初物
2006年6月6日目に青葉、山ホトトギス初かつお
旬の食べ物が通年中食することが出きる経済大国日本!
この時期に今年採れのサツマイモを食した。本来は秋口に収穫する慣わし。
クリよりうまい串間の芋と言っても消して誇張でもないホクホクサクサク感。
、サツマイモ=甘藷(カンショ)のことである。
九州鹿児島・熊本では、カライモといい、長崎ではサツマイモという。関東ではやはりサツマイモ
長崎 平戸には県指定史跡「コックスの甘藷畑」跡がある。ここは日本内地で最初にカンショが植えられた地という。
平戸の英国商館長リチャード・コックスの1615年(元和元)6月19日の日記に
「私は今日庭を造り、琉球から来た芋を植えた。日本では未だ植えられたことのないものである。私はこの庭のために年額10匁すなわち5シリングを支払うことになっている」とあることが裏付けである。
コロンブスがスペインに伝えたがヨーロッパでは普及しなかった。中国へは1584年に福建に入った。
琉球へは1605年、そして長崎へは1615年に初渡来とされるが、ほかに琉球あるいはルソンから薩摩への導入もあって南九州に広まり
、1735年に青木昆陽によって江戸へもたらされた。
カンショは国内外約1,400の品種が県の施設にある。品種・系統を保存しながら焼酎原料用をはじめ製品としてのでんぷん、焼き芋などの生食用、お菓子や酢、健康食品などの加工向けに新品種を開発。各県の畑作研究機関に試験中の系統を10種類程度配布する
焼酎原料用カンショの最新の品種「ダイチノユメ」
「ダイチノユメ」のでんぷん歩留まり28.5%、10アール収量4,470キロに対し「コガネセンガン」は26.5%、3,880キロ。歩留まりで2.0%、収量で590キロも上回っている。
「ダイチノユメ」のデータを昭和40年代に開発され現在では宮崎県内の各種原料用カンショ栽培の90%以上に普及している「コガネセンガン」とで比べると、「ダイチノユメ」のでんぷん歩留まり28.5%、10アール収量4,470キロに対し「コガネセンガン」は26.5%、3,880キロ。歩留まりで2.0%、収量で590キロも上回っている。
畑作園芸支場で開発したサツマイモの焼酎製造に実用化されている例に「コナホマレ」がある。
今では「ダイチノユメ」。
外観は赤味を帯びた褐色で、輪切りにすると淡黄白色をしている。甘みは少ないが、早くから太りでんぷん歩留まりが29.23%もある。10アール収量は4,820キロ。
明石酒造(えびの市)が導入し「みやざき ほまれ」の銘柄(36度)で商品化させた。
霧島酒造(都城市)の「赤霧島」(25度)には「ムラサキマサリ」が使われている。
濃い赤紫色をした外観で甘みは少ないが、輪切りにすると抗酸化能力が期待されるアントシアニン色素の含有量の多さを示す濃い紫色をしている。
でんぷん歩留まり23.7%、10アール収量3,720キロという数字は「コガネセンガン」と同程度かやや下回る程度。
ちなみに、やはり紫色をしていてアントシアニン含有量が「ムラサキマサリ」と同程度の「アヤムラサキ」は、でんぷん歩留まりが20.4%、10アール収量が3,010キロで、焼酎用ではメリットがない。色素を生かしてジュース、酢やお菓子などに加工されている。
園芸作物や食用カンショに比べてこれまでどちらかといえばマイナーだった原料用カンショが脚光を浴びてきた。さまざまな特徴を持った芋の新品種開発によって本格芋焼酎の需要がさらに伸びることを期待したい。
農家は従来の「コガネセンガン」でも10アール当たり3トン収穫して15万円(1キロ50円)で販売できたが、新品種の開発で焼酎業者とともに栽培農家の所得向上にも期待が持てる。農家を組織化して増産体制を組めば、遊休農地の解消にも貢献できるだろう。
▽焼酎にはカンショ、米、麦、そばなどの農産物の原料を1回だけ蒸留させて製造する乙類(本格焼酎)と、大手酒造工場などで連続蒸留によって高濃度アルコールから製造する甲類がある。
▽宮崎県内には40社の焼酎メーカーがあり、このうちの28社で年間8万klの本格焼酎を製造し、その半分程度が芋焼酎。一方、県内で1年間に飲まれるアルコール類は合計8万7千kl。
本格芋焼酎は2万700kl程度だ。
▽宮崎県内のカンショの用途別生産量(トン)は焼酎などアルコール用8,164、でんぷん製品用1 419、加工用1万1,979、生食(青果)用2万2,280、飼料用34、種子用7の合計約4万3,800(1,843ヘクタール)。
▽全国のカンショの産地(トン)は(1)鹿児島39万3千(2)茨城19万2千(3)千葉14万2千(4)宮崎 以下静岡、徳島、熊本が続く。
鹿児島、宮崎、熊本以外では食品加工や生食用が圧倒的に多い。
新聞が伝えている。
串間市でハウス栽培された超早掘りの食用カンショ(サツマ芋)の出荷は先月末に始まっている。
9月ごろ出荷の普通の露地栽培に比べ約3カ月早く、関西方面では高級食材として珍重されている。
カンショのハウス栽培は、県内では同市大束地区の農家6軒が計1・2ヘクタールで育てている。
ハウス物は真冬の12月に植え付け、ハウス内の地温を20度前後に保って寒い冬を越させるのが特徴。
市場では貯蔵イモが底をついたころに登場するため、高級料亭などが皮つきのてんぷら材として競って買いに走るという。
昨年は16トン余りがJA大束から出荷され、普通掘りの3倍近い平均1キロ389円で取引された。
今年は日照不足で光合成が不足し、比較的小型・細身のものが多いという。
「ハウス物に続いて、これから主力の、畝にビニールをかぶせた露地物の早掘りが出回るが、日照不足の影響が心配」とJA大束営農課の島田武嗣販売係長
サツマイモは、江戸時代の初めにルソン島から中国、さらに琉球(沖縄県)を経て薩摩(鹿児島県)に伝わったのでその名がある。薩摩では琉球から伝わったので琉球イモといった。
当初は、九州でしか栽培されなかったが、1735年(享保20年)、青木昆陽が飢饉の際の代用食としてカンショ(甘藷)栽培の励行を幕府に進言したため各地に広まった。
こうして栽培が普及したサツマイモは、江戸庶民の間で焼きいもとして親しまれた。焼きいも屋の誕生は江戸時代後期の寛永年間(1789〜1800年),神田甚平衛橋のたもとで『原の焼芋』といって売り出されたのがはじめと言われている。
やがて明治・大正と学生などのおやつとなり、大学いもの名も現れ、太平洋戦争中の食料難を救うことにもなる。
サツマイモは関東周辺と四国・九州が産地です。千葉県は、作付け面積では鹿児島県、茨城県につぐ全国3位ですが、鹿児島県も茨城県もデンプン加工用が多いため、生産額では、全国1位となります。関東地方の主要品種は甘みが強く、食味がよいベニアズマです。
『栗より美味い十三里半』と言われ親しまれている川越のサツマイモ
農業予算の急激に伸んだ時期がある。
契機は橋本竜太郎首相のときであったか宮沢喜一首相だったが
世界農産物の公平なる取引の価格調整として「ウルグアイ・ラウンド対策」が実施された。
農林水産省が1994年度から2000年度に掛けて投じた税金は、総額にして6兆円を優に超えた。
。地方単独事業も加えれば、7兆3000億円に近い。
が、それで日本の農業が自律したかと問われれば、答えは否。
その使途は他の起債同様、ハコモノと道路と公園の建設に限定されていたのですから。
結果、全国津々浦々に、自律的な個人の農業者の願いとは裏腹な“遺跡”が多数出現。
長野・田中知事の言葉を借りたわけだ。
「集団営農」と称する悪平等的助け合いに、巨大農業団体と一蓮托生で固執する日本は、コルフォーズ、ソフォーズ、人民公社も潰(つい)えた21世紀の地球上で未だ猶、集団的自衛権ならぬ集団的計画経済社会主義を実践する奇特な国家である。
ところで、串間市大束では色鮮やかなカンショの 関西方面へ出荷始まった。先月末からである。
東京・目黒の、目黒不動尊には境内には「独鈷の滝」があり今も昔ながら蕩々と流れている。
裏山には青木昆陽先生の墓があり、甘藷先生として10月28日には甘藷まつりが盛大に
行われる。
カンショは、メキシコ〜グアテマラ地域が原産地で、栽培化は紀元前3,000年以前らしい。
コロンブスがスペインに伝えたがヨーロッパでは普及しなかった。中国へは1584年に福建に入った。
琉球へは1605年、そして長崎へは1615年に初渡来とされるが、ほかに琉球あるいはルソンから薩摩への導入もあって南九州に広まり
、1735年に青木昆陽によって江戸へもたらされた。
これに先立ち大村純富(すみひさ)は、長崎港に出入りしていた琉球の人たちが芋を常食としているのを知り、琉球から芋を取り奇せて栽培させ非常時に備えていた。享保の大飢饉(1731年)では芋によって飢餓を免れた大村のことが評判となり、幕府に望まれ、芋窯(貯蔵用に土の中に掘った貯蔵用の穴)から取り出した種芋を江戸へ送っている。これが昆陽の芋の研究となり、栽培が全国に普及するもとになった。
五島藩では、芋が上納作物でなかったせいか栽培は奨励されなかった。明治初年、富江町で農業と海運業を営む田中庄三郎(−1883)は鹿児島から芋を移入し、何年もかかって芋苗の量産に成功した。彼はこれを五島中に広め、他県にも売った。もうけも大きかったという。カンコロもちなどで、今は知らぬ者もないほど有名な「五島芋」。庄三郎はその育ての親だ。
ご逗留の方と午前中過ごし、綾に届け物をして、砂土原に回る。
実に非能率なる時間。
かねてよりの懸案、ジールの指摘事項の手直しを終えた用でもある。
マウスでの・ワン・クリック。元気の元。
試してみてください。
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旬の食べ物が通年中食することが出きる経済大国日本!
この時期に今年採れのサツマイモを食した。本来は秋口に収穫する慣わし。
クリよりうまい串間の芋と言っても消して誇張でもないホクホクサクサク感。
、サツマイモ=甘藷(カンショ)のことである。
九州鹿児島・熊本では、カライモといい、長崎ではサツマイモという。関東ではやはりサツマイモ
長崎 平戸には県指定史跡「コックスの甘藷畑」跡がある。ここは日本内地で最初にカンショが植えられた地という。
平戸の英国商館長リチャード・コックスの1615年(元和元)6月19日の日記に
「私は今日庭を造り、琉球から来た芋を植えた。日本では未だ植えられたことのないものである。私はこの庭のために年額10匁すなわち5シリングを支払うことになっている」とあることが裏付けである。
コロンブスがスペインに伝えたがヨーロッパでは普及しなかった。中国へは1584年に福建に入った。
琉球へは1605年、そして長崎へは1615年に初渡来とされるが、ほかに琉球あるいはルソンから薩摩への導入もあって南九州に広まり
、1735年に青木昆陽によって江戸へもたらされた。
カンショは国内外約1,400の品種が県の施設にある。品種・系統を保存しながら焼酎原料用をはじめ製品としてのでんぷん、焼き芋などの生食用、お菓子や酢、健康食品などの加工向けに新品種を開発。各県の畑作研究機関に試験中の系統を10種類程度配布する
焼酎原料用カンショの最新の品種「ダイチノユメ」
「ダイチノユメ」のでんぷん歩留まり28.5%、10アール収量4,470キロに対し「コガネセンガン」は26.5%、3,880キロ。歩留まりで2.0%、収量で590キロも上回っている。
「ダイチノユメ」のデータを昭和40年代に開発され現在では宮崎県内の各種原料用カンショ栽培の90%以上に普及している「コガネセンガン」とで比べると、「ダイチノユメ」のでんぷん歩留まり28.5%、10アール収量4,470キロに対し「コガネセンガン」は26.5%、3,880キロ。歩留まりで2.0%、収量で590キロも上回っている。
畑作園芸支場で開発したサツマイモの焼酎製造に実用化されている例に「コナホマレ」がある。
今では「ダイチノユメ」。
外観は赤味を帯びた褐色で、輪切りにすると淡黄白色をしている。甘みは少ないが、早くから太りでんぷん歩留まりが29.23%もある。10アール収量は4,820キロ。
明石酒造(えびの市)が導入し「みやざき ほまれ」の銘柄(36度)で商品化させた。
霧島酒造(都城市)の「赤霧島」(25度)には「ムラサキマサリ」が使われている。
濃い赤紫色をした外観で甘みは少ないが、輪切りにすると抗酸化能力が期待されるアントシアニン色素の含有量の多さを示す濃い紫色をしている。
でんぷん歩留まり23.7%、10アール収量3,720キロという数字は「コガネセンガン」と同程度かやや下回る程度。
ちなみに、やはり紫色をしていてアントシアニン含有量が「ムラサキマサリ」と同程度の「アヤムラサキ」は、でんぷん歩留まりが20.4%、10アール収量が3,010キロで、焼酎用ではメリットがない。色素を生かしてジュース、酢やお菓子などに加工されている。
園芸作物や食用カンショに比べてこれまでどちらかといえばマイナーだった原料用カンショが脚光を浴びてきた。さまざまな特徴を持った芋の新品種開発によって本格芋焼酎の需要がさらに伸びることを期待したい。
農家は従来の「コガネセンガン」でも10アール当たり3トン収穫して15万円(1キロ50円)で販売できたが、新品種の開発で焼酎業者とともに栽培農家の所得向上にも期待が持てる。農家を組織化して増産体制を組めば、遊休農地の解消にも貢献できるだろう。
▽焼酎にはカンショ、米、麦、そばなどの農産物の原料を1回だけ蒸留させて製造する乙類(本格焼酎)と、大手酒造工場などで連続蒸留によって高濃度アルコールから製造する甲類がある。
▽宮崎県内には40社の焼酎メーカーがあり、このうちの28社で年間8万klの本格焼酎を製造し、その半分程度が芋焼酎。一方、県内で1年間に飲まれるアルコール類は合計8万7千kl。
本格芋焼酎は2万700kl程度だ。
▽宮崎県内のカンショの用途別生産量(トン)は焼酎などアルコール用8,164、でんぷん製品用1 419、加工用1万1,979、生食(青果)用2万2,280、飼料用34、種子用7の合計約4万3,800(1,843ヘクタール)。
▽全国のカンショの産地(トン)は(1)鹿児島39万3千(2)茨城19万2千(3)千葉14万2千(4)宮崎 以下静岡、徳島、熊本が続く。
鹿児島、宮崎、熊本以外では食品加工や生食用が圧倒的に多い。
新聞が伝えている。
串間市でハウス栽培された超早掘りの食用カンショ(サツマ芋)の出荷は先月末に始まっている。
9月ごろ出荷の普通の露地栽培に比べ約3カ月早く、関西方面では高級食材として珍重されている。
カンショのハウス栽培は、県内では同市大束地区の農家6軒が計1・2ヘクタールで育てている。
ハウス物は真冬の12月に植え付け、ハウス内の地温を20度前後に保って寒い冬を越させるのが特徴。
市場では貯蔵イモが底をついたころに登場するため、高級料亭などが皮つきのてんぷら材として競って買いに走るという。
昨年は16トン余りがJA大束から出荷され、普通掘りの3倍近い平均1キロ389円で取引された。
今年は日照不足で光合成が不足し、比較的小型・細身のものが多いという。
「ハウス物に続いて、これから主力の、畝にビニールをかぶせた露地物の早掘りが出回るが、日照不足の影響が心配」とJA大束営農課の島田武嗣販売係長
サツマイモは、江戸時代の初めにルソン島から中国、さらに琉球(沖縄県)を経て薩摩(鹿児島県)に伝わったのでその名がある。薩摩では琉球から伝わったので琉球イモといった。
当初は、九州でしか栽培されなかったが、1735年(享保20年)、青木昆陽が飢饉の際の代用食としてカンショ(甘藷)栽培の励行を幕府に進言したため各地に広まった。
こうして栽培が普及したサツマイモは、江戸庶民の間で焼きいもとして親しまれた。焼きいも屋の誕生は江戸時代後期の寛永年間(1789〜1800年),神田甚平衛橋のたもとで『原の焼芋』といって売り出されたのがはじめと言われている。
やがて明治・大正と学生などのおやつとなり、大学いもの名も現れ、太平洋戦争中の食料難を救うことにもなる。
サツマイモは関東周辺と四国・九州が産地です。千葉県は、作付け面積では鹿児島県、茨城県につぐ全国3位ですが、鹿児島県も茨城県もデンプン加工用が多いため、生産額では、全国1位となります。関東地方の主要品種は甘みが強く、食味がよいベニアズマです。
『栗より美味い十三里半』と言われ親しまれている川越のサツマイモ
農業予算の急激に伸んだ時期がある。
契機は橋本竜太郎首相のときであったか宮沢喜一首相だったが
世界農産物の公平なる取引の価格調整として「ウルグアイ・ラウンド対策」が実施された。
農林水産省が1994年度から2000年度に掛けて投じた税金は、総額にして6兆円を優に超えた。
。地方単独事業も加えれば、7兆3000億円に近い。
が、それで日本の農業が自律したかと問われれば、答えは否。
その使途は他の起債同様、ハコモノと道路と公園の建設に限定されていたのですから。
結果、全国津々浦々に、自律的な個人の農業者の願いとは裏腹な“遺跡”が多数出現。
長野・田中知事の言葉を借りたわけだ。
「集団営農」と称する悪平等的助け合いに、巨大農業団体と一蓮托生で固執する日本は、コルフォーズ、ソフォーズ、人民公社も潰(つい)えた21世紀の地球上で未だ猶、集団的自衛権ならぬ集団的計画経済社会主義を実践する奇特な国家である。
ところで、串間市大束では色鮮やかなカンショの 関西方面へ出荷始まった。先月末からである。
東京・目黒の、目黒不動尊には境内には「独鈷の滝」があり今も昔ながら蕩々と流れている。
裏山には青木昆陽先生の墓があり、甘藷先生として10月28日には甘藷まつりが盛大に
行われる。
カンショは、メキシコ〜グアテマラ地域が原産地で、栽培化は紀元前3,000年以前らしい。
コロンブスがスペインに伝えたがヨーロッパでは普及しなかった。中国へは1584年に福建に入った。
琉球へは1605年、そして長崎へは1615年に初渡来とされるが、ほかに琉球あるいはルソンから薩摩への導入もあって南九州に広まり
、1735年に青木昆陽によって江戸へもたらされた。
これに先立ち大村純富(すみひさ)は、長崎港に出入りしていた琉球の人たちが芋を常食としているのを知り、琉球から芋を取り奇せて栽培させ非常時に備えていた。享保の大飢饉(1731年)では芋によって飢餓を免れた大村のことが評判となり、幕府に望まれ、芋窯(貯蔵用に土の中に掘った貯蔵用の穴)から取り出した種芋を江戸へ送っている。これが昆陽の芋の研究となり、栽培が全国に普及するもとになった。
五島藩では、芋が上納作物でなかったせいか栽培は奨励されなかった。明治初年、富江町で農業と海運業を営む田中庄三郎(−1883)は鹿児島から芋を移入し、何年もかかって芋苗の量産に成功した。彼はこれを五島中に広め、他県にも売った。もうけも大きかったという。カンコロもちなどで、今は知らぬ者もないほど有名な「五島芋」。庄三郎はその育ての親だ。
ご逗留の方と午前中過ごし、綾に届け物をして、砂土原に回る。
実に非能率なる時間。
かねてよりの懸案、ジールの指摘事項の手直しを終えた用でもある。
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