文部省唱歌でなく流行の歌を歌うことを戒められてた頃があった。
それも歌ってる曲目を挙げてのお小言。
あまりにも悲しみばかりおってると現か幻かでその様になるのでと怒られた爺ちゃんの記憶がある。
歌うことそのもの否定もあったが選曲の注意も含んでいた。
歌手が河原乞食と侮蔑の社会的隠語としての職業差別もあった社会情勢の時期のことでもある。
日清日露を従軍した記憶からの処世術であったんであろう。
西郷隆盛の姿をおぼえてるのが自慢の袈裟助ジッチャンであった。
90過ぎても自転車の荷台に鍬、鎌の作業道具を結い、地区一の有名人。
袈裟助は長身で俊足。俊足のみ父岩雄にも引き継いだDNAであったが、メンデルの法則は孫に開花しなかった。
村議立候補は落選という落ち目は微塵もなく生き抜いた当時の長寿者。
今夜の歌謡曲の番組NHK20時から20時45分には感涙。
宿泊のお客さんがあったれ場こそ最後まで見れた。
森昌子の復帰記念のどうやら実況の放送であった。
中山美幸のもらい泣きにせきやんももらい泣きの貰い泣き。
Nhkホールの3000人も騒然と復帰をお祝いした。
おしどりの森進一との破局と言う事情が事情だけに極めて演歌ぴったりの舞台回し。
一番の歌を口ずさむことはせきやんには無理である。
哀しみ本線 日本海/森 昌子
作詞:荒木 とよひさ
作曲:浜 圭介
何処へ帰るの 海鳥たちよ
シベリアおろしの 北の海
私には 戻る 胸もない
戻る 戻る 胸もない
もしも死んだら あなた
あなた泣いてくれますか
寒い こころ 寒い
哀しみ本線 日本海
細い汽笛が こころに刺さる
星屑ばかりの 北の空
涙さえ 凍る こんな夜
吠える 風に ふるえてる
胸の痛みを あなた
あなた聞いてくれますか
寒い こころ 寒い
哀しみ本線 日本海
入江沿(づた)いに 灯りがゆれる
名前も知らない 北の町
凍りつく指に 息をかけ
旅の重さ 筆(ペン)をとる
綴る便りを あなた
あなた読んでくれますか
寒い こころ 寒い
哀しみ本線 日本海
作詞家荒木 とよひさは1943年9月19日生まれ。本名は荒木豊久。
旧満州・大連出身。日大芸術学部を卒て1972年、「四季の歌」の作詞でデビュー
妻は演歌歌手の神野美伽。
3代目あばれはっちゃくの荒木直也は前妻との間に生まれた長男。
知っている作詞した楽曲はきりが無い。
テレサテン
愛人
時の流れに身をまかせ
つぐない
堀内孝雄
恋唄綴り
作曲家は宮崎の人たる中山大三郎が鬼籍にいり、酒席の曲の作曲家は紫綬褒章受章を受賞した浜 圭介 がいい。
この世界は苦労の話が受ける。
森山加代子は北海道から上京して全国デビューした
61年頃パイのパイのパイは街角に流れ田舎の西都の山峡の地にもこだました
浜 圭介はその同郷の付け人になり、牧幸次の名で「波止場のロック」をだしたが、鳴かず飛ばず。
その後、『大木賢』で「これが愛さ」
「涙がほろりと君の頬流れ 僕の心をなぜか震わせる これが愛さ 愛なんだ・・・」
これも今ひとつ。作曲家に転進。
後に『浜圭介』と改名、昭和39年から43年の頃。。
昭和22年2月18日千葉県生まれの奥村チヨを妻とする上州気質があったんであろう。
奥村チヨの紹介は麻生祐未の叔母といったほうが現代人にはわかるのかもしれない。
八代亜紀『舟歌』・『雨の慕情』、前川清『そして神戸』、細川たかし『望郷じょんから』、北原ミレイ『石狩挽歌』、高山厳『心凍らせて』
久しぶりのテレビは英気を養うに十分(じゅぶん)。
疲れきっていたのは、3時間もの格闘たる事故処理の話し合い。
全面委任を受けてのガストでのこと。
保険屋のあるまじき仕草は警察上がりと見抜くに時間を要しなかった程で不届き千万の無礼者
ガストに怒号が飛び散った。
営業マンたるせきやんの数十念ぶりの出番。
本社よりのTELで直ちに了解する。
テレビは不愉快さを忘れさせてくれた。
不愉快はまだあった。
北海道の箕輪登(82)は郵政大臣もした超右翼のタカ派代議士で私の青春期の攻撃対象の標的あった。
報道で鬼籍にいったとのニュース。
実はこの人でさえ今の世相を憂いて最高裁判所で争っていた最中である。
イラクへの自衛隊派遣差止め訴訟の原告者である。
自民党国防副部会長を務め、防衛庁次官を勤めた人がである。
後藤田正晴警察庁長官に通じるとこがある真の政治家。
自衛隊はそもそも専守防衛を目的としてきた。
これでは日本はテロの標的になる。
米国のゆうことを聞くだけで将来が心配である。
次世代に警鐘を鳴らして逝った末節を汚さぬ最後まで政治家を通した。
神奈川キャンプ・座間には世界に覇を唱える米国陸軍本部が出きる。
最近大きく軍事国家にカジをきったわが国。
自民党タカ派・箕輪登にしてさえ将来に対する不安なる日本。
風前のともし火に照らし合わせて悲喜こもごも。
書き込みを頂いた暖かいブログ人の心配をよそに悲惨な時間のすごし方。おかゆさんもどきのみでは力が、今ひとつでない。
何故に治療しないかさえわからぬ意地っ張り。
わざわざガストにきて下の歯でなくよかった!と師匠。
ドイツを変えた10人のパイオニアなどの著書を置いていかれる。
太陽光発電を含む自然エネルギーの普及に捧げられるこの人の理念と情熱に勝る人を私は知らない。
マウスでの・ワン・クリック。元気の元。
試してみてください。
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
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あまりにも悲しみばかりおってると現か幻かでその様になるのでと怒られた爺ちゃんの記憶がある。
歌うことそのもの否定もあったが選曲の注意も含んでいた。
歌手が河原乞食と侮蔑の社会的隠語としての職業差別もあった社会情勢の時期のことでもある。
日清日露を従軍した記憶からの処世術であったんであろう。
西郷隆盛の姿をおぼえてるのが自慢の袈裟助ジッチャンであった。
90過ぎても自転車の荷台に鍬、鎌の作業道具を結い、地区一の有名人。
袈裟助は長身で俊足。俊足のみ父岩雄にも引き継いだDNAであったが、メンデルの法則は孫に開花しなかった。
村議立候補は落選という落ち目は微塵もなく生き抜いた当時の長寿者。
今夜の歌謡曲の番組NHK20時から20時45分には感涙。
宿泊のお客さんがあったれ場こそ最後まで見れた。
森昌子の復帰記念のどうやら実況の放送であった。
中山美幸のもらい泣きにせきやんももらい泣きの貰い泣き。
Nhkホールの3000人も騒然と復帰をお祝いした。
おしどりの森進一との破局と言う事情が事情だけに極めて演歌ぴったりの舞台回し。
一番の歌を口ずさむことはせきやんには無理である。
哀しみ本線 日本海/森 昌子
作詞:荒木 とよひさ
作曲:浜 圭介
何処へ帰るの 海鳥たちよ
シベリアおろしの 北の海
私には 戻る 胸もない
戻る 戻る 胸もない
もしも死んだら あなた
あなた泣いてくれますか
寒い こころ 寒い
哀しみ本線 日本海
細い汽笛が こころに刺さる
星屑ばかりの 北の空
涙さえ 凍る こんな夜
吠える 風に ふるえてる
胸の痛みを あなた
あなた聞いてくれますか
寒い こころ 寒い
哀しみ本線 日本海
入江沿(づた)いに 灯りがゆれる
名前も知らない 北の町
凍りつく指に 息をかけ
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あなた読んでくれますか
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哀しみ本線 日本海
作詞家荒木 とよひさは1943年9月19日生まれ。本名は荒木豊久。
旧満州・大連出身。日大芸術学部を卒て1972年、「四季の歌」の作詞でデビュー
妻は演歌歌手の神野美伽。
3代目あばれはっちゃくの荒木直也は前妻との間に生まれた長男。
知っている作詞した楽曲はきりが無い。
テレサテン
愛人
時の流れに身をまかせ
つぐない
堀内孝雄
恋唄綴り
作曲家は宮崎の人たる中山大三郎が鬼籍にいり、酒席の曲の作曲家は紫綬褒章受章を受賞した浜 圭介 がいい。
この世界は苦労の話が受ける。
森山加代子は北海道から上京して全国デビューした
61年頃パイのパイのパイは街角に流れ田舎の西都の山峡の地にもこだました
浜 圭介はその同郷の付け人になり、牧幸次の名で「波止場のロック」をだしたが、鳴かず飛ばず。
その後、『大木賢』で「これが愛さ」
「涙がほろりと君の頬流れ 僕の心をなぜか震わせる これが愛さ 愛なんだ・・・」
これも今ひとつ。作曲家に転進。
後に『浜圭介』と改名、昭和39年から43年の頃。。
昭和22年2月18日千葉県生まれの奥村チヨを妻とする上州気質があったんであろう。
奥村チヨの紹介は麻生祐未の叔母といったほうが現代人にはわかるのかもしれない。
八代亜紀『舟歌』・『雨の慕情』、前川清『そして神戸』、細川たかし『望郷じょんから』、北原ミレイ『石狩挽歌』、高山厳『心凍らせて』
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自民党タカ派・箕輪登にしてさえ将来に対する不安なる日本。
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