参議院選挙

2007年2月8日
アメリカではベーカー元国務長官がイラク戦の撤退を打ち出し
アメリカ民主党も動き出している。
今国会で議論しなければならないことの第一義である。

久間防衛大臣が口火を切ったイラク戦争に対するアメリカの過ち。
麻生外務大臣はイラク戦に対する幼稚な発言とラムズフェルド国防長官を名指しで非難。
武士道の国に政治家はいた。
他国に恥じ入る必要はなくなった。

ところが国会は政争の場で倒閣運動が野党の方針のようでこれらの問題に頬被り。
平和ボケの能天気はどうしようもない。

今こそ経済・防衛のあり方にアメリカをどう位置づけるのか
国家百年を視座の議論が必要な救国・国難のときだ。

9日からドイツで始まるサミットはエネルギーと「円安」らしいが困ったものだ、
日本のみが金利安が続いていては非難も起きよう。
払われない利息は格差の一因でもある。

どうにも外圧によらなければ何にもできない国のようだ。
日銀総裁が与党から辞任の首根っこをつかまれてるゆえ自由なる金融政策がないからだ

急に20度を超え、春がはずんでいる。
何かに挟まって・(・スプリング・ハズ・カム)とあわてているが、
個人的にはパソコンを借りて書いているお粗末さ。お寒い状態で時間のない中、考察してみたい。
この国はどうなっていくのか。
今年早々旋風を巻き起こした宮崎の風から解きほぐしたい。

日本の官僚制度は世界有数の難関さで語られ、それを兼ね備えてることは世界の認めるところ。
国家の品格である。

その選民のコースを歩くには養成機関たる東大を目指すことだ。
その東大生一人を生み出すには
本人の努力はもちろん家族・一族を挙げての社会的行動がいる。
幼少期よりの競走を勝ち抜いたもののみが手に入れるステータスだ。
中央官庁にいるにはさらに難関が待ち受ける。
官僚に採用されても常に出世レースに投げ込まれ、
官僚残酷物語のエール社の出版物があるくらいだ。
若くして地方の管理職のポストで管理能力が測られ、
同期でたった一人が事務次官ポストにたどり着く本レースのスタートにつく。
中央官庁の管理職に帰ってくる。
課長・長官にいた人がいる。
そのポストを投げ捨てて立候補した知事選。
宮崎県知事に立候補した
旧通産省課長持永哲志(43)
林野庁長官川村(56)
華々しき経歴の持ち主。

権力の科した知事の器の条件をこれほど満たしてる候補はいない。
三顧の礼で迎え入れなければならぬハズの県民の一般的常識。

相計らずや座を射止めたのはそのまんま東
泡沫候補扱いがである。
それもひとつや二つでない過去の傷。
とても人の上に立つべき経歴ではない。
詭弁家・安部は「再チャレンジ!の典型」と自分たちの候補を立ててるのに強弁する。

国会議員の構成や県議会を見る限り、圧倒的な保守優位の県
興奮冷めやらぬ政治を論ずる人々。
参議院選挙は異変が起きるとさえ断言するテレビ7の奏でる物見遊郭人。
それはありえない。

しがらみのない人とか無党派とか、なだれ現象、保守分裂の漁夫の利
そう政治学者が威高く叫ぶところに真実があるわけではない。
未知の行政経験にお手並み拝見。

政治的怒りがなしえたものではない。
県民の人の良さただ一点のみがなしえたこと。

早速大学の政治ゼミが研究テーマに宮崎を選定いすればマスコミの騒ぐ参議院選挙に
宮崎があるわけではないのが出口調査で出てくるハズだ。
とるべき政策はなく選択肢は狭い。
国も宮崎も同じ状況。

政治末期を呈している阿部内閣はウルトCが出よう
衆議院解散・ダブル選挙である。
スキャンダルまみれで不協和音が満ち溢れ、内閣改造では政権は持たない。

あくまでも宮崎における参議院の議席のイスは定席
小斉平の現職に元職の長嶺基の相変わらずの保守の争い。

県民性が現れたに過ぎない。

これに味を占めてタレント候補が出ても
県民の保守性の風土は変わったわけではない。
同じ名の東候補が二度目の立候補した。
そう柳の下には同じ住んでるものはいない。

国政に転じた社民党鳥飼謙二ハタと困った。
立候補声明の遅れである。
なぜに県民性を分析してタイミングを見図ることをしないのか。
勝利に向けた態度たる検証し、帰納する科学的態度の欠如

どのあたりから県民性に切り込んでいこうか。
廃藩置県の明治政府。
殿様の治世のお城のあるところを県庁とした。
ただし宮崎と札幌のみはそうではなかった。
小藩統治の5つに分かれていたからである。
美々津県で県庁は日向に置かれ宮崎市内は薩摩支庁であった。

そのとき歴史は動いたの最近版は島原の乱
最後は宮崎で締めくくった。
徳川の殿様の末裔たる松平アナ

もぅチョッと昔からはじめたい
日本三大敵討ちの
堀部安兵衛・高田の馬場に忠臣蔵
三に富士の裾野の曽我兄弟
ポンポンとくりゃァ

守護地頭が治めた時代、1185年・イイハコ作ろう鎌倉幕府

この曽我兄弟の討った鎌倉幕府の高官・工藤祐経
静岡伊東半島を国とする守護。

工藤姓を伊東に改め日向に下向する
鎌倉幕府の任命した日向の守護職である。
日下部・島津の在来の郷士との圧力を
押しのけ日向を支配していく

この日向下向に不思議を幼少より持っていたが紐解く鍵は椎葉にあった。
悲恋・鶴富姫
各地に残る壇ノ浦平家残党狩りに
総大将は壇ノ浦で平家の船の掲げる扇を射落とした弓の名手那須与一宗高

平家の鶴富姫と恋仲になる。その逸話を日向人は信じ    
一大イベントとして平家祭りの武者行列としている。

ところでそのとき日向の浜に乗り込んだ副大将は工藤祐経
であった。
後に伊東氏が日向を領地とするおそらくこれが縁であったのであろうか。
伊東氏は君臨してた日下部氏を北に追い出し
勇猛果敢な島津は発祥の地都城はおろか薩摩半島まで追いやった。
都城まで制圧し48城で支配し権勢を極めた。

木崎原合戦で奇襲を得意とする薩摩軍に荒武家老など主力を失い本城の西都・都於郡城も落城
親戚の大分の大友宗麟を頼って落ちていく。
その中にキリスタン訪欧使節の主席を勤める幼き伊東マンショもいた。

往復8年もかけローマ法王に謁見した4名の少年使節。
キリスト者には日本人の歴史的快挙とする。

宮崎の県民性から参議院選挙を見ていこうとする考察の途中である。
パソコン環境が自由でなく時間が来てしまった。

要するに異教徒キリスタン使者を生み出し
為政者は国を滅ぼし主人を変えながらも圧政に耐え
高速道路高速鉄道のインフラが何一つない県。
どうにもこの県は日本の一部ではない気さえする。

日本一貧乏県の政治的革新性はなくただ頼まれたので人の好いのが今回のそのまんま劇を生み出したいざ出陣の政治状況ではない。続きは書きたい
グレートサスケに島田伸介、菅原文太、爆笑問題
おいおい政治をなめチャァ・・・
末世はクーデターを招く

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