JAのゆくえ

2006年3月8日
JAに出向く。
県知事さえ決めえる力をもつ組織でもある。
太陽光発電についてはすでに1社独占の○田社が受注しているのを十二分に知っての上でのことだ。
NEDOの実績はないので普及のためである。
相応の説明でご納得をいただく。
県下に大きな影響力を持つ。
新聞記事からの引用である。
 西米良村が今年の「毎日・地方自治大賞」の優秀賞を受賞した。
宮崎県からは、昨年の綾町に続く優秀賞である。これがどれほどすごいかと言うと、全国に1994ある市町村の中で、最優秀賞は1カ所、優秀賞は3カ所しか選ばれない。
それが2年連続で宮崎県から出たのである。
 西米良村は96%が山林で耕地は0・4%に過ぎない。
かつて木炭生産日本一を誇った林業は、輸入材に押されて壊滅状態になり、活路を見いだそうとしたシイタケ栽培も中国産シイタケの輸入により苦境に立たされた。
この40年間で人口は4分の1に激減し、1372人と県内で最も人口の少ない村になった。
 村に高校がないため、中学を出た子供たちは村を去ったまま戻って来ない。「親子の生活は15歳まで」という悲しい現実が続いてきた。下宿して村外の高校に通う子供たちの中には、同村出身であることを隠す者もおり、子供世代の職場の確保ができない親たちは自信を失ったという。
 苦境の中で村が望みを託したのが、高冷地を利用した花などの栽培だった。パンジーやホオズキやユズなどの収穫時期は「猫の手も借りたい」と悲鳴が上がるほどの短期勝負で、人手が足りなくなる。過疎地だけに、短期集中型の労働力を村外から求める以外になかった。そこで村が97年に導入したのが全国初の「ワーキングホリデー制度」である。
 普通の農村体験ツアーは、参加者が料金を支払って田舎の自然を楽しむが、この制度は逆に、農家側が参加者の労働に対する報酬を支払う。試算では、夫婦2人で1週間、村に滞在し、3日を労働に、ほかを休日に充て、村営コテージに泊まると、滞在費はほぼトントンになる。
 全国から約300人が参加、村民と一緒に汗を流し、村のファンを作りだしてきた。受け入れ農家の男性と結ばれた女性もいる。出産可能性の高い「29歳以下の成人女性」の村内人口が増え、村の将来人口は、大幅減から大幅増に転じた。
この工夫が評価され、今回の受賞につながった。
 西米良村内のほとんどは坂道である。歩むのは楽ではない。だが平たんな人生がないように、上り坂の途上にこそ生活の手応えがあり、希望は峠の先にあるのではないか。
村の挑戦は始まったばかりだが、坂を登りつめたとき、米良の山々のかなたに展望が開けることを信じたい。と宮崎支局長・大島透の記述は続く。
午後に大塚町にでむく。
傾斜面を利用した設計となろう。
実施に当たっては困難が伴う。
その後にまたもや90KMかなたの1500枚パネルの現地に飛ぶ。
ここにはわざわざ宮崎から現地視察に着ておられる師匠にあえる。
宿泊をキャンセルすることができた。
夜はせっかくの時間を二人の若き横暴者にみつがさせられる。
多忙さはピークである。
南下表彰状は私がいただきたい。

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