ガソリン価格

2006年8月25日
こうもマスコミに生活の全てが政治も含めなびく腰の定まらぬ日本があっただろうか
先ほどのクイズミネオリラに武部幹事長が浅香美千代の応援として出てみのもんたに媚びを売っている。
自分が出てやればいいのにあのうすらバ○は、知識も遊び心もなく恥の上塗りゆえ自分は出演しない。。
石原慎太郎津京都知事のノーといえない国が新鮮にうつるる。
この国は自分の意見をいえない国になっている。。
数少ない言論人に俵孝太郎がおり、辻斬り説法との記事欄がある。
しっかりものをいっている。
同感である。
こういうことだ。
ガソリン140円台は本当に高いか
 ガソリン価格が急ピッチで上昇している。いうまでもなく原油価格暴騰の反映だが、ここしばらく円高傾向だったため、日本では影響が抑制されてきた。
 しかし、円が1ドル=110円台の狭い幅に張りつくようになって、製品価格への転嫁が一気に顕在化した。原油高は一部の原材料費だけでなく物流コストにも及ぶし、便乗値上げの口実にもなりうるから、軽視できない。
 とはいえ、ガソリン1リットル、高くなったといっても140円台。
ペットボトル入りの茶、コーヒー、ジュース類はおろか、水より安い。
 中東から海路はるばる運んできた原油を精製し、街のスタンドに届け、店員が給油するだけでなく、クルマを拭くサービスまでしてこの価格なのだから、そう高いとは思えない。
高いというなら、仕事はともかく、遊びでクルマを使わなければいいだけの話だ。
 ガソリンが高くて困る、これじゃ気軽にクルマにも乗れない、と気色ばむ若者やオバハンの運転席にペットボトルがあるのを見ると、阿呆か、と思わざるをえない。
 輸入が再開され、先週から市中に出回りはじめたアメリカ産牛肉をめぐる反応も、似たようなもんだ。食うも食わぬも本人の選択だが、アメリカ産はコワイからといって和牛やオーストラリア産にこだわっても、付け合わせの野菜や、肉だけじゃ身体によくないと考えてとったサラダの素性はどうか。
農薬漬けの中国産だったら、そっちのほうがよほどコワイはずだ。
 世の中の仕組みは、そう単純にはできていない。
ひとつの事象を見るときでも、周辺のたくさんの多くの要素を多面的にとらえて、バランスよく判断しないと、マンガか漫才になってしまう。
いまのマスコミはテレビを筆頭に、マンガ、漫才が横行している。
主張はわかるが、ガソリン価格を形成してる情況の分析がないのは残念。
あるいは今後の展望がない。
一説には、「ピーク・オイル」を考慮すると ガソリンが秋には1リットル170円になるという。
ドンドン上がる原油高は一過性のものではなく、どうやらもう下がらない可能性が出てきた。
ピーク・オイルの恐怖である。
 原油高の原因として
(1)中東情勢の不安定
(2)原油市場への投機
(3)中国など新興工業国の需要増
であれば中東が安定し、中国の成長が一段落すれば原油価格は下がるということになるが、そうはならない。
 深刻なのは2兆バレルといわれる世界の石油埋蔵量の半分を使い切ってしまい、今後は石油枯渇に向かうということだ。
売るべき石油がなくなれば当然、価格は高騰する。
これがピーク・オイルである。
欧米では真剣に論議されているピーク・オイルだが、なぜか日本では関心がなく、この半年で全国紙各紙に出た「ピーク・オイル」の記述はたった3件である。
 だから「まだ半分もあるじゃないか」とか「これからも油田は発見されるはずだ」と思われるかもしれない。
しかし、発見される油田量は1964年が最高でずっと減少中。
しかし、生産量は毎年増加している。しかも、既存の油田は相当に老朽化している。
「サウジのガワール油田は、世界最大の1日当たり450万バレルを産出し、サウジの生産量の6割を誇っています。
しかし、すでに自噴する力を失っていて、加圧のために1日700万バレルもの海水を油層に注入して原油を取り出している状態です」
 なにやらバイアグラを飲んで頑張っているオトーサンみたいだが、60年代に発見された油田は似たり寄ったりの状況なのである。
 大手石油メーカーは中東以外の油田や代替エネルギーの開発を進めているが、掘れば噴き出す中東と違って、海底油田や小規模油田はコストがかかる。
代替の「オイルサンド」にしても、砂とタールを分離して精製するには、製品化した石油と同じくらいのエネルギーが必要だからベラボーな価格でないと儲けが出ないのである。
 専門家の間では2010年の前にもピーク・オイルが来ると予測されている。
そうなれば、石油の9割以上を輸入する日本では電力、運輸、化学工業だけでなく石油漬けになっている農業などが打撃を受け、産業・社会構造が変わってしまう。いまから対策を取らないと大変なことになる。
 政府が放置すれば、油上の楼閣・ニッポンもあと数年ということだ。
どうすればいいのか。
文明の融合であろう。
拡大再生産の奪い合う西洋文明から生活重視の助け合いの東洋文明への生き方しかない。
マスコミに左右されない自己の生き方=自己の文明を持つことだ。
もったいないの思想をオイル漬けの生活を見直し自立した倹約の道に戻すことだ。
エネルギーの国家戦略がない限り、個々人が推し進めるしかない。
様々な取り組みがあろう。、
太陽光発電はまさに自己の生き方を決めるエネルギー問題の基本である。
九電等の電力業者にたよらず、太陽の恵みで電力を作り使う、
あまったものは、他人におすそ分け。
沸き起こる家庭内議論があっていい。
九州全土に施工実績のある私共アパデン宮崎が廉価施工を実現してやろうとの意気込み。
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