子は国の宝もの
2006年5月5日きょうはこどもの日・端午の節句。
大空に泳ぐこいのぼりの奇習は外国人の一番驚き慶ぶところであろう。
凛としたるたる大和民族の世界に誇れる心意気の矜持。
この風習どこから発したのか?
江戸の文化たる生きる規範のあの宵越しの金は持たないに収斂される「粋」からうまれたのであろう。
昨夜のNHK19時30分から20時45分にうかがい知れる。
「江戸の頭脳に挑戦〜粋な遊びのテーマパーク〜」江戸ファンたるせきやんには垂涎の番組であった。
語りにテンポのいい、春風亭昇太のあわただしき甲高い声を用ちいい、三宅裕司,鎌倉千秋を進行につとめた。
絵解きクイズ「判じ絵」、高度な数学の知識で挑んだ「算額」、見る人の涙を誘った伝統の手品「手妻
絵解きクイズ,図形パズル,驚きと感動の手品たる和の手品=手妻.これには見るものの品格がいるという。
操る技術の演者だけでなく見巧者(みこうしゃたる、お客の水準さえ試されている。この当時の粋な生き方の水準の高さ。
..粋な遊びたる半天の模様なかに楽しいメッセージが隠された絵解きクイズである“判じ絵”の解読に挑戦し、江戸文化の奥深
さを堪能させてくれた。
一本の大根から技で鎖状にされた繋がってる食採。一枚の紙から折られた百鶴、見るものを圧倒する一枚紙から折られた巨大なる折り紙の象。
「粋」ここにこいのぼりの起源をせきやんは見た。
武家が端午の節句に旗指し物を玄関に並べているのを見た江戸時代の町人が、武具の代わりにこいのぼりを立てたのが始まりという。
子を得たうれしさを他人鈴木にまで知らせたい親心なのである。
幼少の頃のせきやんの実家では紙製で雨が降ると色がちり大慌て。
四方,八方の綱に繋がれた百匹にも及ばんこいのぼりを降ろした。、
大家族の男のみの7人兄弟の末っ子ゆえこいのぼりの数は地域一の数を誇り心のそこに優越感を持ってたものだ。
鯉のぼり・ こいのぼりの歌は、広く知れ渡っている。
「やねより たかい こいのぼり...」が「こいのぼり」で、「甍の波と 雲の波 ...」が「鯉のぼり」。
「こいのぼり」は昭和6年、「鯉のぼり」は大正2年に作られてい。
「尋常小学唱歌(五)」に掲載されたいわゆる文部省唱歌。
作者は不詳、弘田龍太郎の作曲である。
「靴が鳴る」「雨」「雀の学校」「春よ来い」などもそうだ。
童謡は80年以上前に唱歌に対して鈴木三重吉が、大正5年1月創刊「赤い鳥」を嚆矢とする。
童話・童謡運動としてスタートし、やがて昭和に入ると、サトーハチロー、海沼実、武内俊子、葛原しげる、河村光陽、佐々木すぐるなど新たな詩人・作曲家の時代に入る
童謡・新民謡運動へと変質して行き、新民謡運動が今日の歌謡にも関係していく
三重吉が鬼籍に行った昭和11年の8月まで存在した。
実際は「赤い鳥」運動はせいぜい10年間に過ぎなかった。
日本でも「安寿と厨子王」の時代から戦後まで、貧しさゆえ子供には悲劇が続いた。
大正7年7月23日、米価の値上がりが原因で、魚津・滑川などの漁民の主婦の間から起こった米騒動のショックは全国に波及し、参加者は約70万人、鎮圧のための軍隊出動は88ヵ所を数えたといわれる。
「赤い鳥」童謡運動が始まった年(大正7年7月)は、同時にスペイン風邪・・世界中で2,500万人、日本で38万人が死亡・・が猛威を振ることになった年、また米騒動が起こってビリケンン寺内内閣崩壊、経済大恐慌の引き金となったに向かう年でもあった。
鈴木三重吉は、わがままで、漱石にたいしてもそうだったという。少年の頃からケンカで生傷が絶えなかったという。
鈴木三重吉と似て酒豪で剛毅、乱闘騒ぎを起こしたり、
未決房に入ったりしたという豪快な北原白秋は、どちら
かといえば、世情のことに関心は持た(て)ない「高踏派」(芸術至上主義ともいう)といわれるのに対し、野口雨情はどちら
かといえば「社会派」とも言われる。
山田耕筰は、同じく豪快で親分肌が白秋・三重吉とよく似ていたが、雨情、長世はそうした豪快さを嫌う面があった。
「雨」「城ヶ島の雨」「雨降り」「からたちの花」「落葉松」「かやの木山」・・など白秋がどちらかといえば、主に<情景・
叙情>に優れた作品が多いのに対し
、野口雨情に、『雨降りお月さん』など以外に、「人買船」「七つの子」「赤い靴」「十五夜お月さん」などどちらかといえば<抒情・情愛>・・心の内面に深く入った・・を歌った優れた作品が多い。
本居長世が、全国行脚の途中、東海道線の車中で,「汽車ポッポ」を作曲した。
そして、1927年6月〜11月にかけて「童謡百曲集」第1、2,3集刊行。
続いて、1928年2月第4集刊行l、1929年4月第5集刊行(残り)。
主なものは、・・酸模[すかんぽ]の咲くころ(北原白秋) 、「砂山」(北原白秋)、「捨てた葱」(野口雨情)、「俵はごろごろ」
(野口雨情) 「兎のダンス」(野口雨情) 、「河原鶸」(野口雨情)、「カッコ鳥」(野口雨情)「箱根の山」(野口雨情)「よいよい
横町」(野口雨情)、「あわて床屋」(北原白秋)、「雲雀」(三木露風)、「赤とんぼ」(三木露風) 、「青い小鳥」(川路柳虹)、
この道」(北原白秋)、「お山の大将」(西條八十)、「ちんちん千鳥」(北原白秋)・・・・・
海外で「赤とんぼ」そっくり?を耳にした三島由紀夫が、後でシューマンの曲(「序奏とアレグロ」)と知って驚く。
盗作とする三島に、山田耕筰は抗議文を送った事があるほどの多作。
音羽ゆりかご会は海沼実の努力で現在に繋がっている。
童謡歌手の川だ3姉妹を育てた。
川田正子のみかんの花咲く丘でありNHKラジョ・ドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌とんがり帽子、川田孝子である。
これは本居長世・・「七つの子」や「赤い靴」「鐘の鳴る丘」の主題歌とんがり帽子・・の作品である。
作曲者 弘田龍太郎 (文部省唱歌)
1 いらかの波と 雲の波
かさなる波の なか空(ぞら)を
たちばなかおる 朝風 に
高くおよぐや こいのぼり
2 ひらけるひろき その口(くち)に
舟をものまん さま見(み)えて
ゆたかにふるう 尾びれには
物(もの)にどうぜぬ 姿あり
3 もも瀬の滝を のぼりなば
たちまちりゅうに なりぬべき
わが身(み)にによや おのこ子(ご)と
空におどるや こいのぼり
作詞 近藤 宮子
作曲 無名著作物
やねより たかい
こいのぼり
おおきい まごいは
おとうさん
ちいさい ひごいは
こどもたち
おもしろそうに
およいでる
「風吹けば来るや隣の鯉幟」高浜虚子
大きなこいのぼりが垣根を越えて自分の家の庭の上までなびいてくるのだろう。
子が生まれた喜び、その成長を願う親心は、5月の風をはらんで他人の頭上にもひるがえる
現在はさしずめ団地のベランダデで泳ぐ形にはなっているが、いつの世も
這えばたて!たてば歩けの親心。で変わらぬ親の心情。
人間は一人では生きられないこの当たり前のことなかなかそれが理解できないでいる。
論語読みの論語知らず。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」と論語にいう
世代間の生活環境の差を子供にツケ回しをしてはならない。
エネルギー問題からくる問題のことである。
海野厚作詞・中山晋平作曲
はしらのきずは おととしの
五月五日の せいくらべ
ちまきたべたべ にいさんが
はかってくれた せいのたけ
きのうくらべりゃ なんのこと
やっとはおりの ひものたけ
はしらにもたれりゃ すぐみえる
とおいおやまも せいくらべ
くものうまで かおだして
てんでにせのび していても
ゆきのぼうしを ぬいでさえ
一はやっぱり ふじのやま
粽(ちまき)は、串間の母をおもいだし、実につらい。
そのせい、ではなかろうがどこか暗い部分を背負った食物である
ところで、雑誌『國文學』の臨時増刊『食の文化誌』。
近松門左衛門の『女殺油地獄』や夏目漱石の『それから』伊藤左千夫の『浜菊』などで粽(ちまき)が小道具としてどう使われたかを挙げて暗い部分のことを書いている。
「山びこ学校」(無着成恭編、岩波文庫)のつづり方運動
能登の貧しい小作の家に生まれた歌人の坪野哲久
「少年貧時のかなしみは烙印(らくいん)のごときかなや
夢さめてなほもなみだ溢(あふ)れ出(い)づ」。
子供ごころに家の貧窮がつらくないはずはない
串間の母にささげる粽の起源
中国戦国時代の楚(そ)の政治家屈原(くつげん)が汨羅(べきら)に身を投げた5月5日に、人々が供養のため粽を水に投げ
込んだのが、端午に粽を食べる習わしの起源になったとの説は大勢である。
目加田誠著『屈原』には「この日に水中の竜神を祭る習俗が、いつのまにか屈原と結びついたものだろう」とある。
〈粽笹桶(おけ)に漬けある青さかな〉富安風生。
こういうさわやかさが粽と端午の節句の印象だが、その因縁話は爽快(そうかい)とはいえないようだ
そもそも5月は悪い月で端午は特に凶日とされる。
なぜなら陰陽説で「陰陽が戦い、陽が極まって陰が生ずる」日であるから、という。
陰があれば陽がある。
影があるから日なたが明るく見える。
悲憤のうちに自死した屈原の命日など子供の健やかな成長を願う
日に似つかわしくない
そこで、実はふさわしいと思えてくる、こんな詩の一節を『屈原』の中に掲げる。
。「心かたくおのれを慎み/あやまちもついに犯さず/私心無く徳を守って/あめつちの化育(かいく)にあずかる」
一国の将来を決める先生たる国家意義いの60目の手段を小泉チルドレンというがチルドレンというが何たることであろう。
米国NY市の就学前の児童1万6000人「肥満化」の調査で、27パーセントの児童が肥満なんだそうな。
幼児期の肥満は、高血圧、脂肪肝、糖尿病などの生活習慣病の予備軍になる恐れや、筋肉、骨への過剰な負担、また成人期の
肥満化を促進する可能性があるともいう。
3兆円のグアム基地建設費をにほんにおしつけ、
はるかに巨大な額を日本は米国に事実上贈与している。
日本が保有している外貨準備高は99兆円である。
そのほとんどが米国の国債購入に充当され、米国政府の懐に入っている。
もともとは輸入代金の支払い準備が保有目的だが、20兆円程度で十分とされる。
子孫に借金を背負わせるべきではないし、
国と地方自治体が抱える長期の債務残高は3月末時点で774兆円。国内総生産(GDP)の約150%だ。
激しい国際競争環境を考えれば、長い間、財政面のリスクを抱えるのは危険である。
社会保障費。高齢化のため毎年1兆円を超える規模で一般会計からの社会保障費は増え、すでに政策経費である「一般歳出」の44%を占める。
団塊の世代が来年から定年退職期に差し掛かり数年内に年金をもらう側に回れば、事態はさらに悪化する
。この世代は約700万人。総人口の5%強を占める。
税と保険料を元手とする公的な社会保障給付費は04年度に86兆円(国民所得比23.5%)。
団塊世代のすべてが75歳以上になる25年度には152兆円(同29%)になる。
1%で2兆6000億円程度の税収となる消費税を増税すると
してもおのずから限度がある。
年金や医療の給付や保険料などを不断に見直して少子高齢社会に合うよう改め子供世代に負担をかけてはならない。
とりわけエネルギー問題のツケ送りは許せない問題である。
健やかなれ!未来あるこどもたち。
嗚呼!!我子ら何処へ・・・
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大空に泳ぐこいのぼりの奇習は外国人の一番驚き慶ぶところであろう。
凛としたるたる大和民族の世界に誇れる心意気の矜持。
この風習どこから発したのか?
江戸の文化たる生きる規範のあの宵越しの金は持たないに収斂される「粋」からうまれたのであろう。
昨夜のNHK19時30分から20時45分にうかがい知れる。
「江戸の頭脳に挑戦〜粋な遊びのテーマパーク〜」江戸ファンたるせきやんには垂涎の番組であった。
語りにテンポのいい、春風亭昇太のあわただしき甲高い声を用ちいい、三宅裕司,鎌倉千秋を進行につとめた。
絵解きクイズ「判じ絵」、高度な数学の知識で挑んだ「算額」、見る人の涙を誘った伝統の手品「手妻
絵解きクイズ,図形パズル,驚きと感動の手品たる和の手品=手妻.これには見るものの品格がいるという。
操る技術の演者だけでなく見巧者(みこうしゃたる、お客の水準さえ試されている。この当時の粋な生き方の水準の高さ。
..粋な遊びたる半天の模様なかに楽しいメッセージが隠された絵解きクイズである“判じ絵”の解読に挑戦し、江戸文化の奥深
さを堪能させてくれた。
一本の大根から技で鎖状にされた繋がってる食採。一枚の紙から折られた百鶴、見るものを圧倒する一枚紙から折られた巨大なる折り紙の象。
「粋」ここにこいのぼりの起源をせきやんは見た。
武家が端午の節句に旗指し物を玄関に並べているのを見た江戸時代の町人が、武具の代わりにこいのぼりを立てたのが始まりという。
子を得たうれしさを他人鈴木にまで知らせたい親心なのである。
幼少の頃のせきやんの実家では紙製で雨が降ると色がちり大慌て。
四方,八方の綱に繋がれた百匹にも及ばんこいのぼりを降ろした。、
大家族の男のみの7人兄弟の末っ子ゆえこいのぼりの数は地域一の数を誇り心のそこに優越感を持ってたものだ。
鯉のぼり・ こいのぼりの歌は、広く知れ渡っている。
「やねより たかい こいのぼり...」が「こいのぼり」で、「甍の波と 雲の波 ...」が「鯉のぼり」。
「こいのぼり」は昭和6年、「鯉のぼり」は大正2年に作られてい。
「尋常小学唱歌(五)」に掲載されたいわゆる文部省唱歌。
作者は不詳、弘田龍太郎の作曲である。
「靴が鳴る」「雨」「雀の学校」「春よ来い」などもそうだ。
童謡は80年以上前に唱歌に対して鈴木三重吉が、大正5年1月創刊「赤い鳥」を嚆矢とする。
童話・童謡運動としてスタートし、やがて昭和に入ると、サトーハチロー、海沼実、武内俊子、葛原しげる、河村光陽、佐々木すぐるなど新たな詩人・作曲家の時代に入る
童謡・新民謡運動へと変質して行き、新民謡運動が今日の歌謡にも関係していく
三重吉が鬼籍に行った昭和11年の8月まで存在した。
実際は「赤い鳥」運動はせいぜい10年間に過ぎなかった。
日本でも「安寿と厨子王」の時代から戦後まで、貧しさゆえ子供には悲劇が続いた。
大正7年7月23日、米価の値上がりが原因で、魚津・滑川などの漁民の主婦の間から起こった米騒動のショックは全国に波及し、参加者は約70万人、鎮圧のための軍隊出動は88ヵ所を数えたといわれる。
「赤い鳥」童謡運動が始まった年(大正7年7月)は、同時にスペイン風邪・・世界中で2,500万人、日本で38万人が死亡・・が猛威を振ることになった年、また米騒動が起こってビリケンン寺内内閣崩壊、経済大恐慌の引き金となったに向かう年でもあった。
鈴木三重吉は、わがままで、漱石にたいしてもそうだったという。少年の頃からケンカで生傷が絶えなかったという。
鈴木三重吉と似て酒豪で剛毅、乱闘騒ぎを起こしたり、
未決房に入ったりしたという豪快な北原白秋は、どちら
かといえば、世情のことに関心は持た(て)ない「高踏派」(芸術至上主義ともいう)といわれるのに対し、野口雨情はどちら
かといえば「社会派」とも言われる。
山田耕筰は、同じく豪快で親分肌が白秋・三重吉とよく似ていたが、雨情、長世はそうした豪快さを嫌う面があった。
「雨」「城ヶ島の雨」「雨降り」「からたちの花」「落葉松」「かやの木山」・・など白秋がどちらかといえば、主に<情景・
叙情>に優れた作品が多いのに対し
、野口雨情に、『雨降りお月さん』など以外に、「人買船」「七つの子」「赤い靴」「十五夜お月さん」などどちらかといえば<抒情・情愛>・・心の内面に深く入った・・を歌った優れた作品が多い。
本居長世が、全国行脚の途中、東海道線の車中で,「汽車ポッポ」を作曲した。
そして、1927年6月〜11月にかけて「童謡百曲集」第1、2,3集刊行。
続いて、1928年2月第4集刊行l、1929年4月第5集刊行(残り)。
主なものは、・・酸模[すかんぽ]の咲くころ(北原白秋) 、「砂山」(北原白秋)、「捨てた葱」(野口雨情)、「俵はごろごろ」
(野口雨情) 「兎のダンス」(野口雨情) 、「河原鶸」(野口雨情)、「カッコ鳥」(野口雨情)「箱根の山」(野口雨情)「よいよい
横町」(野口雨情)、「あわて床屋」(北原白秋)、「雲雀」(三木露風)、「赤とんぼ」(三木露風) 、「青い小鳥」(川路柳虹)、
この道」(北原白秋)、「お山の大将」(西條八十)、「ちんちん千鳥」(北原白秋)・・・・・
海外で「赤とんぼ」そっくり?を耳にした三島由紀夫が、後でシューマンの曲(「序奏とアレグロ」)と知って驚く。
盗作とする三島に、山田耕筰は抗議文を送った事があるほどの多作。
音羽ゆりかご会は海沼実の努力で現在に繋がっている。
童謡歌手の川だ3姉妹を育てた。
川田正子のみかんの花咲く丘でありNHKラジョ・ドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌とんがり帽子、川田孝子である。
これは本居長世・・「七つの子」や「赤い靴」「鐘の鳴る丘」の主題歌とんがり帽子・・の作品である。
作曲者 弘田龍太郎 (文部省唱歌)
1 いらかの波と 雲の波
かさなる波の なか空(ぞら)を
たちばなかおる 朝風 に
高くおよぐや こいのぼり
2 ひらけるひろき その口(くち)に
舟をものまん さま見(み)えて
ゆたかにふるう 尾びれには
物(もの)にどうぜぬ 姿あり
3 もも瀬の滝を のぼりなば
たちまちりゅうに なりぬべき
わが身(み)にによや おのこ子(ご)と
空におどるや こいのぼり
作詞 近藤 宮子
作曲 無名著作物
やねより たかい
こいのぼり
おおきい まごいは
おとうさん
ちいさい ひごいは
こどもたち
おもしろそうに
およいでる
「風吹けば来るや隣の鯉幟」高浜虚子
大きなこいのぼりが垣根を越えて自分の家の庭の上までなびいてくるのだろう。
子が生まれた喜び、その成長を願う親心は、5月の風をはらんで他人の頭上にもひるがえる
現在はさしずめ団地のベランダデで泳ぐ形にはなっているが、いつの世も
這えばたて!たてば歩けの親心。で変わらぬ親の心情。
人間は一人では生きられないこの当たり前のことなかなかそれが理解できないでいる。
論語読みの論語知らず。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」と論語にいう
世代間の生活環境の差を子供にツケ回しをしてはならない。
エネルギー問題からくる問題のことである。
海野厚作詞・中山晋平作曲
はしらのきずは おととしの
五月五日の せいくらべ
ちまきたべたべ にいさんが
はかってくれた せいのたけ
きのうくらべりゃ なんのこと
やっとはおりの ひものたけ
はしらにもたれりゃ すぐみえる
とおいおやまも せいくらべ
くものうまで かおだして
てんでにせのび していても
ゆきのぼうしを ぬいでさえ
一はやっぱり ふじのやま
粽(ちまき)は、串間の母をおもいだし、実につらい。
そのせい、ではなかろうがどこか暗い部分を背負った食物である
ところで、雑誌『國文學』の臨時増刊『食の文化誌』。
近松門左衛門の『女殺油地獄』や夏目漱石の『それから』伊藤左千夫の『浜菊』などで粽(ちまき)が小道具としてどう使われたかを挙げて暗い部分のことを書いている。
「山びこ学校」(無着成恭編、岩波文庫)のつづり方運動
能登の貧しい小作の家に生まれた歌人の坪野哲久
「少年貧時のかなしみは烙印(らくいん)のごときかなや
夢さめてなほもなみだ溢(あふ)れ出(い)づ」。
子供ごころに家の貧窮がつらくないはずはない
串間の母にささげる粽の起源
中国戦国時代の楚(そ)の政治家屈原(くつげん)が汨羅(べきら)に身を投げた5月5日に、人々が供養のため粽を水に投げ
込んだのが、端午に粽を食べる習わしの起源になったとの説は大勢である。
目加田誠著『屈原』には「この日に水中の竜神を祭る習俗が、いつのまにか屈原と結びついたものだろう」とある。
〈粽笹桶(おけ)に漬けある青さかな〉富安風生。
こういうさわやかさが粽と端午の節句の印象だが、その因縁話は爽快(そうかい)とはいえないようだ
そもそも5月は悪い月で端午は特に凶日とされる。
なぜなら陰陽説で「陰陽が戦い、陽が極まって陰が生ずる」日であるから、という。
陰があれば陽がある。
影があるから日なたが明るく見える。
悲憤のうちに自死した屈原の命日など子供の健やかな成長を願う
日に似つかわしくない
そこで、実はふさわしいと思えてくる、こんな詩の一節を『屈原』の中に掲げる。
。「心かたくおのれを慎み/あやまちもついに犯さず/私心無く徳を守って/あめつちの化育(かいく)にあずかる」
一国の将来を決める先生たる国家意義いの60目の手段を小泉チルドレンというがチルドレンというが何たることであろう。
米国NY市の就学前の児童1万6000人「肥満化」の調査で、27パーセントの児童が肥満なんだそうな。
幼児期の肥満は、高血圧、脂肪肝、糖尿病などの生活習慣病の予備軍になる恐れや、筋肉、骨への過剰な負担、また成人期の
肥満化を促進する可能性があるともいう。
3兆円のグアム基地建設費をにほんにおしつけ、
はるかに巨大な額を日本は米国に事実上贈与している。
日本が保有している外貨準備高は99兆円である。
そのほとんどが米国の国債購入に充当され、米国政府の懐に入っている。
もともとは輸入代金の支払い準備が保有目的だが、20兆円程度で十分とされる。
子孫に借金を背負わせるべきではないし、
国と地方自治体が抱える長期の債務残高は3月末時点で774兆円。国内総生産(GDP)の約150%だ。
激しい国際競争環境を考えれば、長い間、財政面のリスクを抱えるのは危険である。
社会保障費。高齢化のため毎年1兆円を超える規模で一般会計からの社会保障費は増え、すでに政策経費である「一般歳出」の44%を占める。
団塊の世代が来年から定年退職期に差し掛かり数年内に年金をもらう側に回れば、事態はさらに悪化する
。この世代は約700万人。総人口の5%強を占める。
税と保険料を元手とする公的な社会保障給付費は04年度に86兆円(国民所得比23.5%)。
団塊世代のすべてが75歳以上になる25年度には152兆円(同29%)になる。
1%で2兆6000億円程度の税収となる消費税を増税すると
してもおのずから限度がある。
年金や医療の給付や保険料などを不断に見直して少子高齢社会に合うよう改め子供世代に負担をかけてはならない。
とりわけエネルギー問題のツケ送りは許せない問題である。
健やかなれ!未来あるこどもたち。
嗚呼!!我子ら何処へ・・・
最後まで有難うございました。
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