いっせいに選挙が告示された。
ブログ更新ができず、書けない、けんちゃん先生も可愛そう。
健康に注意して南無八幡大菩薩・勝利をもぎ取って県議会議員の明かりをつけてほしい。
百万人たりともわれいかん!
がんば!けんちゃん先生!

ネット環境でお世話になってるところに昨日今日とク−ラ−がいった。
朝夕の寒さと昼間のク−ラ−実に不可思議な24時間。
29日そのまんま知事もインフルエンザでダウン入院。
タミフルで劇治療。今年始めて休暇?が取れたようだ。
母校の甲子園は14時から十分楽しんで明日から公務復帰できよう。

岐阜・大垣は泉ヶ丘ともに21世紀ワク。
芭蕉・奥の細道終焉の地。せきやん青春の基点。
県レベルの差はあれどお世辞にも強豪同士ではない。
レベルにあった熱戦が期待でき、泉も組みしやすい相手。

2/27せきやんブログの一部再掲
「さあ〜甲子園」
 (かってに・・つけるな!せきやん!森進一?)
作詞・中山大三郎
補 ・山田孝雄
作曲・都倉俊一

青い空があったのか
白き雲うかんでたのか
石のように固いボール
僕らは追いかけていた。
今日の鍛錬は明日には結ばない
ながいながい時空のかなた
阿修羅のようにあらわれる
さあ甲子園
一千日を持ってやってきた
さあ甲子園
一万時間を持ってやってきた

ファイトだファイとファイトだ泉
GO  GO
ゆけよ
ゆけゆけ GO
都城泉ケ丘♪♪

一番ほしいものは人生の応援歌
孤立無縁に兵糧攻めも相まって極めて危ない状況ゆえ
パワーを頂いてる甲子園球児
純粋無垢似ついてはなんら劣るものはない

格差社会は甲子園にもある訳で全国から密かに優秀選手を選抜する私立優先が深まっている。
ル−ル無視の地元の名誉の代表の裏にある虚偽を誰もが知ってる甲子園となっている。
文武両道の泉ヶ丘。
野球格差を吹き飛ばす公立高校に判官びいきの国民性の期待がかかる。14;oo決戦。

経済に限定すると人類の貧富の差の発生は
貯蔵できる食物たる稲作技術を人が持ちえたときに始まった
教えて頂いたのは小学校4年生の歴史教育、日高先生の授業のことであった。

縄文期の狩猟採取から米、土器、磨製石器の稲作の弥生文化の成立したときだ。
それまで本来食物は同じ集いしの同士で分け与えて生活してたのが一変した。
生きる基本たる食が保管できることが見い出されたことで、人々に上下の関係=階級ができた。

ゆえに安寧な生活維持の集中する形態ができそれを維持する経済が必要でそれらの
構成員には安全が保障された。

代償として税の納入が義務づけられた。
班田収受の法がさだめれれ、奈良、平安朝と後に学問化、体系化される。

租庸調の税体系と国分寺、国分尼寺に国司を派遣して秩序を保った。
九州は大宰府庁が中央に変わる役割を果たす部分があった。

その荘園制度に宇佐神宮が入り込み力のあるものが税の利権、恩恵にあやかった。
武力が国家形態を形作っていく社会への萌芽である武家社会への流れである。

世界史を鳥瞰しても塩野七生がロ−マからのメッセ−ジを読み取っても歴史的軸を同じくしている。
もっとも、
「ロ−マ人は人間がなしえるすべてのことをした」
というように民主共和王政の政治形態の元、百花繚乱のごとき文化が花開いた。
これ以上もこれ以下のものは人間社会は生み出すことができないといわれている。

ただ新たな社会の制度設計ができるときには、はみ出しものの乱暴者が現れるのも世の常。
西の藤原純友、東の平将門の勇猛なる名を成す反乱が起きる。
将門は日本橋・兜町に祭られ企業戦士の最たるトレダ−の勝ち馬に乗らんと
新年恒例の参拝対象者に企業トップさえからも崇められているほどだ。

今昔物語、義経記にさえその名を残している荒くれもの。
「本朝の昔をたづねれば、田村、利仁、将門、純友、保昌、頼光」とある。
純友も日向の国まで乱入している。

保昌は日向の国司・藤原保昌、
叔父は今昔物語に記述がある、
藤原陳忠で「受領は倒るる所に土をもつかめ」
強引に至富をはかった意味で典型的な受領であったのであろう。
いつの世も権力をかさにきた利権は存在していることの証左であろう

ホリエモンが2年6ヶ月、の判決を受ける数日前、保釈中の被告にもかかわらず、オホ−ツクの
流氷チァヤ−タ−に女三人をお供にシャレこんだごとく事件の陰には女あり。

藤原保昌は勇猛果敢でも鳴らしたが、その当世はやりのかな文字ライタ−
ブログの先輩・和泉式部を妻としていた。
日向の任地に同行させていた、フシがある。

日向・国富、法華岳に和泉式部の伝説が残っている。
国司のいた国分寺・国分尼寺のあった西都・都於郡・鹿野田。潮神社東の祠は
和泉式部のお墓との伝承がある。

歴史ロマンを軽微に扱う神仏も恐れぬ生産第一の行政マンは土地改良で付近を一遍させている。
ようこそ、この山峡の地から噴きだす不思議な泉源の塩水が涸れなかったものだ。。
あらゆるところに神仏が宿る多神教のくには実に豊かなお話が埋もっている。

※田村、利仁、将門、純友、保昌、頼光」とある。

田村=田村麻呂が討った「高丸」は「悪路王」とも呼ばれている

利仁=藤原利仁
平安時代中期の軍事貴族。民部卿藤原時長の子。母は越前国人秦豊国
の女。越前国の豪族有仁の女婿として当国に留住しながら原発の館の(館跡伝承地は福井県敦賀市御名(ごみょう)に所在)
この間、群盗蜂起の鎮圧に活躍
鎮守府将軍にも任命された。
利仁は加賀・越前斎藤氏などの共通の祖と仰がれ、また王朝国家初期の代表的武官として伝説化されており、『今昔物語』二六の「芋粥」の説話は有名である。

頼光=源頼光、大江山の酒呑童子を討った源頼光
鬼退治にあたり、頼光は碓井貞光、卜部季武、渡辺綱、坂田金時の四天王に加えて、藤原保昌という豪のものの助けを得て、勇躍、鬼退治に向うた。
まず、頼光と保昌は八幡の石清水八幡へ
綱と金時は難波の住吉明神へ、
季武と貞光は熊野権現へと参籠を済ませた後、総勢六名は山伏姿に身をやつし、丹波国酒呑童子をめざして出立。

藤原保昌(ふじわらのやすまさ)頼光の叔父

コメント

せきやん
せきやん
2007年3月30日15:37

告示されて宮崎県議会議員選挙の日南選挙区は
市議落選者の82才を除くと定数3に4人の有力者。
社民・高橋は決まり!残り「2」を保守3人が争う。

実は刺客が居る。
中山衆議院議員の秘書が立候補。
坂元裕一議長の追い落としである。

いまだ怨念政治の宮崎を見る思いだ。

ここの選挙区にえらい事に気づいた。

ここに怪しきブログ記事がある。

野村秋介追悼10年祭
「群青忌」開かる
 野村秋介追悼十年祭「群青忌」(蜷川正大実行委員長)

が10月19日、千代田区公会堂に700人の参加者を集めて
開かれた。

野村烈士の女婿、外山衛 宮城県議会議員や
 成田健治 弁護士
 藤井厳喜 拓殖大教授 が挨拶。

 國學院大学の大原康男教授が追悼講演を、追悼ビデオ 「紅蓮の炎いまだ」が上映された。

関連記事

(野村秋介 のむら しゅうすけ 関連)
  ・民族派思想家、「風の会」代表、平成5年10月20日朝日新聞社にて自決。

宮「城」県議会議員は間違いで
宮「崎」議会議員日南選挙区
ではないのか。
宮城県の県議には調べるといない。

タクシ−会社専務、前回無所属今回自民党推薦の外山衛ではないのか。

あの河野一郎邸焼け打ち、経団連襲撃、最後は朝日新聞でのピストル自殺の野村秋介の娘婿ではないか。

児玉誉士夫の右腕の宮崎の人西山弘喜が逝った以来の大物??
宮崎政界の暗部を物語っている。

マンモ.ス
まんもす
2007年3月30日20:52

ときどき拝読しております。坂元裕一のお膝元の出身ですが、自分の山に携帯会社のアンテナ?塔?を立てたぐらいのことしか知りません。実家のほうでもいったい誰を応援するつもりやら・・・ただ、感想として言えるのは坂元裕一さんのポスターはいけません。いかにも悪代官のようで・・・毎年帰省するたび見かけては、ゲッソリさせられます。

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