八百長

2007年3月1日コメント (2)
言葉の語源は歌舞伎によるところが多いのでその呈でいたほどだ。
「八百長」は違ってた。相撲界が発信源。

 明治時代の角界の相撲茶屋を経営していた根本長造という八百屋、
囲碁好きの親方に気に入られるため、本来の実力を偽ってわざと負けたというのが語源。
「八百屋の長造」を略した「八百長」

当初、あらかじめ勝負が決まっている相撲を指したが、
後に相撲以外の勝負事にも広く使われるようになったとされる。
 マスコミが動き出すのでことは天下に周知されてしまう。                    
「週刊ポスト」の20年に及ぶお手の物の領域に「週刊現代」が果敢に連載を始めた。

「朝青龍は全勝優勝した昨年九州場所のうち11番は八百長」「朝青龍は1番あたり数10万円を払って対戦力士から白星を譲ってもらっている」
「八百長に関与していない幕内力士は12人」などと
報じている。
その後も輪島、先代貴乃花、北の海と止まる所を知らない筆致。
協会は訴訟に至り、大臣の発言も出た。

幼少の折でも明確に記憶してる相撲がある。
「柏鵬戦」の柏戸が全勝優勝して判官贔屓の国民を泣かした勝負である。
そもそも「柏鵬時代」が興行的で、中身的には一方的な大鵬一人場所。
右前褌を引いての型にはまったときの強さの柏戸のお家芸があったゆえ。
ネ−ミングしたのは岩崎恒
別冊サンデー毎日に、白鳳時代をもじって「柏鵬時代」と記事を書いた。
ネ−ミングノ神様・大宅壮一ではない・

そのまえの相撲人気を博した栃錦と若乃花
にさえ後日「栃若時代」と名づけられたほどだ。
何でもそう相性で呼ばれるかは世間が決める。
輪島・北の湖を「輪湖時代」と呼んだがどうも無理があり、マスコミのみの用語化で親しみはない。

1963年(昭和38年)秋場所千秋楽、
全勝対決は空前の人気を呼んだ。
所得倍増の掛け声のもと日本中が高度成長を目指した時代
四場所休場明けの柏戸と大鵬の全勝対決

大鵬を寄り切りで破り全勝で二回目 の優勝、
横綱になって初めての優勝となる。

石原慎太郎は
「見る人が見ればわかるよ。相撲協会さん」と協会ぐるみの八百長と断じた。
相撲協会は「名誉棄損」で東京地検に告訴。
、石原慎太郎からの大映の永田雅一社長を間にたて
「私の誤解です」と詫びたの謝罪もあり、協会は取り下げた。
実はテレビ観戦後、人に「あれは八百長じゃないですか」と言われ、急に半信半疑になったのだという。

元双葉山の時津風理事長は怒り心頭で大鵬をすぐ呼びつけて「八百長をやる横綱は要らない。どうなんだ」と迫ったという。

大鵬は、相手を受け止めて、十分な体制から寄り切る「柔」の相撲。
それに対して柏戸は、一直線に相手を押し出す「剛」の相撲。
対照的な取り口で、日本中のファンをニ分した
「巨人・大鵬・玉子焼き」ゆえ人気のほどには軍配済み
ただ神様ではないゆえファンは弱点探し
デーモンなんぞに負けじの爺魂。 
大鵬の鬼門を「序盤、平幕、押し相撲」とみた!

昭和44年3月、大鵬の連勝は45で止まった。
宮崎延岡出身「戸田」=雷親方に軍配は上がった。
「足がでてる??」世紀の大誤審?!
これを機に勝負判定にビデオが導入された。

注射(八百長)ガチンコ(真剣勝負)、中盆(なかぼん、八百長の仲介役)といった隠語の存在自体が、八百長があることの証とみる向きもある
。平成3(91)年には二子山理事長(元横綱初代若乃花)が力士に対し“八百長”をしないよう忠告したともいわれる。

平成8年に元大鳴戸親方(元関脇高鉄山)が週刊誌で八百長を告発。
元大鳴戸親方と告発に協力した別の関係者は記事掲載
の約2カ月後の同じ日に、同じ病院、同じ死因で死亡している。

日本相撲協会は、昭和46(1971)年12月に相撲競技監察委員会を設置。
故意による無気力相撲を取った力士に対して、
除名、引退勧告などの懲罰を与えることにした。
他に比べて遅き制度改革。

プロ野球界の黒い霧事件とは暴力団関係者の要請に応じて公式戦の敗退行為に関与したなどとして、元西鉄池永投手ら選手6人が球界永久追放処分を受けた。

 米大リーグでもホワイトソックス選手8人が刑事告訴され、球界永久追放処分を受ける「ブラックソックス事件」が起きている。

 サッカー界では昨年、イタリア・セリエA、ユベントスの球団幹部が自チームに有利となる審判を指名する不正行為が発覚。ユベントスが下部リーグのセリエB降格、ほか3チームも勝ち点剥奪といった処分を受けた。

相手を殺すつもりで土俵に上がれ」と教えた栃錦。
一門外とは普段、口も聞かない。
勝負師としてサムライとして力士は筋金入りのハズ。

先の1月7日初日初場所目前の大みそかの夜に、高砂部屋で横綱朝青龍を中心に大関三役がそろってインチキ占師のタレントと
600万円の高級食材を使ったチャンコに舌鼓をうつテレビ番組があった。
和気あいあいのその光景を苦々しく思った相撲愛好家関係者は多かったハズだが時代はそれを喜んで観る。
横綱栃錦が健在だったらどんなに驚くだろう、テレビ時代。

相撲が好きだった昭和天皇。
孫の皇太子雅子の長女に
DNAは引き継がれている。
スポーツ化か神事を含めた国技か
女相撲の導入。
オリンピック競技化
近代化=改革がされればチョンマゲ社会は生き残る可能性はある。

かって殺気立っていた支度部屋が締まりのない雰囲気はテレビカメラ映りを気にしてのことか。
築いてきた伝統や文化を守り切れないのは外交人力士の弊害か。

日本相撲協会は26日、大相撲春場所(3月11日初日、大阪府立体育会館)の新番付を発表した。

琴奨菊(23)=佐渡ケ嶽=が、2004年名古屋場所の北勝力(現十両、八角)以来、16場所ぶりとなる日本人新関脇に昇進。小結を通り越しての“飛び級”のおまけ付き。

昨年九州場所、東前頭2枚目で10勝を挙げ、新三役昇進は確実の中、初場所の番付は、東同筆頭止まり。
奮起して技の得意のガブリ寄りを武器に、大関取りを視野に入れた。
ガブリ寄りは、なんかユーモラスで館内を沸かせる。
まわしを取ると、上下にあおるように相手を揺さぶりながら寄る形。
佐渡ケ嶽部屋の兄デシに当たる大関・琴風(現尾車親方)の代名詞・
「前に出る気持ちがガブリ寄りになった。逆に周りに言われて意識した」と、自然とマスターした部屋伝統の技。
尾車親方も「体で覚えてきた。ずいぶん形になってきているよ」と“後継者”の成長に目を細めているそうだ。

琴奨菊に、地元の福岡・柳川市にある後援会から化粧まわしが28日に地元で開かれたパーティーで贈呈された。
デザインは黒地に金色の菊。多くの力士が金糸を使う下端にある房の部分も黒で「かっこいいんですよ」とニッコリ。

栃煌山(19)=春日野=が史上9位タイ、初土俵から所要13場所でのスピード新入幕を果たした。
師匠・春日野親方(元関脇・栃乃和歌)

モンゴル出身の時天空(27)=時津風=が新小結。初土俵から4年半、モンゴル人として7人目の新三役に昇進
課題は突っ張り。「千代大海関のような突っ張りを身につけたい」と明かす。
3月2日には来日中のモンゴルのエンフバヤル大統領と成田空港でのイベントに同席。
異国での喜びが手にとるようにわかる。

宮崎駅での今朝の差入れの感動そのもの。
実に客観的なる支援者がその人を大きく育てる。
昨夜は涙の3時間有難き事この上なし!
ご馳走いただいたのは餌切れ解消でもある。
命ながらえよう。
ギリギリで生きてるゆえに人一倍の力が沸く
火事場の馬鹿力はあるハズだ。
人生、八百長どこではない。
生命がかかっている逼迫感。
残った!ノコッタ!
特俵に踏ん張ってるのみ。
後はまったくない千尋の谷。

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コメント

せきやん
せきやん
2007年3月1日16:02

「八百長」氏の本名について
「長兵衛」あるいは「斎藤長吉」とする資料もある
、相撲評論家で落語に長けてる小島貞二著『大相撲』誌2000年3月号
「根本長造」というのが正確らしい。
 その長造=「八百長」が、相撲会所(相撲協会の前身)の権力者・伊勢ノ海親方に取り入っていい桟敷をもらうため、伊勢ノ海親方と碁を打ってはわざと負け、iつも五分以下の勝率にしていたというのである。
ところが、両国に碁会所が新設されたとき、本因坊秀甫(秀元説も)に長造氏が五目で挑戦、大熱戦を演じてしまった。

それで長造氏の手抜きがばれ、伊勢ノ海は烈火のごとく怒ったという。とんだところで本性は所詮欺くことは出来ぬもの

せきやん
せきやん
2007年3月1日16:38

八百長告白の板井のブログから無断引用

「八百長相撲の底無し沼にはまっていった」
外国人記者インタビューの世界公式の場で暴露した板井。

紆余曲折を経て幕内に定着したものの、膝を痛めていたこともあって出世を望まず、星を売る「注射」に専念していた板井。
「単なる平幕中堅力士」としてしか映っていなかったが、実際にはここ一番で驚くべき強さを発揮していた。

相撲ファンならダレでも知ってる孤立した横綱大乃国をせきやんも可哀想と観ていた。

板井は80年代を代表する「ガチンコ力士」といわれた大乃国に6連勝したほか、旭富士・北勝海・双羽黒・寺尾・栃乃和歌・久島海・曙といった話題力士を、
ことごとく初対戦で倒している。

本人が言うように、これほどの強さを示していたからこそ「中盆」としての地位を確立できたのだろう。

その一方で、かの千代の富士(現・九重親方)には16戦して全敗しており、これは大いに疑惑を招くものである(千代の富士の最後の白星の相手は−−滅多に指摘されないが−−板井である)。

 板井氏は一度小結に上がった(89年5月)後、91年7月には引退の決意を固め「わざと」15戦全敗して十両に落ちた。

そして翌9月場所中、正式に引退を表明したが、何と年寄・春日山襲名が理事会で認められない事態となり、廃業に追い込まれた。

これは明らかに相撲協会が「八百長仲介人」としての板井の役割を知っており、その詰め腹を切らせたものと解釈されている。

 その後1996年、板井の師匠である元・大鳴戸親方(既に協会を退職していた)が、かつての有力後援者・橋本成一郎氏とともに『週刊ポスト』誌上で八百長告発を開始した。

微に入り細にわたったその内容は衝撃的で、同年4月26日
には日本外国特派員協会で角界の八百長・脱税・マリファナ問題について講演することになっていた。

ところが、その直前の4月14日、元大鳴戸・橋本両氏
が同じ病院(愛知県の藤田保健衛生大学病院)で、同じ病気(重症肺炎)により相次いで急死したのである!

 相撲協会が故・大鳴戸親方を刑事告訴し(のちに不起訴となった)、板井が八百長を否定する「陳述書」に署名したのは、この直後のことであった。

元師匠の死を目の当たりにした衝撃を考えれば、当時彼がとった行動は無理もないと言えよう。

そして4年後、板井はかつて師匠が立つはずだった、「日本外国特派員協会」の舞台でスポットライトを浴びることになったわけである。

 その意味で、板井告発はきわめて因縁めいたものであり、そこには明らかに「弔い合戦」の意味もあったと考えざるを得ないのだ

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