名ずけ親
2006年10月20日「プチッ!」
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
一日一回ワン・クリック!。
・よ・ろ・し・く!。( ̄。 ̄;)フゥ
来年のことを言ったらだれかさんが笑うんだそうだが、夢を持たねば拝金思想でまみれた社会は生きてはいけない。
昨日のブログでのことの報道がなされた。
来年の2007年9月に親子ダブル襲名をする落語家・林家木久蔵(69)、林家きくお(31)が
19日、東京・内幸町の帝国ホテルで会見。
きくおが真打ちに昇進するにあたり、父親の名前である「木久蔵」を2代目として襲名。
名跡を“生前贈与”した木久蔵は同時に新しい名前になる。
結局は時節柄、イベントとして盛り上げるために、全国のファンから公募で決着
改名のきっかけは来年70歳の“再出発”と息子の成長を願って。
「(木久蔵の)カラーができていて、それに合わせる部分もあった。
時代小説を書いたり、絵を見せながら落語をしたい」と意気盛んのななしの権兵衛さん。
与太郎噺の落語は本来好まない。
聞くに耐えない程度の事で人生訓の含蓄のインパクトが弱い。
もともと浪曲講談から落語に入ったゆえの傾向で人情話を大ネタとしてもちネタになりえない前座噺だからである。
技量卓越した滑稽噺のお家芸柳家の総領。五代目小さんともなれば一服の掛け軸。十分に聞ける。
三遊派が人情、滑稽は柳家は通人のおはなしであり、特別区分けがあるわけではない。
さすがに明治初期の二代目小さんは山藤楽三郎と言う武士たる宮崎の人。
その出自から傘碁、目黒のサンマなどを得意とした。
三代目にいたっては夏目漱石にして
小さんの噺が聞け同じ空気が吸える喜びとまで言わせしめたほどだ。
人情噺は当然のネタではある。
それでも滑稽噺はどうにも・・おのぼりさんで聞くには時間の無駄。
さりとて、そうでもないのが落語すきもの。
昭和の爆笑王の林家三平は上野の小山の向こうの根岸にいた。
俳聖・子規旧宅はリンポハンで近くにある。
三平堂として一般に公開されてるが入館第一号は・・・何を隠そう・・・かくゆうせきやんナンである。
エッヘン!・・えばってら〜
そこで青天の霹靂、ビックリした、
ギャグの連続は総てセンスや曼荼羅総てのものに書きさりげなく使ってたのである。
バカ・ギャグでなく林家正蔵の怪談噺、人情噺がしたかったのである、
キャラができてしまい、努力して
♪歌って・・踊って・・♪・・と
テレビの申し子ゆえ袴姿で演じされていたのである。
脳溢血で倒れ、不二鳥の如くの復帰高座はNHKで報じた。
ナント源平盛衰記、の大ネタ
祇園精舎の鐘の音、諸情無常の響きあり・・・
と演りだしたから驚いた。・・・ところがダメ・・
お客さんの途中入場してきたんだろう。
「あっ!いらっしゃい!今おミエになると思ってました!・・」いつものサービス精神
寄席ならともかくテレビ収録の独演会である。
談志なら高座から降りてたであろう。
本当にバカなNHK入館警備に奴!
人情噺のハズの三平は総て持っていった
親子で伝承される与太郎芸木久蔵が残るのはめでたしめでたしとでもしとこうか。
70歳ねぇ〜芸風からズーツと年下に観ていた。
新しい名前について木久蔵は
「皆さまから明るくパーッとした大きな名前をちょうだいしたい。その中からいいやつを選びます。林家将軍様や林家テポドンはやめてください。(選ばれた人は)木久蔵ラーメン1年分をプレゼントします」。
きくおもNGワードとして“ラーメン亭バカ馬”や“林家木久蔵本店”などを挙げた。
新しい名前は日テレ系「笑点」の来年の正月特番で発表する予定。
父親が一代で大きくした名前を継ぐきくおは「30分くらい考えて、まあいっかと。
父の存在も他人のように見えないんで…。自分のことのように精いっぱいにやっていきたい」とまるで“与太郎”のコメント。
父親から「いや〜ん、ばか〜ん、ダンス」の完全マスターを求められており「ちゃんとおけいこします」と落語以上に気合満点だった。
◆林家木久蔵「新しい名前」公募要綱
〈1〉日テレホームページから応募(http://www.ntv.co.jp/sho−ten/)
〈2〉はがきで応募 〒105−8714 日本テレビ 笑点「木久蔵の新しい名前」係 応募詳細は22日放送の「笑点」で発表。
(スポーツ報知) - 10月20日
お笑い芸の世界には「客いじり」という言葉がある。
舞台からお客にからんで笑いをとる芸で、邪道。
テレビのバラエティー番組は、素人相手や芸人同士の「いじり」芸で成り立っているともいえる
芸ではない。
木久蔵は芸術家で詳細は昨日書いた通り。
絵も文章もいい読書家
読書に季節には長編「月と六ペンス」がいい。
「月」は夢と理想の、「六ペンス」は現実の表象という
サマセット・モームは、画家ポール・ゴーガンの生涯に想を得立とう言うさすがに英国の作家
趣味で絵筆をとる日曜画家だったフランス人のゴーガンは株式の仲買人が本業
楽園を求め、「月」を追い、南太平洋タヒチ島に移り住んだのは画業に専心して9年目、42歳
のとき。
東京・上野の東京都美術館での「大エルミタージュ美術館展」
ゴーガン作「果実を持つ女」の前には幾重にも人垣があるそうだ。
生前は名声と無縁であった画家の作品
に人々が心ひかれるのは、絵のなかを緩やかに流れる時間を眺め、文明社会の忘れ物を思い出すからだろう。
ゴーガンは現代人にとっても人間を作る人間、修理する人間であるのかも知れない
夢を追うことの大切さは知りつつも、目先の「六ペンス」を生きることに心せかれる日常からはなかなか自由になれない。
孤高の人が残した「月」のかけらは、ほろ苦い薬でもある。
「人間を作る人間」――島の人からはそう呼ばれたと、彼のタヒチ紀行「ノア・ノア」(岩波文庫)
画家という職業を知らなかった島の人々の目には、絵筆を用いて「人間」をつくりだす風変わりな人間と映ったのだろう
読売編集誌の言葉を借りてのこと。
お許しいただきたい。
小林一茶は純粋に親子を読み上げたが爺のセキヤンの趣旨は違う。
名月を とってくれろと 泣く子かな.
ゴーガンの 果実食べたい 秋の空 せきやん
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昨日のブログでのことの報道がなされた。
来年の2007年9月に親子ダブル襲名をする落語家・林家木久蔵(69)、林家きくお(31)が
19日、東京・内幸町の帝国ホテルで会見。
きくおが真打ちに昇進するにあたり、父親の名前である「木久蔵」を2代目として襲名。
名跡を“生前贈与”した木久蔵は同時に新しい名前になる。
結局は時節柄、イベントとして盛り上げるために、全国のファンから公募で決着
改名のきっかけは来年70歳の“再出発”と息子の成長を願って。
「(木久蔵の)カラーができていて、それに合わせる部分もあった。
時代小説を書いたり、絵を見せながら落語をしたい」と意気盛んのななしの権兵衛さん。
与太郎噺の落語は本来好まない。
聞くに耐えない程度の事で人生訓の含蓄のインパクトが弱い。
もともと浪曲講談から落語に入ったゆえの傾向で人情話を大ネタとしてもちネタになりえない前座噺だからである。
技量卓越した滑稽噺のお家芸柳家の総領。五代目小さんともなれば一服の掛け軸。十分に聞ける。
三遊派が人情、滑稽は柳家は通人のおはなしであり、特別区分けがあるわけではない。
さすがに明治初期の二代目小さんは山藤楽三郎と言う武士たる宮崎の人。
その出自から傘碁、目黒のサンマなどを得意とした。
三代目にいたっては夏目漱石にして
小さんの噺が聞け同じ空気が吸える喜びとまで言わせしめたほどだ。
人情噺は当然のネタではある。
それでも滑稽噺はどうにも・・おのぼりさんで聞くには時間の無駄。
さりとて、そうでもないのが落語すきもの。
昭和の爆笑王の林家三平は上野の小山の向こうの根岸にいた。
俳聖・子規旧宅はリンポハンで近くにある。
三平堂として一般に公開されてるが入館第一号は・・・何を隠そう・・・かくゆうせきやんナンである。
エッヘン!・・えばってら〜
そこで青天の霹靂、ビックリした、
ギャグの連続は総てセンスや曼荼羅総てのものに書きさりげなく使ってたのである。
バカ・ギャグでなく林家正蔵の怪談噺、人情噺がしたかったのである、
キャラができてしまい、努力して
♪歌って・・踊って・・♪・・と
テレビの申し子ゆえ袴姿で演じされていたのである。
脳溢血で倒れ、不二鳥の如くの復帰高座はNHKで報じた。
ナント源平盛衰記、の大ネタ
祇園精舎の鐘の音、諸情無常の響きあり・・・
と演りだしたから驚いた。・・・ところがダメ・・
お客さんの途中入場してきたんだろう。
「あっ!いらっしゃい!今おミエになると思ってました!・・」いつものサービス精神
寄席ならともかくテレビ収録の独演会である。
談志なら高座から降りてたであろう。
本当にバカなNHK入館警備に奴!
人情噺のハズの三平は総て持っていった
親子で伝承される与太郎芸木久蔵が残るのはめでたしめでたしとでもしとこうか。
70歳ねぇ〜芸風からズーツと年下に観ていた。
新しい名前について木久蔵は
「皆さまから明るくパーッとした大きな名前をちょうだいしたい。その中からいいやつを選びます。林家将軍様や林家テポドンはやめてください。(選ばれた人は)木久蔵ラーメン1年分をプレゼントします」。
きくおもNGワードとして“ラーメン亭バカ馬”や“林家木久蔵本店”などを挙げた。
新しい名前は日テレ系「笑点」の来年の正月特番で発表する予定。
父親が一代で大きくした名前を継ぐきくおは「30分くらい考えて、まあいっかと。
父の存在も他人のように見えないんで…。自分のことのように精いっぱいにやっていきたい」とまるで“与太郎”のコメント。
父親から「いや〜ん、ばか〜ん、ダンス」の完全マスターを求められており「ちゃんとおけいこします」と落語以上に気合満点だった。
◆林家木久蔵「新しい名前」公募要綱
〈1〉日テレホームページから応募(http://www.ntv.co.jp/sho−ten/)
〈2〉はがきで応募 〒105−8714 日本テレビ 笑点「木久蔵の新しい名前」係 応募詳細は22日放送の「笑点」で発表。
(スポーツ報知) - 10月20日
お笑い芸の世界には「客いじり」という言葉がある。
舞台からお客にからんで笑いをとる芸で、邪道。
テレビのバラエティー番組は、素人相手や芸人同士の「いじり」芸で成り立っているともいえる
芸ではない。
木久蔵は芸術家で詳細は昨日書いた通り。
絵も文章もいい読書家
読書に季節には長編「月と六ペンス」がいい。
「月」は夢と理想の、「六ペンス」は現実の表象という
サマセット・モームは、画家ポール・ゴーガンの生涯に想を得立とう言うさすがに英国の作家
趣味で絵筆をとる日曜画家だったフランス人のゴーガンは株式の仲買人が本業
楽園を求め、「月」を追い、南太平洋タヒチ島に移り住んだのは画業に専心して9年目、42歳
のとき。
東京・上野の東京都美術館での「大エルミタージュ美術館展」
ゴーガン作「果実を持つ女」の前には幾重にも人垣があるそうだ。
生前は名声と無縁であった画家の作品
に人々が心ひかれるのは、絵のなかを緩やかに流れる時間を眺め、文明社会の忘れ物を思い出すからだろう。
ゴーガンは現代人にとっても人間を作る人間、修理する人間であるのかも知れない
夢を追うことの大切さは知りつつも、目先の「六ペンス」を生きることに心せかれる日常からはなかなか自由になれない。
孤高の人が残した「月」のかけらは、ほろ苦い薬でもある。
「人間を作る人間」――島の人からはそう呼ばれたと、彼のタヒチ紀行「ノア・ノア」(岩波文庫)
画家という職業を知らなかった島の人々の目には、絵筆を用いて「人間」をつくりだす風変わりな人間と映ったのだろう
読売編集誌の言葉を借りてのこと。
お許しいただきたい。
小林一茶は純粋に親子を読み上げたが爺のセキヤンの趣旨は違う。
名月を とってくれろと 泣く子かな.
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