メリー・クリスマス

2006年12月24日
天声人語に太宰の短編「メリイクリスマス」の紹介が載った。
新宿の文壇バー「風紋」の主人がモデルであることを教えていただいた。
上京の折は、歌舞伎町一丁目をやり過ごし、
新宿ゴールデン街のバーを訪れるが二丁目が逸話の場所だったとは知らなかった。
作家水上勉には行方知れずの子があった。
「信濃デッサン館」「無言舘」のオーナー窪島誠一郎である。
父の存在を知り、飲食店には見切りをつけ、それを元手に画商に転身し父との体面に備えた。
舞台は現在の明治大学和泉校舎の前を走る甲州街道
横断歩道の手前に今は「キッドアイラックホ−ル」というギャラリーと演劇等の貸しホールが建っている。
以前は、「塔」という喫茶店。
オーナーは180センチと豊な長身の弱冠20歳そこそこの窪島誠一郎
博識で洒脱な語り口に実父を探す苦悩の兆しは見受けられない。
昼は学生、夜は杉並の文化人の溜まり場、深夜はトラックの運転手さん達に軽食を供した。
異色の経営スタイルが大受けして大繁盛。
あるとき、父が有名作家にナッていることを突き止める
窪島は「明大前物語」の小説にそのことを書いた。
父子の30数年ぶりの対面のことも表されている。
「涙の30年ぶり、親子対面」という大きな見出しの朝日新聞に記憶がある。
子と作家の水上勉さんが手を取り合っている写真
、これこそ青天の霹靂の言葉しかない。
かって、その「塔」に通ってたのが「風紋」の主人・林聖子
新聞より引用する
終戦の翌年の60年前に、作家の太宰治からクリスマスプレゼントをもらった母と娘がいた。
それは、ふたりをモデルにして太宰が書いた短編小説「メリイクリスマス」の載った雑誌「中央公論」。

 小説は、主人公の笠井が東京郊外の本屋で久しぶりに娘と出会うところで始まる。
娘の母親は笠井にとって「思ひ出のひと」のひとりで、成長した娘の姿はまぶしく映った。
娘は、はじめは母は健在だと言うが、笠井を案内して家の前まで来た時に突然泣き出し、空襲で亡くなったと告げる。

 ふたりは、母をしのんでしばらく店で飲む。
居合わせた酔客が、通りを行く米兵に向かって出し抜けに叫ぶ場面で小説は終わる。
「ハロー、メリイ、クリスマアス」。
後味に敗戦の苦さも感じられる。

 小説で娘の「シヅエ子ちゃん」として出てくるのが、当時18歳だった林聖子さんだ。
実際には、母の富子さんは終戦から3年後に亡くなった。
やがて、聖子さんは新宿に酒場「風紋」を開く。
今月、45周年を迎えた。風に吹かれて姿を変えてゆく風紋のように、時代は移り変わった。
「あっという間でしたね」と聖子さん。
 60年前、太宰は着物の懐から雑誌を取り出して言った。

「これは、ぼくのクリスマスプレゼント」。

その時の、ひどくまじめな顔は、今も鮮やかに胸に残っているという。

失った時代・生活に、二人の子らを一目みたいと懇願するが、持ち前の頑固さでかなわぬ夢である。
「メリー・クリスマス」
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