トップ不在

2006年5月21日
澄明な季節、里も田も街も、山川草木みな、みずみずしい。
ここんとこのグズグズ天気もこの二日間季節の移ろいを吹き飛ばす晴天。
この時期の長雨、霖雨(りんう)に見舞われる季節ゆえ。
ウソのような日である。
走り梅雨、卯(う)の花腐(くた)しと風流人は呼ぶ。
辛き空模様を癒しているのであろう。
どうにもビジネスの悩みが尽きぬ。
ビジネスの基本は人と資本。どれだけの人を知りえてるかに尽きる。
これにあふれんばかりの営業絵の情熱。資本については語るべものではない常識。
早朝からドタバタ劇。先週日曜日にパネルを下ろした現場のパネル上げとの認識で現場を探そうとするが、行った方々との連絡が取れず、の苦悩。
ようやく二人揃って急場を凌ぐ。
引き継ぎなんぞ、なんらないもので、アタフタ。
ご苦労をおかけしている。
責任者不在の一人相撲。。
外国人ばかりの相撲界とドッコイドッコイの状態で悪者で詫びまわるのが、私の役目。どうにもならぬ。
昨夜連絡をしていたのに何故にこうなるのかわからない。
親分さん的運営しかないんであろうか。
つかの間の時間を経て日曜日に今日もTELがあり、お伺いする。
新茶を押戴き、古き置き囲炉裏細工の処分を頼まれる。値7万円。相当の樹齢を誇る屋久杉製である。
不動産に関するビジネスは実に多くの蠢いてる裏方さんがある。
齢も相当の方々ばかり。まだまだ、この社会は団塊の世代は若い。ということになる。
かって、古き社会も、そうであったことだろう。
新聞にもそことが触れてあった。 
広沢虎造の唸る浪曲「次郎長伝」は何も過去のことではない。
「駿河路や花橘も茶の匂ひ」(芭蕉)
、この句をほとんどそのままアタマに使っていたと証言する『風流入門』の著者・古今亭志ん朝
落語家の古今亭志ん朝さえ、参考にしたらしい。
大いに学ぶべきところあり。
駿河の国に限らず、宇治でも八女でも知覧でも、いまが茶農家は忙しい。
ましてや、県内全域が茶所の宮崎ではなにおかいわんやである。
「山吹や宇治の焙炉の匂ふ時」(芭蕉)。
お茶は、鎌倉時代に臨済宗の祖である栄西によって中国からもたらされた。
やがて茶の湯の文化として広がり、千利休の登場によって茶質の吟味がうるさくなったという。
この季節の茶舗には、インド北部のダージリンからの一番茶もある。
 こちらは、淡い青緑が若々しい生茶だ。独特のうすーい琥珀(こはく)色で、一口すすると甘みが口いっぱいに広がる。標高二千メートルのダージリンの町。尾根から下る斜面の至るところに茶畑が広がっている。
朝と夕に深い霧に包まれ、これがお茶栽培には欠かせないらしい。
 世界には現地の生産量を上回る「ダージリン・ティー」が流通しているからご注意を。
遅いアフタヌーン・ティーも捨てがたい。が、やはり新茶とくれば香りとうま味のある朝の日本茶がいい
」お〜い茶ぁ〜」なるネーミングがいい。
ペット・ボトルにいったる新茶をのんだが、これが、うまくできている。
今朝の騒動がないようなうまくできたる運営は程遠い。
それよりも何よりも未払いの整理。
緊急なる借金の施しでなんとか急場を凌いで手は新茶の味はわからない。
お恥ずかしい運営次第で、羞恥心さえ、どこか得行っている。
やはり資本!につきるのか。
強靭なる精神力も限界寸前。
師匠のメールで持っている。
あっっ!歯が痛い!

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