコースに入る「ハンチントンの罠(わな)」にはまり込むのも禁物だ。
相手が大切にするものを尊重するのは、融和への第一歩である。
わたしどもの世代には苦き過去がある。
世相の先導にのっかってた気風もあったからだ。
演出家の蜷川幸雄さん(70)は、喫茶店で見知らぬ青年からナイフを脇腹に突きつけられた。
東京・新宿の小劇場で反体制のアジテーションを含む過激な芝居をつくっていた30代のころである
「あなたはいま、希望を語ることができますか」。
顔面蒼白の青年が尋ねた。
何が起きたのか分からぬ困惑のなかで、
「おれには語るべき希望なんて一つもないよ」と蜷川さんは答えた
「ああ、よかった。僕はずっとあなたの芝居を見てきたし、影響も受けてきました。あなたが希望を語ったら刺すつもりでした…」。青年は店を出ていった。学生運動が下火に向かい、多くの若者に絶望混じりの虚脱感が漂いはじめた時期である
扇動したお前が希望を語るのは許さない、というのが青年の心情であったらしいと「蜷川幸雄伝説」(河出書房新社)の紹介を新聞が伝える。
私には凄いプレゼントがいただけた。
社民党先週末の党大会で、イラクなどへ派遣した自衛隊の現状について「違憲状態」とする新たな「党宣言」を採択した。
旧社会党時代の村山富市委員長=首相のもとで「自衛隊は合憲」と路線転換して以来、12年ぶりに基本文書で「違憲」の表記が復活した。
この党の歴史のフシメに起こる左バネが復活したのである。
社民党はジリ貧状態にある。政権交代可能な2大政党化時代で、社民党はいわば政界の「負け組」となった。
社民党が生き残りをかけて独自路線に踏み出したことを、単に時代錯誤と切り捨ててしまっていいのだろうか。
 路線転換には、もちろん党内事情がある。
「違憲」の明記は地方組織からの要求が強かったという。
地方党員は高齢化が進み、55年体制下の旧社会党時代を懐かしむ人が多いが、現実には党の選挙を支えているのが地方組織の人たちだ。執行部はこういう人たちの声を無視できない。
 しかも硬直した路線に失望した党員たちは他党にくら替えしてしまうから、結果として党内の現実路線派は淘汰されていく傾向にもある。
今回執行部が取った、自衛隊の存在自体は否定しないけれども
今の活動を「違憲状態」とした表記は、党内にある「非武装中立派」と市民運動派の双方の顔を立てたのだ 
細川政権の与党だったころに小選挙区導入に賛成した党の決定を、党大会で「正しくなかった」と反省し、当時の違反者に下した処分を取り消し、名誉を回復している。
村山社会党の政権与党入りは「間違いかもしれぬ」と総括したことに他ならない。
 万年野党が看板だった社民党は、政権与党入りして衆院への小選挙区制導入に賛成したことから党の衰退が始まった。
社民党はそのことに気づき、また抵抗政党の道を歩み始めようとしている。
 改憲対護憲では、護憲の側につき、小選挙区制対中選挙区制では、中選挙区を取る。
社民党は、55年体制にタイムスリップしたと言ってみても意味がない。
資金も党員も減った「負け組」党が、いったん忘れ去られた視点を復活させることに党の存在をかけたのだ。
これで「ダメなものはダメ」と言い続けても何の不都合もない。
青春や人生のすべてをかけ生きてきた私にとって社民党のこのこと。
憲法改正が政治的には完結してる中で反対運動をしていくうえで胸の使えがとれスッキリしたものになった。
愛の手が差し伸べられたバレンタインの日本最大の贈り物だったのかもしれない。
みやざきの人たる福島党首。
願わくば社会党に党名変更もしてほしかったものである。
それこそが私どもに対する真実の愛。

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