岐路の2.26
2007年2月26日生前の事件ゆえ知らぬはずだが、クッキリと浮かんでくる2.26事件。
2・26事件は三島由紀夫のクーデターに似通っているからだ。
昭和45年11月25日はせきやんの2.26事件である。
市ヶ谷の自衛隊本部のバルコニーの状況をテレビがカラーで伝えるとき病室にあり、画面に釘付けでかくも長きトラウマ、生涯ついて回っている。
首を同志に介錯させる時代がかった衝撃。
落ちない首を何度も切った楯の会の介錯人。
切腹、落ちてる首、飛び散る現場の壮絶なる写真。
絶望と孤独の究極の果て。
社会改革運動の対極のものの行動の凄さ。
市ヶ谷の現場がカラー写真で公表され、
2・26の週刊文春公開写真の機関銃の弾を浴びた犠牲者の写真の残酷さそのものであったからだ。
昭和史から学ぶものは民族の気質からして常に反主流が必要であることだ。
対極の政治グループでなく主流党の中における反主流の存在である。
政治のバランス感覚は実務的でないとこの民族はためなことを証明している。
事件を告げる新聞の記事見出し。
「帝都空前の衝撃」「戒厳令下暗黙の帝都」「為替急角度に崩落」……。
2・26事件は「軍部の中で確執していた「統制派」と「皇道派」の「皇道派」が起こしたもの。
天皇を中心とした国をつくろうという考え方の青年将校らは
「正義軍」と呼ばれるつもりだった。
昭和天皇が事件の渡辺錠太郎大将、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣らの殺害を聞くに及んで、
「朕(ちん)ガ股肱(ここう)ノ老臣を殺戮ス、此(こ)ノ如キ凶暴ノ将校」
と発言し「反乱軍」となってしまう。
反乱軍の中には五代目柳家小さんもいたほどで極秘の行動。
高橋は丸顔と恰幅のよさから「達磨」の愛称で親しまれた。
政治家としてより「デフレ退治」の経済政策の手腕で評価が高い。
財政拡張、国債の日銀引き受けによる量的金融緩和、金本位制の離脱による円安誘導。
昭和初期の恐慌から国民を救った離れ業は現在の日本にも重なる。
2.26のこの日が71回目の命日となる。
高橋私邸が東京小金井の「江戸東京たてもの園」に移築再建保存されているサライ3月号で見れる。
平屋総ヒノキ造の和風建築は途中で曲がった狭い階段が2つ。
青年将校らが軍刀の音をたてて寝室まで駆け上る様が目に浮かぶ。
坂本竜馬の殺害旅館は今でも宿泊できるがどうにも枕高くには度胸がいる。
「一時の反動景気に酔うが如きは最も禁物。人々の働きを浪費せず、無駄を省く事もまた注意を払わねばならぬ」
当時の膨張する軍部予算を警戒してのこと。
誘い水にならぬよう政府の無駄には心して目を凝らした
厳しき日々はわが身・岐路の2.26となりうるや。
ワン・クリック!
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昭和45年11月25日はせきやんの2.26事件である。
市ヶ谷の自衛隊本部のバルコニーの状況をテレビがカラーで伝えるとき病室にあり、画面に釘付けでかくも長きトラウマ、生涯ついて回っている。
首を同志に介錯させる時代がかった衝撃。
落ちない首を何度も切った楯の会の介錯人。
切腹、落ちてる首、飛び散る現場の壮絶なる写真。
絶望と孤独の究極の果て。
社会改革運動の対極のものの行動の凄さ。
市ヶ谷の現場がカラー写真で公表され、
2・26の週刊文春公開写真の機関銃の弾を浴びた犠牲者の写真の残酷さそのものであったからだ。
昭和史から学ぶものは民族の気質からして常に反主流が必要であることだ。
対極の政治グループでなく主流党の中における反主流の存在である。
政治のバランス感覚は実務的でないとこの民族はためなことを証明している。
事件を告げる新聞の記事見出し。
「帝都空前の衝撃」「戒厳令下暗黙の帝都」「為替急角度に崩落」……。
2・26事件は「軍部の中で確執していた「統制派」と「皇道派」の「皇道派」が起こしたもの。
天皇を中心とした国をつくろうという考え方の青年将校らは
「正義軍」と呼ばれるつもりだった。
昭和天皇が事件の渡辺錠太郎大将、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣らの殺害を聞くに及んで、
「朕(ちん)ガ股肱(ここう)ノ老臣を殺戮ス、此(こ)ノ如キ凶暴ノ将校」
と発言し「反乱軍」となってしまう。
反乱軍の中には五代目柳家小さんもいたほどで極秘の行動。
高橋は丸顔と恰幅のよさから「達磨」の愛称で親しまれた。
政治家としてより「デフレ退治」の経済政策の手腕で評価が高い。
財政拡張、国債の日銀引き受けによる量的金融緩和、金本位制の離脱による円安誘導。
昭和初期の恐慌から国民を救った離れ業は現在の日本にも重なる。
2.26のこの日が71回目の命日となる。
高橋私邸が東京小金井の「江戸東京たてもの園」に移築再建保存されているサライ3月号で見れる。
平屋総ヒノキ造の和風建築は途中で曲がった狭い階段が2つ。
青年将校らが軍刀の音をたてて寝室まで駆け上る様が目に浮かぶ。
坂本竜馬の殺害旅館は今でも宿泊できるがどうにも枕高くには度胸がいる。
「一時の反動景気に酔うが如きは最も禁物。人々の働きを浪費せず、無駄を省く事もまた注意を払わねばならぬ」
当時の膨張する軍部予算を警戒してのこと。
誘い水にならぬよう政府の無駄には心して目を凝らした
厳しき日々はわが身・岐路の2.26となりうるや。
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