春到来
2006年3月16日潮目、フシ目の見分けができればどれだけゆたかに暮らせるものか。
神の域たる自然界についてはとりわけそうであろう。
低気圧がミニ台風状況を生んだ季節変わりを知らせる日であった。
トラック車が持ち出されないゆえ17時ころリース車でVCTを運搬する。
にわかに暗雲がたれ、あめあられの中を記念にない気象条件の中であった。
竜が昇らんがごときの一帯の奇妙なる現象は春の訪れで暑い一日。
渇いたのどにはピッタシがある。
この時期はなんたって、 日向夏ミカン!新聞もすすめている。
果物店などで、ひときわ目立つ季節を知らせる日向夏。
青味を帯びた鮮やかな黄色の肌とかぐわしい香気。
やや下膨れの球形。
何とも形容し難い趣があり県民の財産である。
県外ではその食し方の不思議さゆえ「食べ方が分からない」と不評である。
こんなことだれでも知っていないと日向人ではない。
「外皮をむき内側の白皮はそぎ切りにして蜂蜜砂糖をかけて食べたらおいしい」
その昔から日向人なら知っているはずである。
真方安太郎は宮崎市恒久辺りに住んでいた
その彼が実生を発見したのは文政年間(1818―29年)で、1887(明治20)年には日向夏と命名され、その後、静岡や高知へ普及した。
長年、種が多いことが唯一の欠点だったが、宮崎大学と県総合農試が4倍体夏柑の花粉を用いて種無し化に成功した。
種があっても白皮(アルベド)を付けた果肉の味は格別の風味がある。
種あり、も依然人気を保っているのだから、こだわる方が不自然なのか。
県外者の方の不満が聞こえてくる。
外皮が分厚くて、手でむけないことだ。確かにナイフか包丁を使うのが一般的。
日南市の古沢勝(54)は、従来の3分の1の外皮にすることに成功した。
「千夏」と名付けられ、手でむけるため子どもに歓迎されている。
この気象条件が生み出した日向人の食べ物。
この国の人で8月4日を「橋の日」と20年前に提唱した人がいる。
橋の重要性を全国に訴えてきた湯浅利彦(64)=宮崎市小松台=
本年度の橋梁新聞賞を受賞した
同新聞は、橋梁新聞社が発行する国内唯一の橋の専門紙。
橋に関して話題となったり、実践的な活動を続ける個人一人を1999年から毎年表彰してきた。
延岡市上大瀬町出身で、大瀬川や五ケ瀬川に慣れ親しんで育った環境。
少年時代、木橋だった大瀬橋が台風のたびに流れるのを目の当たりにして橋の大切さを痛感。
東京都に本社がある橋梁メーカーに入社し、工事や営業に携わった。
85(昭和60)年には河川と橋とふれあう日にしようと、個人の立場で「橋の日」を提唱。
86(同61)年の延岡橋の日実行委員会、翌年の宮崎橋の日実行委員会(塩見一郎会長)の設立にも尽力した。
その自然の猛威から立ちなおってきたお話。
神話高千穂トロッコ鉄道 来月運転再開を確認
台風14号により壊滅的な被害を受けた高千穂鉄道(TR)の存続を目指す「神話高千穂トロッコ鉄道株式会社」は創立総会を開き、代表発起人の佐藤公一氏(63)=神楽酒造社長=を社長に選出した。
待望の運転再開は4月15日を目指すことを確認した。
出資金5220万円を資本金とした。
当初は高千穂―日之影温泉駅間(12.5キロ、五駅)で運行。さらに槙峰駅まで(21.1キロ、八駅)復旧させ、最終的には延岡までの全線(50キロ、19駅)で運行再開を目指す。
沿線住民による出資は4月以降受け付け、資本金を増強。従業員は13人。
日之影〜高千穂間の用地買収をたった一人担当した私には感慨ひとしお。青春を燃焼したところでもある。
人生の最大のフシメがあのときであった。
訪れていただいた皆様!
九州地区ブログ順位アップ!
がんばれ!の元気下さい!
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
神の域たる自然界についてはとりわけそうであろう。
低気圧がミニ台風状況を生んだ季節変わりを知らせる日であった。
トラック車が持ち出されないゆえ17時ころリース車でVCTを運搬する。
にわかに暗雲がたれ、あめあられの中を記念にない気象条件の中であった。
竜が昇らんがごときの一帯の奇妙なる現象は春の訪れで暑い一日。
渇いたのどにはピッタシがある。
この時期はなんたって、 日向夏ミカン!新聞もすすめている。
果物店などで、ひときわ目立つ季節を知らせる日向夏。
青味を帯びた鮮やかな黄色の肌とかぐわしい香気。
やや下膨れの球形。
何とも形容し難い趣があり県民の財産である。
県外ではその食し方の不思議さゆえ「食べ方が分からない」と不評である。
こんなことだれでも知っていないと日向人ではない。
「外皮をむき内側の白皮はそぎ切りにして蜂蜜砂糖をかけて食べたらおいしい」
その昔から日向人なら知っているはずである。
真方安太郎は宮崎市恒久辺りに住んでいた
その彼が実生を発見したのは文政年間(1818―29年)で、1887(明治20)年には日向夏と命名され、その後、静岡や高知へ普及した。
長年、種が多いことが唯一の欠点だったが、宮崎大学と県総合農試が4倍体夏柑の花粉を用いて種無し化に成功した。
種があっても白皮(アルベド)を付けた果肉の味は格別の風味がある。
種あり、も依然人気を保っているのだから、こだわる方が不自然なのか。
県外者の方の不満が聞こえてくる。
外皮が分厚くて、手でむけないことだ。確かにナイフか包丁を使うのが一般的。
日南市の古沢勝(54)は、従来の3分の1の外皮にすることに成功した。
「千夏」と名付けられ、手でむけるため子どもに歓迎されている。
この気象条件が生み出した日向人の食べ物。
この国の人で8月4日を「橋の日」と20年前に提唱した人がいる。
橋の重要性を全国に訴えてきた湯浅利彦(64)=宮崎市小松台=
本年度の橋梁新聞賞を受賞した
同新聞は、橋梁新聞社が発行する国内唯一の橋の専門紙。
橋に関して話題となったり、実践的な活動を続ける個人一人を1999年から毎年表彰してきた。
延岡市上大瀬町出身で、大瀬川や五ケ瀬川に慣れ親しんで育った環境。
少年時代、木橋だった大瀬橋が台風のたびに流れるのを目の当たりにして橋の大切さを痛感。
東京都に本社がある橋梁メーカーに入社し、工事や営業に携わった。
85(昭和60)年には河川と橋とふれあう日にしようと、個人の立場で「橋の日」を提唱。
86(同61)年の延岡橋の日実行委員会、翌年の宮崎橋の日実行委員会(塩見一郎会長)の設立にも尽力した。
その自然の猛威から立ちなおってきたお話。
神話高千穂トロッコ鉄道 来月運転再開を確認
台風14号により壊滅的な被害を受けた高千穂鉄道(TR)の存続を目指す「神話高千穂トロッコ鉄道株式会社」は創立総会を開き、代表発起人の佐藤公一氏(63)=神楽酒造社長=を社長に選出した。
待望の運転再開は4月15日を目指すことを確認した。
出資金5220万円を資本金とした。
当初は高千穂―日之影温泉駅間(12.5キロ、五駅)で運行。さらに槙峰駅まで(21.1キロ、八駅)復旧させ、最終的には延岡までの全線(50キロ、19駅)で運行再開を目指す。
沿線住民による出資は4月以降受け付け、資本金を増強。従業員は13人。
日之影〜高千穂間の用地買収をたった一人担当した私には感慨ひとしお。青春を燃焼したところでもある。
人生の最大のフシメがあのときであった。
訪れていただいた皆様!
九州地区ブログ順位アップ!
がんばれ!の元気下さい!
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
コメント