図書館2

2007年10月7日
ペルーの2000mを超える天空の高地マチャピチュは世界遺産。
スペインの老獪なる政治手法、軍事力で滅ばされた。

その地よりもたらされたジャガイモを食するたびに思い出す歴史好きも多かろう。
この時期のじゃがいもメークインは実においしいので嗜好は思考を刺激し創造力を豊かにするからかもしれない。

金銀を豊富に用いた文化は世界文化遺産でも特筆する。
どこの国でもそうだが被制圧国には文化遺産は持ち出される。

エール大学とペルー政府が4000点を超える美術的文化品の変換に応じた。
資料が逸散にしてはもとの木阿弥。現地に保存館も作られるようだ。

勝利品扱いで制圧国に持ち込まれた遺物の返還はあちこちにある。
ギリシャの遺物は英国大英博物館に保存されている。
発見者主義なる論理構成で変換されない。

略奪であるのに変わらない。
個人が一個盗めば大悪人だが国家が盗めば文化功労者的扱いに近い英雄に成るわけである。
収蔵のときは言いが保存は悩みの種。

県立図書館の収蔵能力は64万冊程度が適正らしい。
3月現在で63万5千冊を突破、本年度中には約1万冊が加わる

貧乏してると特に公共パブリックのありがたさは身に沁みる
図書は週刊誌さえ含めて図書館頼みこれはことである。

本棚の段を増やすなどして応急的対応のようだが書庫の増築など抜本的な対策が迫られている
県も財政難で敷地はあっても建設費の捻出が難航される。

同館の閲覧室と書庫を合わせた本棚には80万冊が収蔵できる。
本棚は分類ごとに一定のスペースを空けておくことが必要で、本を詰め込むと破損の原因になる。

一般的には、75―85%が埋まると貸し出しや収蔵への対応が遅くなるとされる。
4層になっている書庫の床の強度を考慮すると、全体の8割が適正な収蔵数と位置付けている。

 同館の収蔵数は、1988(昭和63)年のオープン時は約33万7千冊だったが、毎年2万冊のペ
ースで増え続け2001年度に60万冊を超えた。
古文書などは申請して見れる。

大憲章・マグナカルタは世界に20冊ほど確認されている。
その一冊がサザミーの入札競売にかかる。
23億円近い落札値予想が出回る。

活版印刷は天正少年遣欧使節一行の8年5ヶ月の年月をかけ持ち帰った文化的遺産の一つ。
長崎で日本文字の活字を自力で作り上げ日本版キリシタン出版物を刊行した。

その偉業はどんなに語り尽くしても語り尽くせない。
ただ、為政者は焚書の蛮行を実施しただけでなくキリシタン狩の
生命を脅かす過酷な火あぶり逆さ釣りなどの非道の刑を見せしめに徹底的に弾圧したので
関係書は国内には見出すことは困難である。

天理図書館は1930年開館、翌年、スペイン、メキシコ大使を勤めたる大鳥富士太郎男爵が
日本中国17世紀初期刊行本を収蔵。
キシシタン本の収蔵は1941年南陽堂書販売目録「おらしょの翻澤」の取得を嚆矢とする。

その持ち主を追っていくと島原城主松平忠房が南陽堂と幸田成友との交友がある。
数年前ここから出てる訳でもたらした刊行されたマカオで刊行準キリシタン版
「遣欧使節対話禄録」幸田成友がオランダ・フェレンツエで入手慶応に治められた。
戦後、天理に交換された。

その貴重なる稀有のキリシタン本の数々は天理大学の貴重な収蔵物である。
解ってる入手経路や逸話を拾うとつぎのようなことが記録されている。

「ぎやど・ぺかどる」キリシタン版
1931年ローマ・オットー・ランゲ書店の目録に載った。
250円
当時の百科事典の価格。

グーテンベルク「42行聖書」
苦難の経過で丸善が入手。社宝とされていた。
1950年天理図書館に治まる。

1951年、林若吉が1916年越前藩医のとき発見所有されてた京都版
「こんてむつす・むん地」
淀君の妹京極高吉の妻マリアが所有との記述アリ。
キリシタン禁制の中を生きてきた。稀有の国内印刷のキリシタン本である。

新井白石はキリシタン取調べに立ち会った。
イタリア人宣教師シドッチエのことである。
出島の植物学者ツュンペリーの所有する
キリシタン版辞書を実見している。

1853・1955
プチャーチンと同行したギシケビッチは日露の領事として函館にいた。
「拉葡日対訳辞典」を入手し
1939年レニングラードに治めたが、戦火で消失。

1873年6年
「スプリツツアル修業」
マニラのブチジャン司教が発見し、大浦天主堂に治めた。

1930(大正13年)三菱三代目・岩崎久弥
モリソン文庫を本郷駒込に治めた。
「ドチリナ・キリシタン」

聖教精華

オランダ・ナイホフ書店
丸善経由「サクラメント提要」

上智所蔵の「サクラメント提要」は1934年ラウレス神父
麹町南洋カトリック伝導会で発見したもの。

50年ニューヨーククラウス書店
「ぎや・ど・ぺかどる」
その裏打ちより発見した祈祷文断簡一枚所有

1949年精神修行提要は小汀利得

落葉集2003年東京外大浅井教授
マニラで入手されたスピリッチアル

10月7日の誕生日の花はコスモス。
花言葉は調和、少女の真心
ギリシャ語に宇宙・調和見える

雑草のごとくの生命力のコスモスは明治初期に入ってきた開国とともにあるようだ。
日が短くなると花をつける短日植物。

コスモスのおしよせているくりやぐち。
くりやは台所のことだが手元に調べるべき物が何もないので字がわからない。

小林のコスモスは14ヘクタールの花畑と県道沿いの斜面に約100万本を植栽。今が満開。

9日から大阪でE3のバイオエタノールを官庁の後押しで売り出す。
バイオガソリンは二つの製法で役所主導とガソリン業界の間で見解が分かれている。
etbeなるガソリン協会方式と役所主導のぶつかり合い。

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