宰相
2007年7月31日一国のトップを宰相 と敬称してよんだのはお偉いさんのみでなく
年齢的にもズ〜ッと上で雲上人の事も含んでいた。
自分よりも年下?安倍総理?
訝しがったのは団塊の世代の共通する思いではなかったのか。
「その若さで・・帝王学大丈夫?」
どうもその時の懸念が現実化している。
民主主義を履き違えた
「居直り。」
一つでも年が下なら天と地の差、厳格なる秩序があった、源流原則民主主義世代。
戦前を引きずったる民主主義の学校。
教える先生も家庭内の両親も何ら変わらない。
手探りで民主主義を国民に根付かせようと国中が格闘した。
奥の院にはGHQなるお目付けが御控えである。
宮崎にも昭和32年ごろぐらいまでウエップGHQが駐留し江平の丸三ビルに本拠地があった。
観光名所になった県庁にも駐留して目を光らしていた。
「聖域なき改革・自己責任」相互扶助の政治は葬り去られ
小泉から安倍になり
参議院の選挙で文字とおり「自民党はぶっ壊された。」
「美しい国づくり」をめざし「戦後レジームからの脱却」として国会での議席の数を頼りの強行採決の繰り返しでの国会での実績、
戦後最大の好決算!順調なる大都市のみの好経済!
新リッチ族の出現!六本木ヒルズ族。
他方、国民の生活の実感、とりわけ政治に切り捨てられた田舎県。
選挙制度の21の一人選挙区および二人区。6勝23敗である。
小泉選挙で25勝2敗を誇ってたのにこれだ。
安倍総理はその落差を見誤っていたのではないか。
戦前を引きずったる源流原則民主主義世代からすれば
「若造がクセラシ〜」
62年かけて作り上げ足るものがガラッ!と崩れゆく危機感。
「痛みに耐えてよくしていく」小泉は01年5・7国会演説で高らかに宣言した。
幾星霜をへて、勝組はほんのわずか。
「いつまで耐えればよいのか」
地方からの怨嗟の声。
350兆をアメリカに差出した竹中小泉改革、
検察が動くとアメリカとの取引で竹中はバッジをほ降り投げ逃げ出し小泉は人気絶頂の中、政権を投げ捨てた。
戦後日本人の心を問いたい。
われらの世代の責任でもある。
マッカサーが大ナタをふるって全体主義にならぬ芽を摘んでいった占領政策。
財閥解体、農地を主なる土地改革、平和憲法の制定。・・・
新生日本のあけぼのをもたらし国民は歓喜で受け入れ作り上げにむかった。
旧支配者の国体護持の政策との思惑と一致しそれは政策的にも戦争責任をあいまいとした。
不幸は
合理主義、風俗習慣、付け焼刃の自由民主主義の無条件実施にあった。
アメリカ国民が血と汗と長き年月で作り上げ足る大陸の宝の結晶・自由民主主義。
イラクで苦悩してるのもそれだ。
島国多雨の神の在する仏教信徒の瑞穂の国
絶対正義の自由民主主義の
歪みは
是正されないまま経済繁栄に突入する。
不幸というより愚か・・・滑稽でさえある。
日中戦争の中国大陸で2千万以上を殺戮し、太平洋戦争では同胞310万人の生命を亡くしたことを忘れた
忘れさせようとの社会体制。
それさえなかったように今の政治は進めようとする。
鎮魂は8・15日のみに残った
春分・秋分の日はその意義さえ知らぬ異邦人を生み出しつつある。
わが二人の30歳前後の子らで実証されている。それぞれ国立大出の普通であるべき人でこれだ。
両親の存在なぞなんのその邪魔ものでしかない扱いの風潮化。
それも推し進められる核の保持、憲法9条の改正で為政者には邪魔で、防衛庁ではどんな集会でも対象に公安調査庁以上の国民対象のスパイ排除団体と民主党の集会さえ秘かに調査をしている監視態勢。
記憶から意図的にトウザケル昭和20年までの記録。
酔いふるまってる繁栄。
イスラムまで純化しベールで顔を覆えとわ言わぬが、90パーセント以上と、異常に限度を超え露出した乳隠しとパンチィーのみを着た、自分の室内でさえ恥ずかしきファッションで街を闊歩するな。
普通のファッションでさその美しき魅惑にどんな男も目線を向けよう。セクハラなる法さえあるんだぞ。売女じゃぁあるまいに。もっと露出を外出時にはおさえろ!民主主義のはき違え。
飽食、無国籍風の日常、モラルの喪失
モノ、金に浮かれ私欲のみが渦巻く。
「再チャレンジ」なぞどこかに吹き飛んだ。
公明の自信作100年年金なぞウソっぱちの化けの皮はすぐには
げた、
幾千年の古からの連続を経た時間。
人間営為の規範と多くの教訓がそこにはある。
民族の英知は培われ積み上げられ引き継がれていくもの。
底浅い民主主義に民族のとわの真実の生活じゃない。
その民族にはその民の地理的に置かれてるさまに合わせて生きてきたところに真実がある。
歴史的に消そうとしても消せない生き様。
逆に誇り高い事実で何も自虐的になる必要もない。
ただ、宰相たる民族のトップには国政を担当してる自覚。
「安倍を取るか小沢をとるか」
言ったではないか。
「再チャレンジ」
自ら使ってるではないか。
常に辞表をポケットに入れての日常にまい進する生きざまの矜持
宰相の生きざまの基本であろう。
年齢的にもズ〜ッと上で雲上人の事も含んでいた。
自分よりも年下?安倍総理?
訝しがったのは団塊の世代の共通する思いではなかったのか。
「その若さで・・帝王学大丈夫?」
どうもその時の懸念が現実化している。
民主主義を履き違えた
「居直り。」
一つでも年が下なら天と地の差、厳格なる秩序があった、源流原則民主主義世代。
戦前を引きずったる民主主義の学校。
教える先生も家庭内の両親も何ら変わらない。
手探りで民主主義を国民に根付かせようと国中が格闘した。
奥の院にはGHQなるお目付けが御控えである。
宮崎にも昭和32年ごろぐらいまでウエップGHQが駐留し江平の丸三ビルに本拠地があった。
観光名所になった県庁にも駐留して目を光らしていた。
「聖域なき改革・自己責任」相互扶助の政治は葬り去られ
小泉から安倍になり
参議院の選挙で文字とおり「自民党はぶっ壊された。」
「美しい国づくり」をめざし「戦後レジームからの脱却」として国会での議席の数を頼りの強行採決の繰り返しでの国会での実績、
戦後最大の好決算!順調なる大都市のみの好経済!
新リッチ族の出現!六本木ヒルズ族。
他方、国民の生活の実感、とりわけ政治に切り捨てられた田舎県。
選挙制度の21の一人選挙区および二人区。6勝23敗である。
小泉選挙で25勝2敗を誇ってたのにこれだ。
安倍総理はその落差を見誤っていたのではないか。
戦前を引きずったる源流原則民主主義世代からすれば
「若造がクセラシ〜」
62年かけて作り上げ足るものがガラッ!と崩れゆく危機感。
「痛みに耐えてよくしていく」小泉は01年5・7国会演説で高らかに宣言した。
幾星霜をへて、勝組はほんのわずか。
「いつまで耐えればよいのか」
地方からの怨嗟の声。
350兆をアメリカに差出した竹中小泉改革、
検察が動くとアメリカとの取引で竹中はバッジをほ降り投げ逃げ出し小泉は人気絶頂の中、政権を投げ捨てた。
戦後日本人の心を問いたい。
われらの世代の責任でもある。
マッカサーが大ナタをふるって全体主義にならぬ芽を摘んでいった占領政策。
財閥解体、農地を主なる土地改革、平和憲法の制定。・・・
新生日本のあけぼのをもたらし国民は歓喜で受け入れ作り上げにむかった。
旧支配者の国体護持の政策との思惑と一致しそれは政策的にも戦争責任をあいまいとした。
不幸は
合理主義、風俗習慣、付け焼刃の自由民主主義の無条件実施にあった。
アメリカ国民が血と汗と長き年月で作り上げ足る大陸の宝の結晶・自由民主主義。
イラクで苦悩してるのもそれだ。
島国多雨の神の在する仏教信徒の瑞穂の国
絶対正義の自由民主主義の
歪みは
是正されないまま経済繁栄に突入する。
不幸というより愚か・・・滑稽でさえある。
日中戦争の中国大陸で2千万以上を殺戮し、太平洋戦争では同胞310万人の生命を亡くしたことを忘れた
忘れさせようとの社会体制。
それさえなかったように今の政治は進めようとする。
鎮魂は8・15日のみに残った
春分・秋分の日はその意義さえ知らぬ異邦人を生み出しつつある。
わが二人の30歳前後の子らで実証されている。それぞれ国立大出の普通であるべき人でこれだ。
両親の存在なぞなんのその邪魔ものでしかない扱いの風潮化。
それも推し進められる核の保持、憲法9条の改正で為政者には邪魔で、防衛庁ではどんな集会でも対象に公安調査庁以上の国民対象のスパイ排除団体と民主党の集会さえ秘かに調査をしている監視態勢。
記憶から意図的にトウザケル昭和20年までの記録。
酔いふるまってる繁栄。
イスラムまで純化しベールで顔を覆えとわ言わぬが、90パーセント以上と、異常に限度を超え露出した乳隠しとパンチィーのみを着た、自分の室内でさえ恥ずかしきファッションで街を闊歩するな。
普通のファッションでさその美しき魅惑にどんな男も目線を向けよう。セクハラなる法さえあるんだぞ。売女じゃぁあるまいに。もっと露出を外出時にはおさえろ!民主主義のはき違え。
飽食、無国籍風の日常、モラルの喪失
モノ、金に浮かれ私欲のみが渦巻く。
「再チャレンジ」なぞどこかに吹き飛んだ。
公明の自信作100年年金なぞウソっぱちの化けの皮はすぐには
げた、
幾千年の古からの連続を経た時間。
人間営為の規範と多くの教訓がそこにはある。
民族の英知は培われ積み上げられ引き継がれていくもの。
底浅い民主主義に民族のとわの真実の生活じゃない。
その民族にはその民の地理的に置かれてるさまに合わせて生きてきたところに真実がある。
歴史的に消そうとしても消せない生き様。
逆に誇り高い事実で何も自虐的になる必要もない。
ただ、宰相たる民族のトップには国政を担当してる自覚。
「安倍を取るか小沢をとるか」
言ったではないか。
「再チャレンジ」
自ら使ってるではないか。
常に辞表をポケットに入れての日常にまい進する生きざまの矜持
宰相の生きざまの基本であろう。
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