武士道
2006年6月20日喧騒の間隙をついて肥後の東横インにようやくねぐらを確保したのがただいま午前2時過ぎ。
多くの方々に感謝でいっぱいである。
久しぶりにブログに心おりなく取り組めるのでホテルのPCを借りて書いている。
大量のアルコールのためシドロモドロ。
完全なる酩酊運転状態で指先が千鳥足となっている。
肥後は剣聖・宮本武蔵で名高い、
剣道・玉竜杯はそれをたたえ当地で今も行われている。
明治維新を成し遂げたのは薩摩の示現流と肥前のタイ捨流。
幕末、人斬り殺法で恐れおののかせたのが両藩の武士であった。
関が原で西軍に加担した負い目ゆえ幕府に恭順を示すため徳川将軍お墨付きの柳生新陰流に鞍替えした。
ところが徳川300年の間でもひそかに受け継がれ幕末一挙に開花した。
「葉隠」は肥前・鍋島藩の山本常朝の残した武士道の書。
本来この書は日向人の手でかかればなかった書物に
のハズ。
全国稀なる6藩に分かれ統治されてたため、高鍋・秋月、日南飫肥以外は学問が遅れた。
日露戦争を米国の地ポーツマスで外務大臣・小村寿太郎は飫肥の出身、同じく昌平坂の(今の東大)塾頭をつとめた安井息軒を生んだ。
高鍋・秋月はいまの侍従長になる種樹公を生み明治の三蹟といわれるほど書をよくした。
せきやんのお宝の掛け軸は青春期に取得した。
三好退蔵はロシア皇太子殺傷者を権力にあまねることなく法の下に平等に扱った裁判官。
石井じゅ児は孤児の父。
宮崎・鵜戸神宮は剣聖が開眼して剣法を生み出した、鹿島・鹿取の修行の地であり、鹿島神宮の大本山といっても異論を唱えるものはなかろう。
剣におけるもともとの本家筋に当たるのが日向・鵜戸にあたる訳けである。
タイ捨流に丸目蔵人がおり、遼太郎の作品にも昇華され出てくる。
柳生宗矩は時の為政者。
鍋島初代の元茂は柳生宗矩に入門する。
代々伝わるタイ捨流を捨ててのことだ。
同門に柳生宗矩の嫡男・十兵衛三厳、竹千代(三代将軍の家光)がいた。
柳生の次は、元茂といわれ、将軍は同門後輩で畏怖された
「兵法花伝書」三巻は十兵衛三厳から元茂につかわされた。
宗矩の乱れ花押がこれである。
肥前における流儀はタイ捨流であったが、新陰流が弘流。
上級武士は新陰、中級、軽輩はタイ捨流となった。
鍋島直正ぞくに閑叟は幕末の開明な名君
タイ捨流を相伝することとなる。
反射炉で自国製大砲を作り種痘を奨励した。
明治維新の薩長土肥の4番目に名を残しえたのは案外こんなところにある。
伝え残した功労者は中野一族。
このようなことを書いてきたのも出発前の一波乱。
12時財閥宅でコピーをしたり、ベッド移転の雑用を済ませ
この人の資産を預かってきた。
15時に帰社すると財閥宅にいく途中で約束してたる手形を渡す部材や関○はきていない。
どころか、何を勘違いしたのか
スリダイヤの方が邪魔をする。
実に奇怪なるお話である。
支払う側が立場が悪い。私どもも昨年来の未収が300万近くある。
ひたすら恭順を示しながら下手のお願いをしているが、集金が実現していない。
集金ほど大変なものはない。
多忙すぎる時間の中に20時にここについた。
資金つくりの借金と不動産売買の仲介をお願いしてるためである。
その行く手を阻む意味がわからない。
心に仕事をやりぬく武士道の精神がないからである。
武士道は死ぬことを見つけたり。
仕事の責任感もしかり。
飲めないものが必死で肥後のスナックで盛り上げ、
アピールしてるのも仕事ゆえ。
酩酊状態でこのブログを書いてるのも生きてる証を示すため。
何事も武士道の精神の矜持である。
あ〜朦朧・・・この何日の睡眠時間はほんのわずか。
壮絶なる睡眠時間!
嗚呼!
明日は早朝、博多に向かう。
共はみな断られる。
たった一人でアパデン宮崎にかける滑稽さ。
訪れていただいた皆様!
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がんばれ!の元気下さい!
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久しぶりにブログに心おりなく取り組めるのでホテルのPCを借りて書いている。
大量のアルコールのためシドロモドロ。
完全なる酩酊運転状態で指先が千鳥足となっている。
肥後は剣聖・宮本武蔵で名高い、
剣道・玉竜杯はそれをたたえ当地で今も行われている。
明治維新を成し遂げたのは薩摩の示現流と肥前のタイ捨流。
幕末、人斬り殺法で恐れおののかせたのが両藩の武士であった。
関が原で西軍に加担した負い目ゆえ幕府に恭順を示すため徳川将軍お墨付きの柳生新陰流に鞍替えした。
ところが徳川300年の間でもひそかに受け継がれ幕末一挙に開花した。
「葉隠」は肥前・鍋島藩の山本常朝の残した武士道の書。
本来この書は日向人の手でかかればなかった書物に
のハズ。
全国稀なる6藩に分かれ統治されてたため、高鍋・秋月、日南飫肥以外は学問が遅れた。
日露戦争を米国の地ポーツマスで外務大臣・小村寿太郎は飫肥の出身、同じく昌平坂の(今の東大)塾頭をつとめた安井息軒を生んだ。
高鍋・秋月はいまの侍従長になる種樹公を生み明治の三蹟といわれるほど書をよくした。
せきやんのお宝の掛け軸は青春期に取得した。
三好退蔵はロシア皇太子殺傷者を権力にあまねることなく法の下に平等に扱った裁判官。
石井じゅ児は孤児の父。
宮崎・鵜戸神宮は剣聖が開眼して剣法を生み出した、鹿島・鹿取の修行の地であり、鹿島神宮の大本山といっても異論を唱えるものはなかろう。
剣におけるもともとの本家筋に当たるのが日向・鵜戸にあたる訳けである。
タイ捨流に丸目蔵人がおり、遼太郎の作品にも昇華され出てくる。
柳生宗矩は時の為政者。
鍋島初代の元茂は柳生宗矩に入門する。
代々伝わるタイ捨流を捨ててのことだ。
同門に柳生宗矩の嫡男・十兵衛三厳、竹千代(三代将軍の家光)がいた。
柳生の次は、元茂といわれ、将軍は同門後輩で畏怖された
「兵法花伝書」三巻は十兵衛三厳から元茂につかわされた。
宗矩の乱れ花押がこれである。
肥前における流儀はタイ捨流であったが、新陰流が弘流。
上級武士は新陰、中級、軽輩はタイ捨流となった。
鍋島直正ぞくに閑叟は幕末の開明な名君
タイ捨流を相伝することとなる。
反射炉で自国製大砲を作り種痘を奨励した。
明治維新の薩長土肥の4番目に名を残しえたのは案外こんなところにある。
伝え残した功労者は中野一族。
このようなことを書いてきたのも出発前の一波乱。
12時財閥宅でコピーをしたり、ベッド移転の雑用を済ませ
この人の資産を預かってきた。
15時に帰社すると財閥宅にいく途中で約束してたる手形を渡す部材や関○はきていない。
どころか、何を勘違いしたのか
スリダイヤの方が邪魔をする。
実に奇怪なるお話である。
支払う側が立場が悪い。私どもも昨年来の未収が300万近くある。
ひたすら恭順を示しながら下手のお願いをしているが、集金が実現していない。
集金ほど大変なものはない。
多忙すぎる時間の中に20時にここについた。
資金つくりの借金と不動産売買の仲介をお願いしてるためである。
その行く手を阻む意味がわからない。
心に仕事をやりぬく武士道の精神がないからである。
武士道は死ぬことを見つけたり。
仕事の責任感もしかり。
飲めないものが必死で肥後のスナックで盛り上げ、
アピールしてるのも仕事ゆえ。
酩酊状態でこのブログを書いてるのも生きてる証を示すため。
何事も武士道の精神の矜持である。
あ〜朦朧・・・この何日の睡眠時間はほんのわずか。
壮絶なる睡眠時間!
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明日は早朝、博多に向かう。
共はみな断られる。
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