サッカーW杯の出場に沸く日本。
最多得点王が選ばれず、物議をかもそうが所詮ワクがあるゆえ監督の権限で致し方ない。
サッカーは野球のようにコメントできず、うどんさんにお任せし書かれるのをまとう。
それにしてもうどんさんの15日のブログは一気に書き上げたひらめきの卒論と同じで圧巻であった。
諸手を上げ賛成で、うんうんと唸りながら一気に読ませていただいた。
神の国における文化としての男女同権論の限界の言葉は光をなしていた。
サッカーの監督は苦渋の顔も見た。選ばれしなかったもののことを慮ってることからであろう。
監督といえば映画もそうだ。
平和映画三部作を残し先月逝った宮崎の黒木監督亡き後に光明を見出したのは 宮崎信恵監督
この14日、「無名の人」を九州映画者より封切した。
婦人開放運動は平塚雷鳥を嚆矢とするのが定説である。
それより10数年前の明治30年に女性の自覚と自立を促し男女同権を書いていた人に光を当あてた。
石井筆子の明治30年発表の大日本婦人教育会雑誌第九十八号からの記述である。
映画のナレーションは 神山繁が努めている。
「男女の此世にあるは云うまでもな同等の権利を具備するものにして 男子の為に女子あるにあらさるは 
猶女子の為に男子あらさるがごとし
若し女子の男子のために存在するとせんか、
男子も亦女子の為に存在するものたらんのみ、
の論者、女子に高等の教育を授くるは
結婚を忌むの媒となる、
故に女子の教育はある程度に止むべしと言う、
実にそは男子の僻論にして
女子の心理を知らざるものの説なり」
この時間にさえお客さん
時間が無いゆえ、九州映画社から転載するとこうである。

石井筆子は、1861年長崎県の玖島(現大村市)に生まれ、明治、大正、昭和の激動の時代を1944年、84歳まで波乱万丈な人生を送りました。
 その生涯の前半においては、女子教育者として「男女同権」の考え方に基づいた女性の自立を促し、後半生においては、わが国で最初の知的障害児者施設滝乃川学園を夫、亮一(佐賀市水ヶ江出身)とともに運営することで、日本の「知的障害者の母」として彼らの基本的人権の擁護に生涯を捧げた女性です。
 さまざまな分野から掘り起しが進む中で、近代を切り拓いた女性として業績の偉大さが明らかになってきました。亮一・筆子の蒔いた一粒の種は、今日の社会で、女性の社会的地位の向上、障害者施策の面においても、大きく実り、めざましい進歩を遂げています。そして、今日の時代閉塞的な社会に風穴を開け、一人一人の生き方と、明日の社会に大きな示唆を与えることに繋がる作品です。4月初旬完成。(80分)                監督の来歴から                
1861年・文久元年に肥前大村玖島に生まれた石井筆子は、若くしてアメリカ18代大統領・グラントに拝謁したのをはじめ、2年間にわたるフランス留学や、お雇い外国人や宣教師の家族たちとの交流を通して、早くから開明思想にめざめていた。家父長的家族制度のもとでの男性優位における女子教育は良妻賢母養成が主で、自立のための教育とは無縁だった。だが、筆子は、仕事と家庭の両立を果たす一方、女子教育の振興をはかるための民間の組織「大日本婦人教育会」の活動に邁進する。
筆子は3人の娘を授かったが2人は早逝し、残る長女には知的な障害があった。さらに夫は病弱で若くして死別という度重なる不幸が筆子を襲った。幼い子供を抱え未亡人となった筆子は、1898年、「大日本婦人教育会」の雑誌に「思ひ出つるまヽに」という論考を発表
人権思想に基づいた男女平等論を訴えた。同年、筆子は、女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者である津田梅子とともに、米国・デンバー市で開かれた「万国婦人倶楽部会議」に日本婦人を代表して出席、米国の女子教育と福祉の状況を見学して帰国した。このアメリカ旅行を契機に筆子の人生は一変する。後半生の筆子は、華やかな表舞台から一切の身をひき、わが国で最初の知的障害児の施設・滝乃川学園の創立者である石井亮一の協働者として滝乃川学園の運営と、保母の養成に砕身粉骨する。佐賀葉隠れ武士の家に生まれた亮一は、濃尾地震で孤児となった幼い少女のための「聖三一孤女学院」を開いていたが、その中に知的障害を持った少女がいたことがきっかけとなって、亮一を知的障害児教育の研究にむかわせていた。だが、知的障害児をに対する社会の理解も国の施策も皆無の時代、学園の運営は想像を絶した厳しい状況におかれていた。それでも二人はキリスト者としての深い人間愛で、人権思想に根ざした教育の実践に邁進する。それはまさに、いばら路を切り拓く壮絶な戦いでもあった−
代議士事務所に早朝いき、夕方は電気店を回る。
福岡のお客さんの特殊のタバコが無いためとあるタバコ提供に使命をかけておられるタバコ売りの職人さんの店に行く。
「あった!」
この宮崎人でなき生き方が
いま宮崎に必要なのである。
国連統計でで一日24000人の飢餓で死ぬのに陽気な話題も聞いた。
ここに集う人々は実のおおらか。屈託なき笑み一度は立ち寄るべき宮崎一のタバコ販売店である。
ここでは紫煙は気にならない。
紫煙文化が宿っている。
クリックされたし!
http://www.geocities.jp/sunland3433/
今日の朝日新聞3面のタバコをめぐる討論は無縁である。
にわか不動産業の合間に太陽光発電の営業でまわったとこでは、どこもやさしくねぎらいの言葉をいただく。
大手の駅の東の○○ハウスの課長さんは米子に転勤
後任の方に会えず、応対したいただいた方から、丁寧なる言葉。
日南の太陽光発電のことは知っておられない。
工事依頼をお願いして辞去
宮ガ○では無礼を詫びてお願いする。
工事店もそうである。
太陽光発電工事の継続に悩んでいる。
死しても初志貫くべし。

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試してみてください。
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コメント

うどん
うどん
2006年5月16日22:32

その昔、ドーハの悲劇などといっていた頃は、JリーグよりもA代表でしたが、トリニータという足場が出来てみると、A代表は余興のようなもので、ワールドカップはちっともワクワクイベントじゃなくなってしまいました。

一見、物腰柔らかですが、結構気が強い私なので、昨日のようなことを書くと、おびえてしまう男性がいて、昔からときどき困ることがありました。

相撲の土俵に女は上がってはいかん!のうどんでした。
歯は大丈夫ですか?

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