男立つ!
2007年3月14日「ダメなもんはダメ!」
二大政党時代の社会党・土井たか子党首。
そのキャッチフレ−ズで
「山は動いた!」
勝利した選挙戦があった。
7月参議院選挙を織り込んでの首長選挙の季節
注目は首都決戦東京、石原・浅野を主軸に泡沫候補が並ぶ
知名度の建築家黒川記章、弁護士先生は立候補を見送ったが教育評論家ふくろう候補
区長をした共産党候補
司馬遼太郎の言う明治の英傑たち。
薩長土肥の群像。
その最後の「肥」前=佐賀が揺れている。
民主党をバックに
宮崎の人・中川修治(51)
が同じ政治信念
「ダメなもんはダメ!」
の日本のエネルギ−政策の未来をかけ吼えた。
昨日13日読売、朝日、毎日の記事で立候補記事が実名で出た。
NPO法人でも太陽光発電などの自然エネルギ−を普及させようと取り組んでこられた方。
西日本新聞は候補者の名前を伏せて選挙戦を解説している。
民主党の応援労組・電気労連の動きが13日民主党の会議に候補者選びの結論が出来なかった
反原発候補ゆえの難航事項とある。ハ−ドルは高すぎるという。
ここまできて引っ込みはつかぬ。
マニュフェクト、選挙公約で縛りをかければいい。
もとNHK職員で佐賀は青春を仕事の情熱をささげ尽くしたところ。
佐賀県民のために日本の未来のために不戦敗は許されぬ。
この身を、一命をささげよう。
その心意気や良し!
現職 古川 康 は、今回の立候補にあたって、" あたりまえ " 宣言をした。
法令とマナ−を守ります。
見返りを受けるような支援は受けません
親は九電で二代に渡って手套なる計画で知事を作り出した。
☆一徹が星飛雄馬を生み出した如くである。
これでは対立候補を出しようがない。
ただ
世界的にも未熟なる技術の原子力行政を九電を通じて佐賀・玄界で政治生命をかけてやろうとしてることは佐賀に未
来を切り開いてくれるのか。
ひいては国策たるエネルギ−の基本・電気事業のあり方が問われている。
佐賀知事選のみが抱える現地足らん玄海3号機プルサーマル計画である。
アメリカもロシアも技術が確立できず放棄した原子力政策
1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故
1986年4月26日 チエルノブイリ
と原子力の取り返しのつかない事故
英国は1957年10月10日 ウィンズケール火災の世界初の原子炉重大事故。
軍事用プルトニウムを生産中16時間燃え続け多量の放射性物質を外部に放出。
地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け、数十人がその後白血病で死亡。
現在の所白血病発生率は全国平均の3倍。
当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、
30年後に公開され現在でも危険な状態にある。
ヨード1312万キュリーが工場周辺500平方キロを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名。
また水蒸気爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された
佐賀藩は、幕末から明治にかけて、多くの優秀な人材を輩出。
「佐賀の七賢人」と呼ばれる時代を先駆けた、顕著な功績をあげた群像。
ブログから
鍋島直正(なべしまなおまさ)
佐賀藩十代藩主。「稀代の名君」と呼ばれ、学問、救農、産業開発などの分野において功績を残し、西洋文明を積極
的に取り入れた。
藩校「弘道館」での教育、医学校や病院「好生館」の設立、
また藩士に蘭学を修行させ、種痘の普及、そして反射炉の設立・大砲の鋳造などで全国に名を馳せた。
大隈重信
1882年立憲改進党、1898年憲政党を結成、また内閣総理大臣を2度も務めた
特に財政・外交面で活躍し、世界的な政治家。早稲田大学創立者。
副島種臣(そえじまたねおみ)
明治政府において外務卿在職中、樺太境界についてロシアと談判し、また横浜港寄港のペルー商戦から中国人奴隷を
解放するなど、正義道の人として世界的に高く評価された外交官。、書家としても有名。
江藤新平
明治維新期に、卓抜した理論と抜きんでた事務能力で活躍した。
初代司法卿として、廃藩置県、三権分立、議会の開催に尽くした。
征韓論に敗れて辞任。
明治7(1874)年、明治政府に対する反乱である「佐賀の乱」で散る。
島義勇(しまよしたけ)
2年間にわたり蝦夷・樺太を探検するなど、北海道開拓に貢献、北海道開拓判事。
、憂国党を率いて反政府運動を起こし、佐賀の乱で敗れた一人。
大木喬任(おおきたかとう)
明治政府以後、東京府知事、民部、文部、司法卿を歴任
、初代文部卿として、学制・学校令・教育勅語など、現在の教育体制の整備に力を注いだ。
佐野常民(さのつねたみ)
慶応3(1867)年、パリ万国博覧会を視察した際、赤十字の「自由・平等・博愛」の精神に触れ、帰国後、西南戦争では博愛社(現・日本赤十字社)を創設
、負傷者の救護に当たる。
明治維新という混沌とした時代に、新しい人道博愛の精神を築いた。
三度の外国から攻撃を受けてるわが国。
名護屋城跡唐津市鎮西町 、
豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年〜1598年)の出兵基地、
日本列島と朝鮮半島との長い交流史のなかで、その関係を一時断絶させた不幸な歴史の舞台。
名護屋城跡を中心に半径3キロメートルの範囲にひろがるこの遺跡群は、全国から130を超える大名が集結し陣屋を構築して在陣するという、日本の歴史上にも類を見ない広域かつ特異な遺跡群。
佐賀は大陸文化の窓口
焼き物の技術は日本一。
それ以外にも 女性の好むtべ物の発祥地。
伊萬里神社の境内にある中嶋神社は、お菓子の神様、田道間守(たじまもり)を祀っている。
その昔、垂仁天皇の命を受けた菓祖・田道間守は、大陸から「非時香果」の実を持ち帰り、伊万里の地に最初に植えた
小城羊羹もかかせない。
。その実は、「橘」の木の実のことで、みかんの原生種らしい。
日本では古来、木の実や草の実を総称して「くだもの」と呼び、「菓子(果子)」の字をあてたという。
伊萬里神社境内には、伊万里出身の製菓王・森永太一郎の像も建っている。
祐徳バスなる観光地宮崎に訪れるところの本社鹿島市・
祐徳稲荷神社は 伏見稲荷と笠間稲荷とともに日本三大稲荷に数えられる神社。
地元では「祐徳(ゆうとく)さん」の愛称で親しまれている。
貞享4(1687)年創建。鹿島藩主鍋島直朝(なおとも)の夫人花山院萬子姫が京都から輿入れする際、京
都御所内の花山院邸に鎮座する稲荷大神から分霊した。
その美しさから「鎮西日光」とも呼ばれている。
衣食住の祖神と仰がれ、五穀豊穣、商売繁盛、家運
繁栄、大漁満足、交通安全などの守護神として信仰があつく、参詣者は年間280万人。
4月8日の春祭の「玉替」12月8日の秋祭で「お火たき」の神事が行われてる。
ちなみに4月9日が知事選投票になるはずだ。
呼子(よぶこ)の朝市。
石川県の輪島、岐阜県の高山と並ぶ日本三大朝市
呼子港の東側の朝市通りで、朝7時30分から12時まで毎日開かれてる。
約200mの朝市通りには壮観
JR呼子線の新線建設後の昭和40年代に財産整理で行ったものである。
鳥栖(とす)市田代にある中冨記念(なかとみ)くすり博物館は、西日本地区ではじめてのくすりの博物館
。もともと鳥栖は、富山と並ぶ配置売薬のさかんな所
西都市の山の中まで赤い箱の二つはどこのお家にもあった。
ただ、紙風船や手まり、飛行機の景品がつく富山の勝ち!
鍋島藩窯公園・大川内山(伊万里市)
伊万里(いまり)市の大川内山(おおかわちやま)は、かつて鍋島藩の徹底した管理のもと「色鍋島」「鍋島染付」
「鍋島青磁」などの傑作を生み出した藩窯(はんよう)があった山。
300年余りの歴史と伝統は春(4/1〜4/5)の窯元市、
夏(6/20〜8/31)の風鈴まつり、
秋(11/1〜11/5)には鍋島藩窯秋祭りが開催される。
下村湖人生家(神埼市千代田町)
教育家そして名作「次郎物語」の著者下村湖人
千代田町の出身
昭和11(1936)年、雑誌「青年」に連載をはじめた「次郎物語」
学校映画で見た記憶が忘れられない。
古川は県内全23市町を網羅する後援会組織を設立。
各支部の大半は市長や町長が後援会長を務めており、再選に向けた態勢づくりは磐石。
巨大ガリバ−に恐れをなして勝てるはずがない。
宮崎には泡沫候補以下扱いだったマジックの勝利・そのまんま方式がある。
第一のハ−ドルは公認をとること。推薦でもいい。
あとは小沢一朗の出方しだい。
3月22日告示4月9日決着!
南無八幡大菩薩!勝利を!
「勝つ!勝つ!勝つ!」
・・・中川修治・・・を佐賀の知事に!
二大政党時代の社会党・土井たか子党首。
そのキャッチフレ−ズで
「山は動いた!」
勝利した選挙戦があった。
7月参議院選挙を織り込んでの首長選挙の季節
注目は首都決戦東京、石原・浅野を主軸に泡沫候補が並ぶ
知名度の建築家黒川記章、弁護士先生は立候補を見送ったが教育評論家ふくろう候補
区長をした共産党候補
司馬遼太郎の言う明治の英傑たち。
薩長土肥の群像。
その最後の「肥」前=佐賀が揺れている。
民主党をバックに
宮崎の人・中川修治(51)
が同じ政治信念
「ダメなもんはダメ!」
の日本のエネルギ−政策の未来をかけ吼えた。
昨日13日読売、朝日、毎日の記事で立候補記事が実名で出た。
NPO法人でも太陽光発電などの自然エネルギ−を普及させようと取り組んでこられた方。
西日本新聞は候補者の名前を伏せて選挙戦を解説している。
民主党の応援労組・電気労連の動きが13日民主党の会議に候補者選びの結論が出来なかった
反原発候補ゆえの難航事項とある。ハ−ドルは高すぎるという。
ここまできて引っ込みはつかぬ。
マニュフェクト、選挙公約で縛りをかければいい。
もとNHK職員で佐賀は青春を仕事の情熱をささげ尽くしたところ。
佐賀県民のために日本の未来のために不戦敗は許されぬ。
この身を、一命をささげよう。
その心意気や良し!
現職 古川 康 は、今回の立候補にあたって、" あたりまえ " 宣言をした。
法令とマナ−を守ります。
見返りを受けるような支援は受けません
親は九電で二代に渡って手套なる計画で知事を作り出した。
☆一徹が星飛雄馬を生み出した如くである。
これでは対立候補を出しようがない。
ただ
世界的にも未熟なる技術の原子力行政を九電を通じて佐賀・玄界で政治生命をかけてやろうとしてることは佐賀に未
来を切り開いてくれるのか。
ひいては国策たるエネルギ−の基本・電気事業のあり方が問われている。
佐賀知事選のみが抱える現地足らん玄海3号機プルサーマル計画である。
アメリカもロシアも技術が確立できず放棄した原子力政策
1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故
1986年4月26日 チエルノブイリ
と原子力の取り返しのつかない事故
英国は1957年10月10日 ウィンズケール火災の世界初の原子炉重大事故。
軍事用プルトニウムを生産中16時間燃え続け多量の放射性物質を外部に放出。
地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け、数十人がその後白血病で死亡。
現在の所白血病発生率は全国平均の3倍。
当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、
30年後に公開され現在でも危険な状態にある。
ヨード1312万キュリーが工場周辺500平方キロを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名。
また水蒸気爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された
佐賀藩は、幕末から明治にかけて、多くの優秀な人材を輩出。
「佐賀の七賢人」と呼ばれる時代を先駆けた、顕著な功績をあげた群像。
ブログから
鍋島直正(なべしまなおまさ)
佐賀藩十代藩主。「稀代の名君」と呼ばれ、学問、救農、産業開発などの分野において功績を残し、西洋文明を積極
的に取り入れた。
藩校「弘道館」での教育、医学校や病院「好生館」の設立、
また藩士に蘭学を修行させ、種痘の普及、そして反射炉の設立・大砲の鋳造などで全国に名を馳せた。
大隈重信
1882年立憲改進党、1898年憲政党を結成、また内閣総理大臣を2度も務めた
特に財政・外交面で活躍し、世界的な政治家。早稲田大学創立者。
副島種臣(そえじまたねおみ)
明治政府において外務卿在職中、樺太境界についてロシアと談判し、また横浜港寄港のペルー商戦から中国人奴隷を
解放するなど、正義道の人として世界的に高く評価された外交官。、書家としても有名。
江藤新平
明治維新期に、卓抜した理論と抜きんでた事務能力で活躍した。
初代司法卿として、廃藩置県、三権分立、議会の開催に尽くした。
征韓論に敗れて辞任。
明治7(1874)年、明治政府に対する反乱である「佐賀の乱」で散る。
島義勇(しまよしたけ)
2年間にわたり蝦夷・樺太を探検するなど、北海道開拓に貢献、北海道開拓判事。
、憂国党を率いて反政府運動を起こし、佐賀の乱で敗れた一人。
大木喬任(おおきたかとう)
明治政府以後、東京府知事、民部、文部、司法卿を歴任
、初代文部卿として、学制・学校令・教育勅語など、現在の教育体制の整備に力を注いだ。
佐野常民(さのつねたみ)
慶応3(1867)年、パリ万国博覧会を視察した際、赤十字の「自由・平等・博愛」の精神に触れ、帰国後、西南戦争では博愛社(現・日本赤十字社)を創設
、負傷者の救護に当たる。
明治維新という混沌とした時代に、新しい人道博愛の精神を築いた。
三度の外国から攻撃を受けてるわが国。
名護屋城跡唐津市鎮西町 、
豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年〜1598年)の出兵基地、
日本列島と朝鮮半島との長い交流史のなかで、その関係を一時断絶させた不幸な歴史の舞台。
名護屋城跡を中心に半径3キロメートルの範囲にひろがるこの遺跡群は、全国から130を超える大名が集結し陣屋を構築して在陣するという、日本の歴史上にも類を見ない広域かつ特異な遺跡群。
佐賀は大陸文化の窓口
焼き物の技術は日本一。
それ以外にも 女性の好むtべ物の発祥地。
伊萬里神社の境内にある中嶋神社は、お菓子の神様、田道間守(たじまもり)を祀っている。
その昔、垂仁天皇の命を受けた菓祖・田道間守は、大陸から「非時香果」の実を持ち帰り、伊万里の地に最初に植えた
小城羊羹もかかせない。
。その実は、「橘」の木の実のことで、みかんの原生種らしい。
日本では古来、木の実や草の実を総称して「くだもの」と呼び、「菓子(果子)」の字をあてたという。
伊萬里神社境内には、伊万里出身の製菓王・森永太一郎の像も建っている。
祐徳バスなる観光地宮崎に訪れるところの本社鹿島市・
祐徳稲荷神社は 伏見稲荷と笠間稲荷とともに日本三大稲荷に数えられる神社。
地元では「祐徳(ゆうとく)さん」の愛称で親しまれている。
貞享4(1687)年創建。鹿島藩主鍋島直朝(なおとも)の夫人花山院萬子姫が京都から輿入れする際、京
都御所内の花山院邸に鎮座する稲荷大神から分霊した。
その美しさから「鎮西日光」とも呼ばれている。
衣食住の祖神と仰がれ、五穀豊穣、商売繁盛、家運
繁栄、大漁満足、交通安全などの守護神として信仰があつく、参詣者は年間280万人。
4月8日の春祭の「玉替」12月8日の秋祭で「お火たき」の神事が行われてる。
ちなみに4月9日が知事選投票になるはずだ。
呼子(よぶこ)の朝市。
石川県の輪島、岐阜県の高山と並ぶ日本三大朝市
呼子港の東側の朝市通りで、朝7時30分から12時まで毎日開かれてる。
約200mの朝市通りには壮観
JR呼子線の新線建設後の昭和40年代に財産整理で行ったものである。
鳥栖(とす)市田代にある中冨記念(なかとみ)くすり博物館は、西日本地区ではじめてのくすりの博物館
。もともと鳥栖は、富山と並ぶ配置売薬のさかんな所
西都市の山の中まで赤い箱の二つはどこのお家にもあった。
ただ、紙風船や手まり、飛行機の景品がつく富山の勝ち!
鍋島藩窯公園・大川内山(伊万里市)
伊万里(いまり)市の大川内山(おおかわちやま)は、かつて鍋島藩の徹底した管理のもと「色鍋島」「鍋島染付」
「鍋島青磁」などの傑作を生み出した藩窯(はんよう)があった山。
300年余りの歴史と伝統は春(4/1〜4/5)の窯元市、
夏(6/20〜8/31)の風鈴まつり、
秋(11/1〜11/5)には鍋島藩窯秋祭りが開催される。
下村湖人生家(神埼市千代田町)
教育家そして名作「次郎物語」の著者下村湖人
千代田町の出身
昭和11(1936)年、雑誌「青年」に連載をはじめた「次郎物語」
学校映画で見た記憶が忘れられない。
古川は県内全23市町を網羅する後援会組織を設立。
各支部の大半は市長や町長が後援会長を務めており、再選に向けた態勢づくりは磐石。
巨大ガリバ−に恐れをなして勝てるはずがない。
宮崎には泡沫候補以下扱いだったマジックの勝利・そのまんま方式がある。
第一のハ−ドルは公認をとること。推薦でもいい。
あとは小沢一朗の出方しだい。
3月22日告示4月9日決着!
南無八幡大菩薩!勝利を!
「勝つ!勝つ!勝つ!」
・・・中川修治・・・を佐賀の知事に!
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