竹中、小泉、安部
2006年7月21日いらっしゃいませ。
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与謝野、竹中に勝つ
小泉改革の粋は郵政改革で07年10月発足する郵便貯金銀行その初代社長は三菱商事常任顧問の古川洽次氏が内定した。
竹中平蔵総務・郵政民営化担当相と与謝野馨・金融担当相のつばぜりあいに決着がついた瞬間である。
与謝野金融相と旧東京三菱銀が、竹中総務相と西川社長が決めた人事をひっくり返したという図式。
当初は、持ち株会社の西川善文社長(前三井住友銀行頭取)が郵貯銀の社長を兼務するはずだった。
が、古巣の三井住友がメーンバンクの立場を利用して融資先企業に金融商品を押し付け販売していた問題で、金融庁から行政処分を受けた。
西川が頭取時代の不祥事で、郵貯銀の社長兼任の断念に追いやられた。
竹中総務相とコンビを組む西川社長が次に白羽の矢を立てたのが、元UFJホールディングス(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)社長の小笠原日出男。
UFJ銀行の前身である旧東海銀行の頭取を務め、西川とは親しい間柄。
西川氏が一本釣りして内諾を得ていたが、突然、就任を辞退した。
「金融庁は竹中と対立関係にある与謝野の天下。三菱UFJグループの主導権を握る三菱が、竹中に協力するのは得策ではない
と判断した。
小笠原の辞退は、三菱が竹中離れを鮮明にしたということだ」
資金量200兆円で国内最大の金融機関となる郵貯銀の初代社長の座を射止めたのは三菱グループ。
与謝野=三菱が・・・竹中=西川に完勝した。
「政界と経済界が竹中離れを起こしているということです。
堀江貴文や村上世彰ら“勝ち組”の不正が次々と摘発された。
彼らを後押ししてきた福井俊彦日銀総裁や宮内義彦オリックス会長ら大物が窮地に立たされ、改革の旗を振った竹中氏の立場も苦しくなった」
竹中総務相の政治的影響力が低下したのは、後ろ盾である小泉純一郎首相の9月退任が迫ってきたからだ。
「竹中氏は小泉退陣と同時に失脚する。失脚するとわかっている人にいまさら義理立てすることもない」と財界ウオッチャー。
竹中総務相はもはやタダの人。
政治力の喪失をまざまざと見せつけたのが郵貯銀の社長人事
黙ってみている小泉の意図も良く分からない。所詮この程度の新年しかないのであろう。
小泉の靖国参拝。
日経新聞のみのスクープが今日、飛び回った。
富田朝彦・元宮内庁長官の記した昭和天皇のメモが出てきたのである。
ゾッ〜とするほどリアルである。「松岡、白鳥」
松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使を指した下りだ。
2人は、日独伊三国同盟の締結を推進し、そのことが日米開戦の大きな要因ともなった。
90年に公表された「昭和天皇独白録」の中で
松岡元外相について「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」と厳しく批判している。
同じ「A級戦犯」でも、木戸幸一元内大臣については、
「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」と語ってもいる。
昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、
「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」
ポーカーフェイスの小泉はソレを聞かれたインタビューでも我関せず。
だが好戦的なネオコンの売国奴たちの正体を暴かれている。
首相就任以来、中・韓の一衣帯水の隣国と摩擦続きで
首脳同士の話もできない危機的状況だが、経済交流は異常な伸びを示している。
この「政冷経熱」に悲鳴を上げ、このニュースに繋がったものと思われる。
小泉=安部に対するアンチ・メッセージが飛び出した形だ
富田 朝彦は2003(平成15)年11月13日没している。
北海道出身東大卒で海軍大尉
警察庁警備局長のときの長官は後藤田正義
1978(昭和53)年 宮内庁長官
この人は皇太子妃選びに異を唱えた唯一の人。
理由は小和田家には雅子の母方の祖父・江頭豊
が、雅子や恒夫婦と同じ 敷地内に住んでいる
にもかかわらず、妃決定以降、ただの一度もマスコミに姿を見せたり、声を聞かせたことはない。
まるで幽閉されているかの ように、である。
それもそのはずである。
周知のようにこの祖父・江頭豊こそ水俣病をタレ流した公害企業・チッソの社長をしていた人物であり、六年前、一旦 浮上していた小和田雅子の名前が妃候補からはずされたのも、その存在
が最大の理由だったといわれている。
「当時、宮内庁幹部も係累にチッソ関係者がいるのはまずいとはっきり口にしていた。
全国各地を回らねばならない皇太子夫妻が熊本に行けなくなる、とね。また当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬 に反対していたようで、一説には雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部 を
『皇居にムシロ旗がたったらどうするつもりか』と怒鳴りつけたとい われているほどです」(宮内庁担当記者)
実際、八八年のはじめ、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していたことを、後に富田自身も認めているほどだ。
雅子の父・小和田恒は、右翼・安岡正篤の弟子として知られている。
安岡が主宰する「而学会」に、義理のいとこ・江藤淳らとともに参加していた。
安岡は、池田勇人・大平正芳が率いた「宏池会」のなづけ親である。
92年6月15日成立したPKO法の仕掛け人は、外務次官小和田恒
小和田雅子は、ハーバード大経済学部卒、1986年東大法学部学士入学、外交官試験合格、87年外務省入省。88年英国オックスフォード大べリオールカレッジ大学院に留学、軍事問題の研究に携わっていたと言われている。
雑誌「フオーブス」93年3月号にも「オックスフォード時代には学部長のアダム・ロバーツ教授の研究室で、日本の国防産業や次期支援戦闘機選定問題(FSX問題)について語っていた」と出ている。
90年北米第二課に勤務。主な仕事は外国人弁護士問題、日米半導体交渉、独占禁止法問題である。いずれもアメリカから圧力のかかっているテーマばかり。92年12月皇太子妃に内定、93年1月19日皇室会議で皇太子妃に決定。
小和田雅子を皇太子妃に推したのは、柳谷謙介・元外務省事務次官、中川融・元国連大使、領之部量三・元外務省事務次官(東宮職参与)、山下和夫・元アルゼンチン大使(東宮侍従長)、団藤重光・元最高裁判事(東宮職参与)ら外務省人脈。
反対していた旧内務官僚系の富田朝彦・元宮内庁長官
チッソの件、海軍の軍人家系、恋人の問題などをどうクリアする宮内庁の苦悩を代表していた。
PKO法成立と小和田雅子・皇太子妃決定はまちがいなくリンクしている。
小和田恒にしても、マスコミは紳士ぶりや娘を皇室にやる父としての姿を描くだけで、PKO法、右翼とのかかわりは一切報道していない。
岩見隆夫「陛下の御質問 文藝春秋 発売日: 2005/05
によると、元総理大臣である中曽根康弘の靖国への公式参拝中止に際しては、このようなことがあったと言う
まもなく、富田朝彦宮内庁長官から中曽根のもとに、天皇の伝言がもたらされた。
「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった、よくやった、そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」
確かに昭和天皇が靖国について本当はどう思っていたのかを示す直接的証拠はこの当時は無い
1985年8月15日、当時の中曽根首相は首相としてはじめて靖国神社に“公式参拝”
中国からの抗議に配慮して翌年の参拝は中止更に、「日韓併合は韓国にも責任がある」と発言した藤尾文部大臣を罷免。
就任したばかりの土井たか子社会党委員長は代表質問で
「靖国神社の公式参拝をとりやめたことや藤尾前文相を罷免したことに敬意を表するが、これら一連の措置に首相の責任はないのか」と追求、中曽根はこう答えた。
「靖国問題ではその後いわゆるA級戦犯合祀の問題が惹起された。やはり日本は近隣諸国との友好協力を増進しないと生きていけない国である。
日本人の死生観、国民感情、主権と独立、内政不干渉は厳然と守らなければならないが、国際関係において、わが国だけの考え方が通用すると考えるのは危険だ。
アジアから孤立したら、果たして英霊が喜ぶだろうか。孤立して喜ぶのはどこか、外交戦略としても考える必要がある。
藤尾問題は、現職大臣の発言として部分的に妥当を欠き、日本の立場に重大な疑惑を生じる恐れがあると判断し、解任した。
遺憾な事態だったが、アジア各国に対する友好姿勢は一貫しており、変わることはない」
自民党歴代総理の最右翼の中曽根にしての国を憂えるための私情を殺して国の舵取りをしたことを示す語録である。
今の政治家は国会速記を読み起こすがいい。
ヘイワを希求するには、右翼も左翼もない。国を憂える心である。
安部の正体。
小泉政権の継承を公言する安倍官房長官で決まりかけている。
小泉首相に劣らずのボンボン3世議員で、幹事長に抜擢されるまで汗をかいた経験がない。
その危うさは世間知らずの無能というだけではない。
地元・下関での暴力団絡みのトラブルあり、統一教会系の集会に祝電を送ったとの報道あり、はたまたマルチ商法で捕まったインチキ宝石商とのつながりあり、村上世彰の交際あり……と怪しげな人脈が見え隠れする。
過去、現在、未来、空恐ろしき日本の政治になりやしないか。
マスコミ誘導で作られた総理のしでかしたことが教訓化されてないようだ。
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竹中平蔵総務・郵政民営化担当相と与謝野馨・金融担当相のつばぜりあいに決着がついた瞬間である。
与謝野金融相と旧東京三菱銀が、竹中総務相と西川社長が決めた人事をひっくり返したという図式。
当初は、持ち株会社の西川善文社長(前三井住友銀行頭取)が郵貯銀の社長を兼務するはずだった。
が、古巣の三井住友がメーンバンクの立場を利用して融資先企業に金融商品を押し付け販売していた問題で、金融庁から行政処分を受けた。
西川が頭取時代の不祥事で、郵貯銀の社長兼任の断念に追いやられた。
竹中総務相とコンビを組む西川社長が次に白羽の矢を立てたのが、元UFJホールディングス(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)社長の小笠原日出男。
UFJ銀行の前身である旧東海銀行の頭取を務め、西川とは親しい間柄。
西川氏が一本釣りして内諾を得ていたが、突然、就任を辞退した。
「金融庁は竹中と対立関係にある与謝野の天下。三菱UFJグループの主導権を握る三菱が、竹中に協力するのは得策ではない
と判断した。
小笠原の辞退は、三菱が竹中離れを鮮明にしたということだ」
資金量200兆円で国内最大の金融機関となる郵貯銀の初代社長の座を射止めたのは三菱グループ。
与謝野=三菱が・・・竹中=西川に完勝した。
「政界と経済界が竹中離れを起こしているということです。
堀江貴文や村上世彰ら“勝ち組”の不正が次々と摘発された。
彼らを後押ししてきた福井俊彦日銀総裁や宮内義彦オリックス会長ら大物が窮地に立たされ、改革の旗を振った竹中氏の立場も苦しくなった」
竹中総務相の政治的影響力が低下したのは、後ろ盾である小泉純一郎首相の9月退任が迫ってきたからだ。
「竹中氏は小泉退陣と同時に失脚する。失脚するとわかっている人にいまさら義理立てすることもない」と財界ウオッチャー。
竹中総務相はもはやタダの人。
政治力の喪失をまざまざと見せつけたのが郵貯銀の社長人事
黙ってみている小泉の意図も良く分からない。所詮この程度の新年しかないのであろう。
小泉の靖国参拝。
日経新聞のみのスクープが今日、飛び回った。
富田朝彦・元宮内庁長官の記した昭和天皇のメモが出てきたのである。
ゾッ〜とするほどリアルである。「松岡、白鳥」
松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使を指した下りだ。
2人は、日独伊三国同盟の締結を推進し、そのことが日米開戦の大きな要因ともなった。
90年に公表された「昭和天皇独白録」の中で
松岡元外相について「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」と厳しく批判している。
同じ「A級戦犯」でも、木戸幸一元内大臣については、
「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」と語ってもいる。
昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、
「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」
ポーカーフェイスの小泉はソレを聞かれたインタビューでも我関せず。
だが好戦的なネオコンの売国奴たちの正体を暴かれている。
首相就任以来、中・韓の一衣帯水の隣国と摩擦続きで
首脳同士の話もできない危機的状況だが、経済交流は異常な伸びを示している。
この「政冷経熱」に悲鳴を上げ、このニュースに繋がったものと思われる。
小泉=安部に対するアンチ・メッセージが飛び出した形だ
富田 朝彦は2003(平成15)年11月13日没している。
北海道出身東大卒で海軍大尉
警察庁警備局長のときの長官は後藤田正義
1978(昭和53)年 宮内庁長官
この人は皇太子妃選びに異を唱えた唯一の人。
理由は小和田家には雅子の母方の祖父・江頭豊
が、雅子や恒夫婦と同じ 敷地内に住んでいる
にもかかわらず、妃決定以降、ただの一度もマスコミに姿を見せたり、声を聞かせたことはない。
まるで幽閉されているかの ように、である。
それもそのはずである。
周知のようにこの祖父・江頭豊こそ水俣病をタレ流した公害企業・チッソの社長をしていた人物であり、六年前、一旦 浮上していた小和田雅子の名前が妃候補からはずされたのも、その存在
が最大の理由だったといわれている。
「当時、宮内庁幹部も係累にチッソ関係者がいるのはまずいとはっきり口にしていた。
全国各地を回らねばならない皇太子夫妻が熊本に行けなくなる、とね。また当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬 に反対していたようで、一説には雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部 を
『皇居にムシロ旗がたったらどうするつもりか』と怒鳴りつけたとい われているほどです」(宮内庁担当記者)
実際、八八年のはじめ、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していたことを、後に富田自身も認めているほどだ。
雅子の父・小和田恒は、右翼・安岡正篤の弟子として知られている。
安岡が主宰する「而学会」に、義理のいとこ・江藤淳らとともに参加していた。
安岡は、池田勇人・大平正芳が率いた「宏池会」のなづけ親である。
92年6月15日成立したPKO法の仕掛け人は、外務次官小和田恒
小和田雅子は、ハーバード大経済学部卒、1986年東大法学部学士入学、外交官試験合格、87年外務省入省。88年英国オックスフォード大べリオールカレッジ大学院に留学、軍事問題の研究に携わっていたと言われている。
雑誌「フオーブス」93年3月号にも「オックスフォード時代には学部長のアダム・ロバーツ教授の研究室で、日本の国防産業や次期支援戦闘機選定問題(FSX問題)について語っていた」と出ている。
90年北米第二課に勤務。主な仕事は外国人弁護士問題、日米半導体交渉、独占禁止法問題である。いずれもアメリカから圧力のかかっているテーマばかり。92年12月皇太子妃に内定、93年1月19日皇室会議で皇太子妃に決定。
小和田雅子を皇太子妃に推したのは、柳谷謙介・元外務省事務次官、中川融・元国連大使、領之部量三・元外務省事務次官(東宮職参与)、山下和夫・元アルゼンチン大使(東宮侍従長)、団藤重光・元最高裁判事(東宮職参与)ら外務省人脈。
反対していた旧内務官僚系の富田朝彦・元宮内庁長官
チッソの件、海軍の軍人家系、恋人の問題などをどうクリアする宮内庁の苦悩を代表していた。
PKO法成立と小和田雅子・皇太子妃決定はまちがいなくリンクしている。
小和田恒にしても、マスコミは紳士ぶりや娘を皇室にやる父としての姿を描くだけで、PKO法、右翼とのかかわりは一切報道していない。
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によると、元総理大臣である中曽根康弘の靖国への公式参拝中止に際しては、このようなことがあったと言う
まもなく、富田朝彦宮内庁長官から中曽根のもとに、天皇の伝言がもたらされた。
「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった、よくやった、そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」
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1985年8月15日、当時の中曽根首相は首相としてはじめて靖国神社に“公式参拝”
中国からの抗議に配慮して翌年の参拝は中止更に、「日韓併合は韓国にも責任がある」と発言した藤尾文部大臣を罷免。
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「靖国神社の公式参拝をとりやめたことや藤尾前文相を罷免したことに敬意を表するが、これら一連の措置に首相の責任はないのか」と追求、中曽根はこう答えた。
「靖国問題ではその後いわゆるA級戦犯合祀の問題が惹起された。やはり日本は近隣諸国との友好協力を増進しないと生きていけない国である。
日本人の死生観、国民感情、主権と独立、内政不干渉は厳然と守らなければならないが、国際関係において、わが国だけの考え方が通用すると考えるのは危険だ。
アジアから孤立したら、果たして英霊が喜ぶだろうか。孤立して喜ぶのはどこか、外交戦略としても考える必要がある。
藤尾問題は、現職大臣の発言として部分的に妥当を欠き、日本の立場に重大な疑惑を生じる恐れがあると判断し、解任した。
遺憾な事態だったが、アジア各国に対する友好姿勢は一貫しており、変わることはない」
自民党歴代総理の最右翼の中曽根にしての国を憂えるための私情を殺して国の舵取りをしたことを示す語録である。
今の政治家は国会速記を読み起こすがいい。
ヘイワを希求するには、右翼も左翼もない。国を憂える心である。
安部の正体。
小泉政権の継承を公言する安倍官房長官で決まりかけている。
小泉首相に劣らずのボンボン3世議員で、幹事長に抜擢されるまで汗をかいた経験がない。
その危うさは世間知らずの無能というだけではない。
地元・下関での暴力団絡みのトラブルあり、統一教会系の集会に祝電を送ったとの報道あり、はたまたマルチ商法で捕まったインチキ宝石商とのつながりあり、村上世彰の交際あり……と怪しげな人脈が見え隠れする。
過去、現在、未来、空恐ろしき日本の政治になりやしないか。
マスコミ誘導で作られた総理のしでかしたことが教訓化されてないようだ。
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