この国の形
2007年9月18日芭蕉に松島を詠んだ歌がないと訝しがられる。
あるではないか。
松島やああ松島や松島や
うぅ〜ん納得しない「おらが国さ」の感情でもあろう。
風景、光に嘆息したゆえであろうか。
日本三景にあげらるはずだ。
実は全国くまなく「荒海や佐渡によこたう天の川」の芭蕉と違い佐渡さえ渡ったのに
正直、宮城県と岩手県が未踏の地なんである。
面白おかしく芭蕉の句の松を収集する。
外の国では詠まれている。
島々や千々にくだきて夏の海
武隈の松
桜より松は二木を三月輿し
近江辛崎
からさきの松は花より朧にて
お座敷であろうか屏風の松さえ詠まれている。
金屏の松の古さよ冬篭
天下の景勝地たる松島の松からして見れば・・恨みでもある。
女の妬みみたいなものか。舅には弱く嫉妬は怖い。。
うんこれだから世渡りは難しい。
天寿だが成仏できない。
中有をさまよう老松の精。
恨みを晴らすそれを理解する唯一の道は昔から「能」が決まり!
謡曲「松島」
芭蕉亡き後その脈流のある俳諧師が従者を連れて
そのあとをともらおうと訪ねる。
一人の老人が現れ遠い昔の夏、芭蕉が曽良とここを訪れたkとを物語
二人が涼しんだと言う老松のところに案内する。
日が暮れ二人が老松のところで旅寝していると
夢とも現とも知れぬ境に老松の精が現れ
その昔芭蕉がこの木の本で休みながら松島の松を一句も詠まなかったので
それがさわりとなって成仏できないことを恨み、徘徊し回向の一句を所望する。
松島の松をさらさらと読んで手向けると老松の精は大層喜び
松を呼んだ名家や名句を唱えつつ、見事な舞を舞いながら夏の夜明けの薄明かりを野中へと消えていく
芭蕉が旅した頃は、道路事情が悪い頃のことだ。
海岸線を歩くことが多かったろう。
また里程を示す一里塚、関所に松ノ木があったろう。
領地を守るため防風林としても松が植えられてきた
それの効用が日本でも世界的にも災害で示されている。
1854年和歌山広川町は浜口儀兵衛の稲村の火
津波が来る稲を焚いた。
インドネシア、タイ、マングローブ海岸線侵食を防いできた。
米国ニューオリンズでの災害との差がそこにある。
温暖化のせいに何もかもされてしまう傾向がある。
海岸線の消滅の一因たる松の林、白砂青松のお話である。
全国の海岸の見慣れた風景のクロマツ林は自然の天然林ではない
万葉集の時代からの治世で内陸の奥地を潮風から守り、砂の害の侵食を防いできた。
その日本の海岸線の状況が尋常でない。
国土を守ってきた国営事業の営林署の仕事ぶりの国策事業の切捨ての対比で語られよう。
海岸の松枯れは、西南日本の太平洋側から北上、日本海側青森県に達する勢い
酒田の見事な海岸林を過ぎ、岩手県三陸海岸と全国に松枯れがおこっている。
クロマツ、アカマツが無くては寂しき風景と成ろう。
立派な松林になるには経緯が入る。
人工林の根粒ニセアカシヤ、ハギ、ヤシャブシ、ヤマモモ、グミ混色繁茂のニセ木陰を造成した。
付近の住民にショウロ、ハクタケ、シモコシ食べられるシイタケを提供してきた。
ところが菌根菌で根が黒く腐る土壌になっている。
マツノマダカミキリとマツノザイセンチュウ、が原因とされる。
それだけでなく日本の国土の土質の問題である。
アカマツ、クロマツ暖かい地方から砂のため、土が痩せている。
放置されてきた造林事業ゆえでもあろう。
エネルギーに化石燃料が国家の主流に位置してない頃、暮らしに資源林が自然により添っていた。
産業にも木材、炭鉱、護岸、鉱山、杭等々にも重要な材料であった。
8月に1日5000人が押し寄せた宮崎県庁の基礎はPC杭の無い昭和8年ゆえ松の杭で地盤が確保されている。
パルプ原料、製鉄用の炭、製陶薪、燃料、松明かりや門松
戦争中の松根油はどこの松林でも製油された。
これほど役にたった木は無い。
しからば今はいかに。
松が無くては、神社、寺の荘厳さは消え、ありがたさも半減。
日本国の風景に富士山は各地の地元を冠した富士の如くだ。
外園海岸、国引き海岸、築地、松生垣
松江
「炭と菌根で甦る松」小川真。
雄松相生の松
低い二本のあかまつ
一つの株から接木200年
出雲の国は日向の地に似た国造りの話を持つ国。
千家家と北島家に分かれてそれぞれ出雲大社と出雲教を守ってきた。
出雲大社を守ってきた松林の衰退のいちぢるしさ。
参道の30年のお手植えの松の衰弱を松の根の診断から処方を加え守った。
「炭と菌根でよみがえる松」筑地書館
著者小川真は京都の人・葉山の御用邸も守った実績を持つ。
四国・高松栗林公園の尾根まで松枯れが迫ってたニュースはずいぶん以前のことだったが大丈夫なんで会おうか。
あるではないか。
松島やああ松島や松島や
うぅ〜ん納得しない「おらが国さ」の感情でもあろう。
風景、光に嘆息したゆえであろうか。
日本三景にあげらるはずだ。
実は全国くまなく「荒海や佐渡によこたう天の川」の芭蕉と違い佐渡さえ渡ったのに
正直、宮城県と岩手県が未踏の地なんである。
面白おかしく芭蕉の句の松を収集する。
外の国では詠まれている。
島々や千々にくだきて夏の海
武隈の松
桜より松は二木を三月輿し
近江辛崎
からさきの松は花より朧にて
お座敷であろうか屏風の松さえ詠まれている。
金屏の松の古さよ冬篭
天下の景勝地たる松島の松からして見れば・・恨みでもある。
女の妬みみたいなものか。舅には弱く嫉妬は怖い。。
うんこれだから世渡りは難しい。
天寿だが成仏できない。
中有をさまよう老松の精。
恨みを晴らすそれを理解する唯一の道は昔から「能」が決まり!
謡曲「松島」
芭蕉亡き後その脈流のある俳諧師が従者を連れて
そのあとをともらおうと訪ねる。
一人の老人が現れ遠い昔の夏、芭蕉が曽良とここを訪れたkとを物語
二人が涼しんだと言う老松のところに案内する。
日が暮れ二人が老松のところで旅寝していると
夢とも現とも知れぬ境に老松の精が現れ
その昔芭蕉がこの木の本で休みながら松島の松を一句も詠まなかったので
それがさわりとなって成仏できないことを恨み、徘徊し回向の一句を所望する。
松島の松をさらさらと読んで手向けると老松の精は大層喜び
松を呼んだ名家や名句を唱えつつ、見事な舞を舞いながら夏の夜明けの薄明かりを野中へと消えていく
芭蕉が旅した頃は、道路事情が悪い頃のことだ。
海岸線を歩くことが多かったろう。
また里程を示す一里塚、関所に松ノ木があったろう。
領地を守るため防風林としても松が植えられてきた
それの効用が日本でも世界的にも災害で示されている。
1854年和歌山広川町は浜口儀兵衛の稲村の火
津波が来る稲を焚いた。
インドネシア、タイ、マングローブ海岸線侵食を防いできた。
米国ニューオリンズでの災害との差がそこにある。
温暖化のせいに何もかもされてしまう傾向がある。
海岸線の消滅の一因たる松の林、白砂青松のお話である。
全国の海岸の見慣れた風景のクロマツ林は自然の天然林ではない
万葉集の時代からの治世で内陸の奥地を潮風から守り、砂の害の侵食を防いできた。
その日本の海岸線の状況が尋常でない。
国土を守ってきた国営事業の営林署の仕事ぶりの国策事業の切捨ての対比で語られよう。
海岸の松枯れは、西南日本の太平洋側から北上、日本海側青森県に達する勢い
酒田の見事な海岸林を過ぎ、岩手県三陸海岸と全国に松枯れがおこっている。
クロマツ、アカマツが無くては寂しき風景と成ろう。
立派な松林になるには経緯が入る。
人工林の根粒ニセアカシヤ、ハギ、ヤシャブシ、ヤマモモ、グミ混色繁茂のニセ木陰を造成した。
付近の住民にショウロ、ハクタケ、シモコシ食べられるシイタケを提供してきた。
ところが菌根菌で根が黒く腐る土壌になっている。
マツノマダカミキリとマツノザイセンチュウ、が原因とされる。
それだけでなく日本の国土の土質の問題である。
アカマツ、クロマツ暖かい地方から砂のため、土が痩せている。
放置されてきた造林事業ゆえでもあろう。
エネルギーに化石燃料が国家の主流に位置してない頃、暮らしに資源林が自然により添っていた。
産業にも木材、炭鉱、護岸、鉱山、杭等々にも重要な材料であった。
8月に1日5000人が押し寄せた宮崎県庁の基礎はPC杭の無い昭和8年ゆえ松の杭で地盤が確保されている。
パルプ原料、製鉄用の炭、製陶薪、燃料、松明かりや門松
戦争中の松根油はどこの松林でも製油された。
これほど役にたった木は無い。
しからば今はいかに。
松が無くては、神社、寺の荘厳さは消え、ありがたさも半減。
日本国の風景に富士山は各地の地元を冠した富士の如くだ。
外園海岸、国引き海岸、築地、松生垣
松江
「炭と菌根で甦る松」小川真。
雄松相生の松
低い二本のあかまつ
一つの株から接木200年
出雲の国は日向の地に似た国造りの話を持つ国。
千家家と北島家に分かれてそれぞれ出雲大社と出雲教を守ってきた。
出雲大社を守ってきた松林の衰退のいちぢるしさ。
参道の30年のお手植えの松の衰弱を松の根の診断から処方を加え守った。
「炭と菌根でよみがえる松」筑地書館
著者小川真は京都の人・葉山の御用邸も守った実績を持つ。
四国・高松栗林公園の尾根まで松枯れが迫ってたニュースはずいぶん以前のことだったが大丈夫なんで会おうか。
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