アート・シーン

2006年7月31日
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小野正育、檀ふみの司会になって初めてのローカル局・青森からの30日の新日曜美術館
開館したばかりの白一色の青森県立美術館
縄文の三内丸山遺跡のそばに建設されたとの説明。
会館の特別展示の地元出身の版画家、棟方志功は近くの墓地に眠る
ここに先のサミットの舞台のサンクトペテルブルクの空気が蘇った。
色彩の魔術師と言われるロシア生まれのシャガールの特別展示である。
 巨大な絵は謎めいている4点セットだ。
それぞれが縦9メートル、横15メートル。日本公開のシャガールで最大らしい。
米国に亡命時代、バレエ団の舞台の背景画に描かれた
青森県が「幻想」など3点を12年前に15億円で購入し、1点は米国から借りている。
絵が収まる大空間を持つ美術館を約112億円で建設した。
県の赤字財政が心配だが、絵に劣らずに、話は大きい
「わだばゴッホになる」と、ゴッホに憧れた志功の名品が、同館に常設展示されている。
ゴッホではなく、シャガールとの初競演である
シャガールは生涯を通じて放浪し、遠い祖国・ロシアを思い続けた。
《写真をとらせて頂きたいのですが》
《いいとも、暗すぎはしないか…》

矢内原i伊作は日夜、ジャコメッティを撮り始めた。
アトリエで、カフェで、故郷の村で。
カメラはキャノンWSb、50年代日本のカメラ工業力を世界に問う最高機種であった。
人生の一時期、たまたまこの類い希な人物に出会い、そのモデルをつとめることになった矢内原は、その言葉を手帖に克明に書きとどめた。
『アルバム』は、その文字による記録に対し、写真による記録といえよう。何を記録しようとしたのか。
矢内原は言う、
〈感動があれば、それを記録し表現するために注意深く撮影する。そしてまた感動を表現するために被写体を注意してみれば、それによって対象がよりいっそうよく見えてくる〉。
ナチスの手がパリまで押し寄せてきたのでアメリカに亡命した。
「魂の中の国、それだけが私の祖国」という詩を残している。
その大作がたどり着いたのが津軽
志功が愛した青森ねぶた祭りは2日から始まる。
笛と太鼓のねぶた囃子は、巨匠たちがふるさと自慢で魅了する舞台を彩るに違いない。
地上デヂタテで活気ついてる業界もあるようだ。放映されるソフト産業がカギである。
テレビ゛を見てると時間の経過が早すぎ何にもできない。
「世界遺産や地球の自然とえりすぐりを見る。
『日曜美術館』は1976年4月にスタートした。
『日曜美術館』での第1回の放送は、臼井吉見(文芸評論家)を迎えた「私と碌山・荻原守衛」だった。
焼き物から世界一通の放映は済んだ気がする。
1997年4月から『新日曜美術館』となる。
2003年度から2005年度の司会は山根基世アナウンサーとはな。
おしゃべりがなんとなくぎこちなさのはなにもどうにか慣れたら今年降板。
22時からの他局ウルルンでモンゴルとは一味違うトルコの砂漠の放牧生活のテントを経て放映してた。
たくましき姿を見てさすが!と共鳴。このヒトも大きなヒトになりそうだ。中山千夏かな。
これまで2002年度いっぱいまで司会だった石澤アナウンサーは、土曜夜の「世界美術館紀行」でみた。。
ちなみに、過去の司会アナウンサーは「日曜美術館」時代からも含めれば
「国井雅比古・加賀美幸子・桜井幸子・石澤典夫」ら。
サブ司会者として「浜美枝・太田治子・真野響子・中村幸代・大岡玲・俵万智・西村由紀江・森口瑤子・緒川たまき」らがあげられる。
今日の檀ふみは白のスーツで建物に合わせていた。
友人の阿川佐和子のスープ・オペラ新潮社刊は山本周五郎賞をもう一歩を宇月原清明に奪われ残念至極であったろう。
読書案内でデモ紹介すぬやも知れない。
残り15分アートシーンで檀ふみの紹介する全国の美術ニュースのコーナーのテンポはスローで声優でも十分である。
ラジオ深夜便でやったら丁度良い。

どなた様にも
  ブログをお借りいたしまして、

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