政治のいろはだが誰もが総裁を目指すためにバッジを誇らしげにつける。
だが誰もがそのチャンスを与えられてるわけではない。
麻垣康三の4人の動きがこの9月総裁レースの闘いを制することになろう。麻生、谷垣、福田、安部のことである。
その一人福田康夫元官房長官は中曽根康弘元首相と16日午後、ソウル市内の青瓦台(大統領官邸)で盧武鉉大統領と会談した。
大統領は「歴史について一方的立場を取るのは良くない」と指摘。
靖国神社参拝を続ける小泉純一郎首相の姿勢を暗に批判し、同神社に併設されている戦史展示館「遊就館」を訪れたい考えを示した。
ゆうしゅうかん?
遊就館の案内書から読み解く。
〈明治十五年(一八八二年)、わが国最初で最古の軍事博物館として開館した。
その姿は変えながらも、殉国の英霊を慰霊顕彰し、近代史の真実を明らかにする目的は一貫している
 とあるように、すべて軍国調。
遊就は中国の古典『荀子』から採ったもので、高潔な人物に就いて交わり学ぶ意味だという。
明治15年(1882年)に、幕末維新の動乱期に死亡した官軍側戦没者ゆかりの品を集め展示する事を目的に発足。日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦を経て展示資料は増加し、施設も逐次増築された。大正12年(1923年)の関東大震災で施設が損壊。翌年に仮館を建設、昭和7年(1932年)に再建された。
 遊就館は、太平洋戦争に至るまでの軍事関係の資料をはじめ戦車、爆撃機などを展示し、戦争を正当化しているとの批判も強い。大統領は遊就館視察の意向表明によって、靖国問題を重視していることを重ねて強調。同時に、「小泉後継」の参拝継続をけん制したものとみられる。
先日の新聞記事サンデー時評「遊就館」と「昭和館」、ハシゴのすすめを思い出した。
朝日新聞の若宮啓文論説主幹と読売新聞の渡辺恒雄主筆の対談が、マスコミ界の内外で話題をさらった。
世論を代表する新聞社ゆえ 当然である。
それも発行部数では読売が一位、朝日が二位、社風は読売が保守派、朝日が革新派、何かと張り合ってきた年来の宿敵同士だ。にもかかわらず、両社の社論を代表する二人が、首相の靖国神社参拝に反対することで息を合わせ、〈朝・読の共闘〉などと騒がれたのだから、まあ、一種の珍事。
 対談を掲載した朝日新聞発行の月刊誌『論座』二月号が飛ぶように売れたという。
朝・読が一致したとなれば、新聞界の多数派の意思が示されたことになり、世論形成にも響く。
 靖国参拝では頑固一点張りの小泉純一郎首相もさぞ気になることだろう。
対談のなかで、渡辺は、
「靖国神社の本殿の脇にある、あの遊就館がおかしい。軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい。……靖国問題で中国や韓国を敵にするのは、もういい加減にしてくれと言いたい」
 と明快なナベツネ節だ。
 若宮のほうは前例のないこの対談がよほど気に入ったとみえて、『朝日新聞』の大型コラム〈風考計〉(一月三十日付)で、国内や欧米人の反響を紹介し、さらに
〈渡辺氏が踏んだ今度のブレーキは、自らも関与した言論状況の右傾化が行き過ぎて、危険水域に入ったと見てのことではないか。……〉 などと論評を加えた。
渡辺はにが笑いしているに違いない。というのは、靖国問題の帰すうは、言論状況の右傾化か否かだけで論じられるほど単純な事柄ではない。従って、ブレーキという表現が適当なのかどうか。
 それはともかく、渡辺さんが批判する〈遊就館〉である。
靖国神社は創建百三十年記念事業として、四年前に大改修し、いわゆる皇国史観を一段と露出させた。
日米開戦は日本が自存自衛のために立ち上がった、という史観だ。
 最近は、米国も〈yushukan〉の中身に強い関心をみせ、米高官の一人は、
「靖国参拝によって、日本の首相がyushukanの考え方を肯定していると受け取られないか」 と述べたという。
中韓だけでなく、米の目もここに注がれている。
 入館料八百円、まず入り口に展示されている零式艦上戦闘機52型(全長九メートル)、いわゆるゼロ戦が目を引く。館内ではドキュメント映画〈私たちは忘れない−感謝と祈りと誇りを〉を上映中で、観た。日清・日露から第二次大戦まで、いかに自存自衛のための戦争史であったかを訴えている。
 展示品と資料は改修前よりはるかに豊富で、なかでも人間魚雷の〈回天1型〉(全長一四・七メートル)、真っ黒い筒型の実物が、戦争末期のすさまじさと異常を伝えていて、息がつまる。直径わずか一メートル、搭乗員一人、一身肉弾となって敵艦に体当たりする特攻作戦だった。二四四基が投入され、一〇六人が死んだ。十七歳から二十八歳の若者ばかりだという。
 とても慰霊の心境には至らない。六十年余を経ても、なぜこんなことまで、という憤りが先にくる。〈遊就〉の文字もぴったりこない。
 寒波のせいか、境内は人影がまばらだった。大鳥居を出て靖国通りの坂道を三、四分下ると九段下交差点、右手に白い菱形の建物が目に入る。〈昭和館〉である。
 何回となく前を通り、一度立ち寄りたいと思いながら、果たせなかった。〈遊就館〉を見て複雑に高揚した気分のまま、〈昭和館〉に入ってみる。こちらは、
〈来てよかった……〉
 と素直に思えるハズだ
 戦中・戦後、一九三五(昭和十)年ごろから五五年ごろまで、〈戦没者遺族をはじめ国民が経験した生活上の労苦〉をテーマに資料、情報を収集し、保存、展示して後世に伝えるための国立の施設だ。七年前の開館である。
 厚生労働省の委託を受け、財団法人日本遺族会が運営に当たっているそうだから、靖国神社と縁がないわけではない。入場料三百円。
 常設展示室は大変見ごたえがある。七階(戦中の暮らし)と六階(戦後の暮らし)に陳列された実物資料の迫力となつかしさである。
 戦時の統制経済のもとでは、砂糖、マッチにはじまって生活必需品が配給制による割り当てだった。〈家庭用米穀通帳〉が展示されている。そうだった、忘れかけていたが、記憶がすぐによみがえる。 非戦闘員のことを、当時は〈銃後〉と言った。銃後のつとめの一つとして、出征兵士に千人針を贈ったが、その実物もある。なつかしの防空頭巾、灯火管制用の電灯傘、〈空襲警報発令中〉の表示板もある。

 戦後の食糧難、住宅難、闇市などを伝える写真パネルの前にたたずむ。そう、〈バラック〉という言葉が日常的に使われていたなあ。米搗きビン、電気パン焼き器、煙草巻き器なども陳列されている。なんでも自分でやらなければならなかった。
 とにかく、あのころを偲ぶ資料がふんだんにあって、六、七十年の時間を跳び越し、銃後の戦争体験が鮮やかに思い起こされる。それは悲惨とか苦痛というより、むしろ貴重なものに感じられるのだ。
 〈遊就館〉を訪れる方は、ぜひとも〈昭和館〉にも足をのばしていただきたい。ハシゴをおすすめする。靖国問題を深く考えるよすがになると思うからだ
急なる展開は私の身辺にも起こった。
貸し金の膨大なるお話で鹿児島にいかれ結論をいただける
実に不思議な日であった。
英霊がまとわりついた?M資金?

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