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十三夜の夜・・・・アレ?これなんだったのかな〜
、ビーーーーーと大きな声で鳴く。
そうよ、そうさぁなぁ〜
ムシの総称たる意味にも使われてる。ケラ
昔から「おけら」と呼ばれて親しまれている。
地味といえばとても地味なのに、
日本語使用頻度が高い虫。
動物との違いの蔑む言葉を足の本数で言う差別的要素もこめている場合さえあるよつ
虫をさげすむときにまた比ゆ的に、この!虫けらと接尾語にするほどだ、
「おけらになる」は
賭けで負けて無一文になった状態の常套句とある。
コリャァ〜どうにも具合が悪い。
それにしても、無一文がなぜケラなのか。。
ケラが前脚を広げた姿が、お手上げのポーズに似ているからという。
図鑑から
大きさ 3cm前後
時 期 4-10月
分 布 北海道・本州・四国・九州・沖縄
とある。
ァ40年ぐらいみてないしなァ〜
田植えの準備でよく出くわしたものだ。
茶褐色のコオロギに近い昆虫。
体の表面には細かい毛がはえていてビロード状になっている。
後翅は腹端を越えるほど長く、飛ぶこともできる。
畑・草原の地中で暮らしていて、ミミズや植物の根などを食べる。
オス、メスともに鳴く
ナルホド百聞は一見にしかず、そのようであった。
「けらの水渡り」ということわざもある。
何かに首を突っ込むと熱中するが、すぐ飽きてしまい長続きしないことを螻蛄(ケラ)の水渡りという
最初は熱心にやっても途中で投げ出す場合のたとえである。
これ?泳げるの?
よくやって試したものだ
もぐらは水攻めで駆除した。
ケラはモグラと同じで田んぼの水守りのあぜを壊す。
ムシのクセにモグラそっくりのところも有る。
ケラを水中に放り投げた。
もともと土中生活者のケラは
必死で生き延びようと泳ぐ。
土を掘るのに適した前脚は本来水をかくには不向きに違いないハズだ。
やがてケラはあきらめて泳ぐのをやめる。
正確には力尽きる
田んぼの中央に向けたケラは力尽きる。
つくづく気の毒な虫である
江戸っ子桂小金治師匠(1926年10月06日生まれ)80歳に「ケラの水渡り」との』著書がある
昭和43年読売から出ている。
昭和22年桂小文治師匠に弟子入り、前座名桂小竹。24年二つ目に昇進、桂小金治となる。
落語界の将来を託されてたのに27年映画界入りする。
30年テレビに進出・・・ 
ドラマ、司会等で幅広く活躍する。
41年“怒りの小金治”の異名をとった「アフタヌーンショー」が始まる。(48年に終了)
50年「それは秘密です」の司会で“涙の小金治”にかわったが常にひたむきな姿はかわらず続いている。
この涙の御対面コーナーはその後、19年間の長きにわたって続き、平成6年9月に終了した。
数年前に落語家に復帰した。
読売編集手帳氏が紹介してる。
桂小金治師(80)は前座のころ、柳家小三治=後の五代目小さん師匠の自宅へ毎日稽古)に通った。
当時の思い出を著書「ケラの水渡り」に書いている
弟子でもない若者に懇切に噺を教え、終わると、白いご飯を食べさせてくれた。
終戦から数年、まだ食糧難のころで、小金治さんは毎度の銀シャリが楽しみであったという
ある日、いつものように満腹になって帰る途中、忘れ物に気づいて戻ると
、小三治=五代目小さん夫妻が子供と昼飯を食べていた。
   サツマイモだった。
小金治さんはとまどい、胸をつかれ、帰りの電車で泣いたという
申し訳なさに、もう稽古に通うのをやめようと思い、師匠の桂小文治に相談した。
師匠は言った。
「大バカやな、お前は。小三治=五代目小さんはお前に落語を教えているんやないで。落語ちゅうもんを、この世に残しているんやないか」と
教わり、芸を受け継いだ人がやがて、おのが食を削ってまで次の世代にそれを引き継ぐ。
落語に限るまい。
伝統芸能は、伝統文化は、数知れない人々が「志」の細い糸をつないでここまできたのだろう
五代目小さんさんが87歳で亡くなって4年、今年は長男三語楼(59)が六代目を継ぎ、襲名披露の興行がつづいている。
あの日、サツマイモの食卓にいた幼い子供だろう。
芸の糸、志の糸の末永かれ。
太陽光発電も似たところがある。
どの世界もそうであろう。
ちなみに五代目小さんは色紙に狸を良くした。
その色紙がゆかりの人宅にある。
宮崎高鍋町雲雀山(ひばり)に古藤宅がある。
全国でも珍しき造園大学があり、都城への移転でゆれてるところの近くだ。
玄関の飾り棚に五代目小さんのおなじみの色紙を見つけた。
二代目小さんは延岡藩の武士・古藤家の出。
ここはゆえあって引っ越してきたその古藤宅=二代目小さんの孫である。
落語は江戸のお遊びで町内ごとにあった。
噺は毎夜連続の続き物であり、それを一席読みきりの今の寄席のスタイルにしたのは宮崎の人二代目小さん
明治10年ごろの頃に東京におのぼりさんが増えたゆえの大改革であった。
柳家は落語家の最大勢力を誇る。
その柳家の大叔父が将来を嘱望されてた小竹であった、
数年前落語界に先祖帰りをした。この間の落語界の損失は大きい。
おかげで、NHK「ポンポン大将」なる深川あたりを背景にした渡船の船長さんのテレビが見れた。
記録を見ると小品盆栽も愛した中村是好も名を連ねていた。
放映日 1960/09/04〜1964/04/05
放映時間 18:00〜18:25
放映曜日 日曜日
高座でなくみんなテレビから桂小金治を知ってるはずだ、
ケラの水渡りの著書はネーミングの自虐性からしてよく拾ったものだ
ケラは東京にもいたんであろう。そのころなら。
立川談志も柳家を飛び出し、芸より血が芸名を受け継ぐ嫌いの落語界のようだ
林家正蔵は小朝か正雀が継ぐべきでファンは理解できない。
ケラを長年見てなかったが、まさか幻聴ではなかろう。
十三夜は人生を照らしてくれる。

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コメント

せきやん
せきやん
2006年11月4日18:25

ワッッハッ・ハツツ・ハッ・(笑いがとまらない)
桂小金治師の禁酒番屋の落語より面白いコメント!
大体長すぎるヨ!せきやんのブログ
(自分で言ってリャァ世話ねェ)
セックスは・・・
バッカ!モン!
淑女に下ネタ、フルな!
談志、円鏡以下じゃァ〜ねェか〜

春紫苑
春紫苑
2006年11月4日19:01

だって…だって…ダッテ…長いんだもん…

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