千の風にのって

2007年8月22日
「秘話」は瀬戸内寂聴85歳の作品。
立ち読みでさえ気付く驚くほどの知識に圧倒される
「能」を大成した世阿弥をテーマに躍動する生命を描いた。

50歳で仏門に入った己の悟りの境地を世阿弥を通じて
凡人に知らせてくれる。

人間の生命はいつの世も現在の同じ関係を繰り返す。
「輪廻転生」
現実を超えた遠い過去未来を繰り返している。

解けない課題であるが時間空間は数学の集合論でもある。
解きようによっては解ける哲学の要諦。
存在と時間を考える学問だからである。

存在の先にある消滅。
日々周りで死は起こっているが自分とは関係ない出来事、ひとさまのこと。。
いつかお迎えが来るのに全く死を信じていない。
夢物語でしかない。

生命は老いて死ぬのが、例外たる事故死を除いての道理。
老いて肉体活動を停止する。
若い人には前提の老いがないからわからない。

俗に歯目マラ、順次訪れると古老は笑いを交え解いて聞かせる。
せきやんは完全に老いの域、
友人たる上司と、もめただけでも下歯が折れた。

それがそこに留まらず、下の歯の抜けが上に伝播。
上が抜けようとしている。

これじやぁ争闘一つできない。
もっとも自分の辞書には暴力は無いので無縁である。

ただ、年甲斐も無く40数年ぶりの禁を破ったのは同じ人から3度目で言われ無き暴力を
止めんがため。
後ろから忍び寄って後頭部急所はいけない。
ましてや虐めはいけない。

事故と老いが要の歯をやってしまった。
老いは怖い。もう死がそこまで来ている。

「死」について老壮青少、オレまだだ・・
誰も信じたがらない。
人生の味わいの弱さでもある。

あの世はあるのか。
「千の風になって」が爆発的ヒットである。
秋川雅史が正調で歌い紅白後にメジャーと成った。

訳詞作曲・芥川賞作家新井満
5年前北海道の駒ヶ岳に別荘を買った。

静けさの中に命の風を聞き分けた。
自然は沈黙しない。
命のざわめき命の音で満ち溢れている。

ところが5年前の台風で非難しようにも林道は倒木で動けなくなった。
カーネション農家が自分の被害はさておきチエンソーで不通の道路を開通させてくれ
家族、自分自身が助かっただけでなく、もっと大きい収穫、心が癒された。

友人・川上耕の妻桂子48才で亡くなった。
追悼の詩集を作った中に西洋の誌で作者不詳があった。
12行ほどの誌である。
誌の中の言ってる事。
命は死をもってしても終わらない。・・・

風雨星鳥・・・様々に再生してさらに生きつづける
そのように死を享受することで悲しみが癒される。

もう一度生きてみよう。
この誌に接した人の偽らざる気持ち。

南風椎(はえしい)が寄せていた誌である、
作曲訳詞に取り組むが何年たってもできない。

佐渡地震でも現地で遭遇した。
北海道のカーネーションを千本贈った。
元気が出た感謝の声が聞けた。

a thousand winds
呻吟がウソのように解けた。

平成15年夏、天声人語がとりあげる。
天声人語は杉村楚人冠が名づけたコラム。
最近は文章の質の高さは読売、数奇者は日経編集手帳の方に軍配を上げる。

ただ、これは詳しく書かれヒットであった。
9.11追悼、マリリンモンロー25周年、ハワード・ホークスの葬儀とこの誌が捧げられていた。

世間の見方さえ変えた。
大家族主義が無くなり家から死の匂いが消え、或いは医療制度の完備で病院死となっている。
身近な人の死の別れがない世間ができている。

ここに一考を与える世相を照らした。
「千の風にのって」
お墓が見直されてきた。

詩のヒットは肉体は焼かれても魂はどうやら残ると共通意識の確認作業であるのか。
多神教の持つ民族の宗教観とフイットした。
想念と読んだのは文学者石原慎太郎で死後に働く想念もありうるはずである。と主張する。

日本人の誰もがもつ単純なる宗教感の確認復活である。
昨日この季節ゆえ橋のことに書いたのもそうである。
日常生活の心のひだには無常観が漂う宗教理念。

262文字般若心経の教える人生の極意究極の人生とは何か。
生老病死の確認であり、そこからくる悟りの境地の生きぬく信念の矜持である。

世阿弥はこの世とあの世を繋いだ「夢幻能」を考案した。
幽霊を主人公にした。能はそれで現在も続き時代の流れから生き残った。

あの退屈する芸が(笑)生き残ってるのはそこにある。
ただ、千年前、世阿弥より400年前に源氏物語は六条御息所でそれを描いていた。

源氏の正妻・葵が身ごもり、女の情念は嫉妬して生霊となり、散々苦しめる。
六条御息所の想念の所産、

ただ救いはあった。
葵のところで焚かれた護摩のにおいが六条御息所の着物、髪に染み付いている。
宗教が心を正してくれ、救ってくれたのである。
どうにもテーマは耳なし芳一の体ごとに書かれたお経のお話しのご利益話と通じている。

12歳でその才能を見出され栄華を極めた世阿弥も足利義教の恨みをかい、72歳で佐渡に流される。
世阿弥は生涯その地で暮らし81歳まで生きる。
作家・瀬戸内寂聴はそこに色を添えて世阿弥を描いた。
恨み言一つ残さず悠々駘蕩。金島書のみを残した。

織田信長は幸若の「敦盛」の能生で語られる。
桶狭間、本能寺で舞ったとも伝えらる。

人生五十年〜〜。下天のうちに比ぶれば〜〜夢幻の如くなり。
一度生を受け滅せぬもののあるべきか。
これぞ菩薩の種ならむ。これぞ菩薩の種なる。

生命の再生に賭け、生に執着せず清く現世を諦めて次の生に期待を込める。
為政者・信長の卓見。

沖縄では祖霊が危機一髪生命を救った
62年前に十二分死んでるではないかと言う事か。
同社の飛行機は5000機あり4・6秒に一回離着陸を繰り返しているという。
空での移動は常にリスクとの裏返し。
生死を一瞬に感じさせないのが救いか。
鉄の塊が空を飛ぶ道理がない。

霊能者流行の世相であるが不安の裏返しでもあろう。
前世に関する意識を人間はもてない。

それにしても新鮮味のない新内閣。
建設大臣のみは公明留任と早々に決定している。

ご本尊様の相当のご利益があるもんだ。
あやかりたい。蚊帳つりたい。
抹香臭い季節が続いている。

列島の瑞穂の民族には鎮魂の季節が続く。
暑さ盛りの中の涼しさ。
実に不思議な国である。

あっ!トンボ・・・せんそさま・・

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