とかくこの世は

2006年3月30日
コメントをいただいた。深夜に書きつなれる孤独なる作業に息吹き息吹が沸く。
レモンちゃんこと落合恵子はラジオの名パソナリティーで青春期の野獣たる男供の心の渇きを癒してくれた。
いくつになっても終生変わらぬさびしき生き物たるホスピタル・オスの習性。
オダテリァァ〜豚も木に登る。ま〜あ当節用語でのあげまんですわな〜
マラソンからイナバゥアーまで競技選手に華がある。
 「日の本は をみななしでは 世も明けぬ国」
古来女が歴史を作ってきたのやも知れぬ。
儒教思想のいびつな適用が真実をゆがめてきた故だろうか。
古事記日本書紀の記紀のお話で初代神武以前の4代記のお話である。
神話の国の日向では誰でも知ってることで幼児の頃東宝映画日本誕生を思い出す。まさに三つ子の魂なので覚えている。。
奄美大島出身の胸毛の目立つ横綱朝汐が天手力男(アメノタヂカラオ)神を演じていた。
  高天の原には天照大御神が統治してたが、大御神の弟・素盞鳴尊(スサノオノミコト)はここに昇り、度重なる暴挙をなされ、とうとう大御神は御身を天の岩戸にお隠しになられ、世は闇となり悪事が蔓延ってきた。
  困り果てた八百万の神々は天の安河に集まり鳩首会議
常世長鳴鳥(トコヨノナガナキドリ)を集めて鳴かせ、岩屋の前にて火を焚き、笛や太鼓の楽器が奏すられる中、天宇受売命(アメノウズメ)に派手な踊りを躍らせた。その仕草に神々はドウと笑われたので大御神は不思議に思われ、少し巖戸を開けられて
「私が中に居て世は闇である筈なのに、皆はなぜ楽しく笑っているのか」
と天宇受売命に問われましたので
「貴女さまより尊きお方がおわします」
と天宇受売命がこたえられた。
  されば大御神、少し身を乗り出されたので、すかさず八咫鏡(ヤタノカガミ)を差し出した。すると大御神そこに映るお顔を不思議に思われ今少し御身を乗り出されたましたので、ここぞと岩屋の脇に隠れていた力持ちの天手力男(アメノタヂカラオ)神が巖戸を開け御手を取って外へお引き出、天地には再び光が戻ったといわれる日本に伝わる神話物語でつとに有名なる話
元気な日本をめざし、 平成15年2月に導入された起業促進の特別措置での企業数は、今年1月で2万社を超えた。
まさに、「1円からの起業」の特例を背景に、国内の起業家熱はますます高まりを見せる傾向にある。
、高まりをみせる起業家の中でも特に女性起業家をサポートしていくプロジェクト、フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト「Woman’s ビジネスチャレンジコンテスト 2005」supported by 大和証券グループを昨年7月よりスタートさせた。
本プロジェクトは平成13年からサンケイリビング新聞社が首都圏・関西圏で実施してきた、「女性起業家支援キャンペーン」を発展させたもの。
女性起業家支援プロジェクトの主旨はずばり「日本を元気に」すること。
ブログで海外を含め活躍しているのはどうにも女性のほうが多い。
活躍する女性を上げてみる。
永井多恵子(NHK副会長)
混乱の公共放送をまとめるのはこの女性として起用。
 NHK初の女性副会長として話題になっている永井多恵子(66)。
就任に当たっては「営業現場の苦労も知っており、最重要課題である視聴者・国民からの信頼回復に全力を挙げたい」とのコメントを発表した。29日夜の特番「NHKの再生をめざして」で組織改革にも意欲を示した。
 これに対して「オバサンが何をいまさら」との冷ややかな声があがっている。
放送界に詳しいジャーナリストの坂本衛の談話が新聞にある。
「女性ならではのソフトイメージを買われての人事ですが、退職して10年ブランクがあり、局内部のことはわからないでしょう。会長の橋本元一とともに経営手腕はゼロに等しく、信頼回復はおろか、さらなる混迷を招くのは必至です」
 今回の人事は顧問に就任しながらすぐに辞退した海老沢勝二前会長の意向もあったと目されている。そんな中でどう手腕を発揮するかは技術畑の橋本元一新会長以上に注目を集めている。
 東京都文京区本郷生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科を卒業後、60年にアナウンサーとしてNHKに入局。「スタジオ102」「1億人の経済」「今日のニュース」などで知名度を高めた。
 72年、NHKの女性アナウンサーとして初めて五輪中継(札幌)を担当した。80年解説委員、90年浦和放送局長を歴任したが、常に「女性初」という肩書がついた。今回の副会長もまた「女性初」である。95年に退職。
 また、96年から東京・世田谷区の施設、世田谷文化生活情報センター館長として「世田谷パブリックシアター」を運営して、読売演劇大賞選考委員を務めるなど舞台・演劇について造詣が深い。
「当時まだ無名だったイッセー尾形を番組に起用して一躍全国区にしたのは有名。フランス演劇についても学士号を持っていて、02年に日仏演劇界の交流に寄与したとしてフランスの芸術文化勲章を受章しています」(演劇関係者)
 永井副会長にはもう一つ、“文教の論客”としての顔がある。
 地域生活や女性の社会活動をテーマに全国各地でイベントやシンポジウムのコーディネート、講演活動を行っているだけでなく、各省庁の委員会や部会に名を連ねる。
 中教審、国民生活審議会、国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議、東京都環境アセスメント……。ユネスコのアジア文化センター評議員まで務めている。
「役人からすれば便利な存在です。女性だし、元NHKだし、顔もある程度知られているから起用しやすい。本人もいろいろな所に顔を出すのが好きみたいです」

林文子(ダイエー次期社長候補)
元祖カリスマ主婦は「主婦の店」ダイエーを立て直せるか
 ようやくダイエーの再建スポンサーが決まった。総合商社の丸紅と独立系投資ファンドのアドバンテッジパートナーズ連合で、次期社長の最有力候補として浮上したのが、この人、林文子(58)だ。
数日前までの肩書は、BMW東京の社長。自動車業界では、伝説的な営業ウーマンとして知られた。
1946年生まれ。父親は築地の青果市場の仲買人で、母親は総菜を売って家計を助けた。裕福な家庭ではなく、本人も中学生の頃から町工場や郵便局でアルバイトをしていた。勝ち気で男勝りな少女だったという。
 65年、男女共学の都立青山高校を卒業。
「同校は今でこそ公立高校では有数の進学校ですが、当時の女の子はほとんど大学には行かなかった。彼女も卒業後に東洋レーヨンに就職しました。でも、お茶くみなど雑用ばかりの仕事だったそうです」
入社3日目で一目惚れ  言ってみれば、どこにでもいそうな事務社員だったのだが、本人はかなり楽天的な性格で、転職を繰り返す。たまたま松下電器の事業部長秘書募集の新聞広告を見て応募。だが、そこも半年で辞めてしまう。
「原因は結婚でした。入社3日目に知り合った男性社員に一目惚れしてしまった。すぐに交際するようになり、1カ月後に婚約。あの頃、女子社員は結婚すれば会社を辞めるというのが暗黙の了解になっていましたから、半年で退社してしまったのです」
 立石電機(現・オムロン)の事務補助をしながら、主婦を続けていたという。
自動車業界に首を突っこむようになったのは、31歳の時。これも偶然だった。
「ホンダのトップ営業マンがセールスに来て、シビックを買ったそうですけど、あまり社交的ではなかった。これなら、自分の方ができそうな気がしたというのです。そうして、近所のホンダの販売店で営業マン募集のチラシが張ってあったのを見て、販社に電話して入社したといいます」
 当時の自動車業界では、女性の営業マンはいなかったが、強引に社長に頼み込んで営業所入り。
そこからモーレツに働き、入社5年目で年間販売145台というセールス新記録を達成。以後、93年BMW支店長、99年ファーレン東京(現・VW東京)社長と職場を移り、03年再びBMW東京に戻って社長を任された。
「主婦感覚のアイデアと社交性で転職のたびにステップアップしてきた女性です。昨年4月には、親しい俳優の風間杜夫を使ってショールームで“カラオケマン”という芝居のイベントをやるなど、話題づくりもうまい」
 いわば、元祖カリスマ主婦。その営業力で、主婦の店ダイエーの復活を果たせるか。
野中ともよ(三洋電機会長)
一介のキャスターをここまで取りたてた財界人の名前
ニッポン放送でも社外取締役
 ご当人ですら「そんなアホな」と驚いた仰天人事らしい。三洋電機の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任するジャーナリストの野中ともよ氏(50)のことだ。現社長の桑野幸徳氏が相談役に退き、創業家の井植敏雅副社長(42)が社長に昇格。と同時に、野中氏が経営トップにつくのだから、ご本人ならずとも驚くのは無理もない。
「野中さんはニッポン放送の社外取締役でもあったが、騒動で辞任し注目を浴びたばかり。そこへ今度の会長就任ですから、ビックリです」(事情通)
 まさに異例の人事なのだが、いまや数多くの政府委員を務め、財界からのウケもいい。ご存じ、もとはといえばニュースキャスター。一体、なぜこうも人気があるのか。
 1977年上智大学文学部新聞学科から大学院に進学。コロンビア大学に1年留学し、フォトジャーナリズムを専攻している。79年からNHKのキャスターとなった。
「海外ウィークリーやサンデースポーツのキャスターを務めてきましたが、むしろ彼女を有名にしたのは、ゴルフの全米女子オープン取材。
岡本綾子が熾烈な優勝争いを演じていたのだが、当の岡本にホールの移動中、インタビューを申し込んでひんしゅくを買ってしまったのです」
 88年、米国留学時代に知り合い、遠距離交際していた公認会計士と結婚。翌年、長女を出産し、NHKをやめたかと思ったら、92年、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」に登場。
「小池百合子の後釜としてテレビ界に復帰したのですが、当時、人気のあった田丸美寿々や小宮悦子のスケジュールがあいてなくて滑り込んだ。それでもギャラは3000万円以上、ベビーシッターまでつけてもらうのをTVで報道してたのを記憶している。
 この頃から旧大蔵省財政制度審議会をはじめとした政府委員となる。以来、財務省や文科省、厚労省などの政府委員を兼務してきたが、その一方で財界にも顔を売った。
「97年、米トラベラーズと提携した当時の日興証券の金子昌資社長へインタビューして親しくなり、経営諮問委員に就任。01年には日興リサーチセンターの理事長になった。日興の“広告塔”とも揶揄されたが、これを機に財界に食い込んでいきましたね」
 こうして三洋電機の社外取締役に就任したのが02年。この年、アサヒビールの社外役員にもなっている。で、今度は三洋の会長に就任し、経営に取り組むことになるのだが、同社はデジカメ事業が不振な上、昨年の新潟県中越地震で被災。05年3月期は過去最大の赤字に陥る見通しで、社員に20万円以上の自社製品購入を義務付けるなど、経営の立て直しに必死なのだ。単なる“広告塔役”では済まされない。
売電メーターを交換した。10年もたった太陽光発電施設だからである。
延岡からは3KWの太陽光発電施設をおろして転売してくれとのお話。荒れた変な・・・の日。
強風30mの台風状況の中全国初の太陽光発電施設が完成した。
蓄電装置を兼ね備えた290KWの全国初の施設である。
エッヘン!エバッテラ〜
儒教思想の国でこんな態度ゆえもてる筈がない。
そういえばかって台風は女の名がついていたっけ。
お〜〜こわ〜〜とかくこの世は

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