産声

2006年6月17日
市町村合併で田野町は宮崎市に編入された。
この地区で議員をしておられる方のお家に太陽光発電の営業にいつたことがある。
宮崎銀行のすぐ近くの二階建ての東向き屋根。
町並みからして、最高条件たる南向き屋根でない。
この方の近くのお菓子屋さんには4KWのパネルを設計したことがあるが、議員さん宅はそのままである。
ここが、あの、巨人・外野手・木村拓也の実家である。
実は遺跡はなしっを知らなかった。
16年目のベテランが転機を望んでいた理由は次の通りでよかろう。
開幕二軍でスタートしたのは、若返りを図るブラウン監督の構想から、34歳のベテランは完全に外された。
木村の弁をブログから拾うとこうである。
「一度も一軍から声がかからない。チームの調子が上がらなくても、お呼びがかかるのは若い選手ばかり。だから、覚悟はしてたし、自分でもトレードを望んでいた。ブラウン監督は外国人。さすがにその辺ははっきりしていて、広島ではもうチャンスは少ない、というようなことを直接言われてましたからね」
 一軍が本拠とする広島市民球場から電車で約30分。
二軍が練習していた廿日市で、木村拓也は、巨人へのトレードを通告された。
 95年に日本ハムから移籍後11年にわたって広島の主力として活躍した人気選手。
薄暗い室内練習場での突然のトレード通告。
勝負の世界は非情である。
愛着ある広島を離れる寂しさと移籍先が巨人と複雑なる心境が理解できる。
「まさか、同一リーグにトレードされるとは。それも、巨人でしょ。ボクはもちろん、妻もビックリしてました。やはり、巨人は特別な球団。常に勝利が求められ、選手はそのプレッシャーでがんじがらめになっているのかと思ってた。(巨人から広島に移籍した)福井に『みんな楽しくやっていますよ』とは聞いていましたが、実際には入ってみるまでは、ねえ?」
 で、どうだったのか。
「イメージは変わりました。福井の言っていた通り、雰囲気がいいです。(アテネ)五輪の仲間だった二岡、上原がいろいろ気遣ってくれて。いまだに“自分が日本代表なんかに選ばれてよかったのか”と思っていましたが、巨人に来てやっと五輪の経験が生きた(笑い)。広島を見返すためにも、声をかけてくれた巨人に恩返しするためにも、精いっぱい、自分のできることをします」
かって田野町元役場のガラス・ケースにある、高橋のバットや、上原のグローブのことを書いた。
オリンピック出場の日本代表チームの結束を感じるお話である。
さて、午後に東京より会社再建にお目見え頂いた。
トップにおしいただいて、法人整備も図り、新規の出発準備である
お風呂道具や年金担保融資、増資多くの宿題も得た。
精一杯のせきやんの姿勢は受け入れられた。
近じか、資本整備もして新規の出発である。
トレードで新天地の活躍を誓う我宮崎の英雄・クムタクの二重写しである。
女子プロ横峯さくらも優勝までもう一歩見習わねば成らぬ。
午前2時過ぎまで交流後は朝方までの議論。
ブログの時間なんぞはない。
ここまで産みの苦しみを味わっている。
お付き合い頂いた方々に感謝に耐えない。

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