退路を断つ!
2006年4月23日昨夜は福岡のお客さんをエアライン・ホテルに夜にお迎えに行き、宮崎の夜の顔・ニシタチをご案内して、午前様。
何もかも私に押し付ける構図がどうにも納得がいかない。
今日も一日お付き合いをした。
清武二階建てジョィフルに二人してオ−ナ−を訪ねる。
解散後ゆえ意味なきことであった。
鳥八で一献して深夜までの激論。
24時間ひとりになれない状態ではブログにも立ち向かえない。
それにしてもどうなっていくのか。
オ−ナ−は田舎モンすぎ、取り巻きは私一人に押し付けではどうなってるかまったく理解できない。
司令部無き30万坪の処理は立ち行かなくなってる状態。
経費の全てさえ、持たされ行動のみが、評論されたんではたまらない。
太平洋戦争の末期状態。
新聞でも書いていた。
『散るぞ悲しき』新潮社。は硫黄島の総指揮官、栗林忠道中将の行動の手記ともいえる。
--「…陸海軍の縄張的主義を一掃し両者を一元的ならしむるを根本問題とす」。
太平洋戦争末期の激戦の地、のドキュメントである。
陸海軍のちぐはぐな戦いぶりへの痛烈な批判を電報で大本営に送りつけていたことさえ明らかにされている。
激戦は死者ではかられる。
米軍の死傷者は二万九千。二万の日本軍は全滅。
約四十日間の死闘の結果である。
『散るぞ悲しき』の著者の梯(かけはし)久美子によれば、将兵に玉砕を許さず、生き延びて一人でも敵を倒せ、とゲリラ戦を展開する闘将は、戦場から家族にせっせと手紙を送る愛情こまやかな人でもあったらしい。
米国留学時代に培った合理的精神に裏打ちされた提言は当然のことながら握りつぶされた。それどころか防衛庁防衛研究所が戦後に編纂した公刊戦史のなかでも省略され、「触れたくないタブー」であり続けた。
陸海軍の仲の悪さは、洋の東西を問わないが、日本の場合は、明治国家建設にともなう「陸の長州」「海の薩摩」の対立に端を発しているだけに、よけいに根が深い。
旧軍の崩壊後に発足した陸海空三自衛隊でも、先日明らかになったようにそれぞれのコンピューターに互換性はなく、情報の共有もできてなかった。
その自衛隊が、ようやく一体となって戦う体制づくりを急ぐことになった。
栗林のいう一元化、いまの言葉で言えば「統合運用」が始まる。東アジアの緊張が高まるなか、国際テロの脅威の名目の元、また統合軍である米軍と連携を強めるためである。
初の統合幕僚長の着任式が行われた三月二十七日は、六十一年前に硫黄島の戦闘が終結した日。
戦死か自決か定かではない栗林の“命日”でもある。
まだ生き恥をあえて選んで生きてるものもここにいる。
命日は自分で決めることさえできる時代ではある。
退路を断ってのボランテア。
あまり利口な状態ではない。
訪れていただいた皆様!お忘れ物。
ワン・クリックしてお帰りくださいませ。
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑ ワン・クリック!
何もかも私に押し付ける構図がどうにも納得がいかない。
今日も一日お付き合いをした。
清武二階建てジョィフルに二人してオ−ナ−を訪ねる。
解散後ゆえ意味なきことであった。
鳥八で一献して深夜までの激論。
24時間ひとりになれない状態ではブログにも立ち向かえない。
それにしてもどうなっていくのか。
オ−ナ−は田舎モンすぎ、取り巻きは私一人に押し付けではどうなってるかまったく理解できない。
司令部無き30万坪の処理は立ち行かなくなってる状態。
経費の全てさえ、持たされ行動のみが、評論されたんではたまらない。
太平洋戦争の末期状態。
新聞でも書いていた。
『散るぞ悲しき』新潮社。は硫黄島の総指揮官、栗林忠道中将の行動の手記ともいえる。
--「…陸海軍の縄張的主義を一掃し両者を一元的ならしむるを根本問題とす」。
太平洋戦争末期の激戦の地、のドキュメントである。
陸海軍のちぐはぐな戦いぶりへの痛烈な批判を電報で大本営に送りつけていたことさえ明らかにされている。
激戦は死者ではかられる。
米軍の死傷者は二万九千。二万の日本軍は全滅。
約四十日間の死闘の結果である。
『散るぞ悲しき』の著者の梯(かけはし)久美子によれば、将兵に玉砕を許さず、生き延びて一人でも敵を倒せ、とゲリラ戦を展開する闘将は、戦場から家族にせっせと手紙を送る愛情こまやかな人でもあったらしい。
米国留学時代に培った合理的精神に裏打ちされた提言は当然のことながら握りつぶされた。それどころか防衛庁防衛研究所が戦後に編纂した公刊戦史のなかでも省略され、「触れたくないタブー」であり続けた。
陸海軍の仲の悪さは、洋の東西を問わないが、日本の場合は、明治国家建設にともなう「陸の長州」「海の薩摩」の対立に端を発しているだけに、よけいに根が深い。
旧軍の崩壊後に発足した陸海空三自衛隊でも、先日明らかになったようにそれぞれのコンピューターに互換性はなく、情報の共有もできてなかった。
その自衛隊が、ようやく一体となって戦う体制づくりを急ぐことになった。
栗林のいう一元化、いまの言葉で言えば「統合運用」が始まる。東アジアの緊張が高まるなか、国際テロの脅威の名目の元、また統合軍である米軍と連携を強めるためである。
初の統合幕僚長の着任式が行われた三月二十七日は、六十一年前に硫黄島の戦闘が終結した日。
戦死か自決か定かではない栗林の“命日”でもある。
まだ生き恥をあえて選んで生きてるものもここにいる。
命日は自分で決めることさえできる時代ではある。
退路を断ってのボランテア。
あまり利口な状態ではない。
訪れていただいた皆様!お忘れ物。
ワン・クリックしてお帰りくださいませ。
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑ ワン・クリック!
コメント