トップの条件

2006年4月22日
一度あることは二度ある。とか仏の顔も三度まで。などという。
2度廃案になり、今度が3度目の理念無き執念の法案が日本の国会に出ている
「共謀罪」である。
犯罪の実行を話し合っただけで罪となる「共謀罪」の新設を盛り込んだ組織的犯罪処罰法などの改正案の審議が、衆院でまた始まる改正の本来の目的は、国際的なテロ組織やマフィアによる犯罪の未然の防止だ。
ところが運用しだいではどうにもなろう。
社会の安全の確保が大事なことは、言うまでもない。
しかし、人々の冗談や相談が摘発されかねない世の中では困る。
改正法が厳格に運用されると大変である。
 「『冗談のつもりだった』は通じない」
たとえばこのシュチュレ−ション
税理士事務所で、会社の社長が言う。
「先生、法人税なんとかならんかな。経費の水増しとか」。
「まあまあ社長、私の方で出来ること考えますよ。」。
こんな談笑でも罪に問われる可能性があるのだ。
盗聴法,も成立しており、確実に管理社会が身動きできない状況になってきている。
残るは憲法改正で為政者の思いがままの社会の完結である。
どこに突破口があるのか。
私はたとえば尾道の選挙の反動でのいささかの男気にかけている。
警察官僚は後藤田正晴を政界に送り込み政治的一角を占めてきた。
亀井静香はその後の政治実現のための警察組織の代弁者であった。
それが小泉の容赦ない非常なる攻撃として、ホリエモンを刺客として対立候補を送り込み楽しんだ。
窮鼠猫を噛むのおしえさえを知らぬのが学歴詐称の小泉には人の道理がわからぬらしい。やりすぎだわな
それが一挙に警察組織の政治的反発として小泉政治の寵児ホリエモン逮捕で逆襲に出た。
狙いは小泉・武部への警察組織の反逆であり、4点セットで追い落としにかかろうとした。
ところが、若き党首前原は官邸の老獪政治の非法なる罠に陥ってしまった。
首の皮一枚で小泉・武部の権力機構は残った。
ここに熾烈なる権力闘争を垣間見た。
小沢最初の選挙は千葉補選、岩国新市長選とすぐにそのバロメ−タ−が試される。
小沢の遅まきながらの表舞台に登場で政治再編は必須である。
小沢の妻の実家・福田組は創価大出身者が仕切っている。あのヒユ−ザ−と同じ創価学会企業。
そこにいらから民主・公明の新政治勢力も見え隠れする。
5年ぶりの政争シーズンである。
小泉は、自民党の新人議員に、
 「総裁選は最大の権力闘争だから、いい勉強になる」
 などとけしかけているきらいもあるが、最高権力者の座を握る争いには違いない。
 だが、闘争の内側は見えるようで、しばしば見えにくい。
秘術を尽くす面もあるから、あけっぴろげといかないのはわかる。
 票で争う場合は割合透明度が高いが、過去の政争をみても、形は毎回異なり、複雑で、
 「それは墓場までだ」
 と永久秘をほのめかすセリフがでまわる。何年か経て、真相の一部がチラリとのぞいたりする。
最大の権力争いが語られている。
 1972年夏、ポスト佐藤の角福戦争以来、17回の首相交代劇、ことに田中・三木(74年)、宮沢・細川(93年)、羽田・村山(94年)、小渕・森(00年)の4回は異色の政変だった。内情が必ずしもはっきりしない。
 その一つ、田中角栄失脚のあと、三木武夫首相が誕生したドラマだ。後継の選定を任された椎名悦三郎副総裁が、いわゆる<椎名裁定>で三木を指名したのが、74年12月1日朝、実力者会議の席上である。
 このとき、とっさに三木の口を突いてでたのが、
晴天の霹靂はいいえて妙。
国民誰もが驚いた。最小派閥が勝ったのである。
理性が働いていた頃の王道たる政治が行われていた時代である。
今の小泉にはそのかけらも無い喧嘩外交に国内的には200兆の赤字額の増大に120兆の所得移転。
戦後最大の好決算に庶民は貧困層の拡大。。それを勝ち組負け組みと都認識させる政治無き貧困。
世話焼きで必死の日常であるがオ−ナ−に愛想の思いを感じた。午前中8時には都城のジョイフル。
再度錦港湾でオ−ナ−と話すがどうにもいただけない。
トップがこれではいけない。
あちこちにこの現象がおきてる様である。
14時に加世田市16時には鹿児島市内。
滋賀県からのお帰りに方をニシタチにご案内してご帰還。
自分の時間はまるで無い。
PCは動かず泣きっ面にハチ。
本業がたる太陽光発電設置はどうにもすすまぬ。

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