岩見隆夫は毎日紙のご意見番。
サンデー時評はその主張の場でここにせきやん流に置き換えて見識を視てほしいとせきやんのお節介。
 小泉総理はアメリカに向かいロシア・サミットで長きにわたった政治の第一線から去る。
ところでそのロシアとの歴史は忘れられない日本人の傷がある。
中曽根康弘や宮沢喜一、橋本竜太郎の諸先輩を引退に追いやり、引導を渡した小泉政治。
政治家にはどうであろう。年齢はないのではなかろうか。
国の乱れは民の乱れとなる。
「リセット」を16歳でされたのでは親はたまったものではない。
ここんとこの諸事件にそれを視る。
抵抗勢力のレッテルを貼り、亀井静香等を自民党から追い出し都市型自民党を作り上げた。
大衆政治家のにおいの薄い政治家が増えたのはひとり、小泉政治のなしえたもの。
政治を矮小化して国民大衆のことを、日夜真剣に考えているのかどうか疑わしい物とした。
政治不信の増長で危険なファッショ化の兆しである。
民のかまどからのどかな煙が立ちのぼるのを静かに眺めやる、そんな雰囲気が感じ取れない
国会は。仕事は山ほど残っているのに、小泉総理のひと声で閉会。 
それに戴して何故に物言わぬ議員集団となったのか。
 国会審議の隅に押しやられた形で継続審議扱いにされたのに、野党三党が提出した
〈戦後強制抑留者特別給付金支給法案〉と〈平和祈念事業特別基金廃止法案〉がある。
 前者は、敗戦直後、シベリア・モンゴルに抑留され帰還した人たちに、抑留期間に応じて三〇万円から二〇〇万円を支給するというものだ。
後者は、それにともなって、銀杯と慰労金10万円を支給し幕引きとした政府の基金制度を廃止するとしている。
 この法案が軽く扱われているのは、〈シベリア抑留〉の問題を国民が忘れかけていることと深くかかわる。
いまは北朝鮮の拉致問題に関心が向いており、それは当然なのだが、〈シベリア抑留〉は日本民族が体験した史上最大の拉致事件だった。
 忘れてはならない。
忘れかけているのは日本人の恥である。
歴史と無縁に生きる、怒りを感じない安直な国民と言われても仕方ないのだ
〈シベリア抑留〉のような重大な歴史事実を国民一人一人にしっかり刻みつけるようにすることこそ、愛国心教育の基本である。
それがなおざりにされてきたから、法案への関心も薄くならざるをえない。
 この夏で61年になる。
敗戦前夜の1945年8月9日、ソ連軍は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して対日参戦し、旧満州などに侵攻
、捕虜にした日本兵らをソ連全域約2〇〇〇カ所の収容所に分散抑留した。
森林伐採などの重労働に従事させるためである。
 冬は零下40度にもなる極寒の地で苦役を強いられ、厚労省などの推計によると、抑留者は57万5000人
、うち約一割の5万5000人(6万人以上ともいわれる)が栄養失調と病気で死亡したという。
犠牲者がシベリア地区に集中していたので、〈シベリア抑留〉と呼ばれることになった。
 抑留期間は2年から11年、58年暮れに生存者約50万人の引き揚げが完了した。
いま健在なのは約八万人、平均年齢は八十四歳といわれるが、正確なデータはない。
 その一人、八十歳の全国抑留者補償協議会(全抑協)事務局長、平塚光雄さん
「私は十五歳で海軍に志願し、少年航空隊に配属され、朝鮮半島で特攻訓練中に敗戦を迎えた。当時十八歳だったが、そのままシベリアに送られ、酷寒の地で強制労働をさせられた。食糧事情は最悪で、カエルやヘビ、松の実など食べられるものは何でも食べて生き延びた。しかし、体力のない人から次々に倒れ死んだ。多くの仲間の死を看取った。
 私は四年二カ月で帰国できたが、帰ってからも『共産主義に洗脳された』と公安から監視され、就職差別も受けた。できれば忘れてしまいたい悪夢だった」 と言う。
 戦後を生き抜くなかで、平塚さんたちが初めて疑問を持ったのは七〇年代に入ってからである。
当時オホーツク海でソ連にだ捕された北海道の漁民がしばらくして釈放、帰国したときに、政府が抑留日数に応じて補償金を支給した事実を知った。
〈漁民は自分たちの生活のために出かけて捕まったのだが、私たちは国家によって動員された。それなのに抑留補償がないのは明らかに差別ではないか〉 という疑問だった。
 全抑協が結成されたのは、帰国から三十年も過ぎた七九年、しかし、国家補償要求の運動に対して政府の対応は鈍く
〈慰藉(慰めいたわること)はするが、補償はしない。戦後処理はすべて終わった〉 というつれない態度に終始している。
 同じ敗戦国のドイツはどうか。
捕虜の未払い労働賃金を補償する責任は、捕虜の所属国(本国)にある、という方針をドイツ政府は明確にして、五四年には早くも補償法を制定、一人当たり一万二〇〇〇マルクを給付、住宅資金の貸し付けなど多岐にわたる手厚い支援をしてきた。
 銀杯などでお茶をにごした日本政府との違いは、どこからきたのだろうか。補償だけでなく、情報収集、名簿作成などにも熱意がない。
昨年、シベリアから北朝鮮に移送された抑留者リストがロシアから日本政府に届きニュースになったが、厚労省はなぜかこのリストの公開も拒んでいる。
 戦後処理に臆病なのは、一つ応じたら補償問題が際限なく広がることを恐れているとしか思えない。
だが、当然補償すべきなのを怠って、時が流れ去るのを待っている不誠実な国は日本だけである。
「もはや金銭の問題ではない、誰がみても、シベリア抑留・未払い賃金問題が二十一世紀まで放置されているのは不正義である。強制労働に誰も責任を取らないとすれば、シベリアにおける私たちの存在は奴隷だったことになる」
 と平塚さんたちが訴えるのは、もっともなのだ。
これで、ロシア・サミットに乗り込むようでは笑止。
政治の怠慢である。

シベリア抑留に遭った著名人
宇野宗佑 - 第75代内閣総理大臣(抑留記「ダモイ・トウキョウ」を執筆)
香月泰男 - 洋画家
胡桃沢耕史 - 作家(黒パン俘虜記を執筆)
黒柳守綱 - ヴァイオリン奏者(黒柳徹子の父)
近衛文隆 - 陸軍中尉(近衛文麿の長男、抑留中に死去)
佐藤忠良 - 彫刻家 せきやん初恋のひと佐藤オリエの父
瀬島龍三 - 陸軍中佐(関東軍参謀)伊藤忠商事会長
平参平 - 元吉本新喜劇座長
藤田真 - ニュージャパンキックボクシング連盟理事長
水原茂 - 元読売ジャイアンツ監督
三波春夫 - 歌手
村上信夫 - 元帝国ホテル料理長
柚木進 - 元南海ホークス投手(終戦後のエース)
横山操 - 日本画家
吉田正 - 作曲家(異国の丘を作曲)

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コメント

nophoto
お日様大好き
2006年6月26日1:56

そのドイツは発電原価保証をして国民自らが自然エネルギー投資をすることを進めているが、この国は、原発と言うファシズムを再び国民に押し付けている。国民を大事にしない国家は滅びるしかないのかもしれませんね。

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